[スポンサーリンク]

化学者のつぶやき

「引っ張って」光学分割

[スポンサーリンク]

(冒頭図は論文を参考に作成)

A Mechanochemical Approach to Deracemization
Wiggins, K. M.;  W. Bielawski, C. W.
Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 1640 –1643. DOI: 10.1002/anie.201107937

光学異性体の分離は、1849年のパスツールによる酒石酸塩の光学分割から始まり、結晶化・不斉触媒・キラルカラムなど、様々な手法が提案されてきました。2001年に野依良治先生が不斉触媒の開発によりノーベル賞を受賞されているように、光学異性体の分離は現代有機化学における重要課題の1つといえます。

今回は、近年注目を集めるメカノケミストリーを用いて、BINOL(1,1′-ビ-2-ナフトール)のラセミ体を「引っ張る」ことによりS体のみを収率90%、光学純度98%と効率的な光学分割を達成したBielawskiらの報告をご紹介します。

—–

2014年12月23日 追記

本論文の著者、WigginsとBielawskiが発表した論文3報に対して、論文捏造の疑義がかけられています。この論文に対しては、捏造の疑いが公式に発表されたわけではありませんが、疑惑をかけられている研究者2名での類似の研究であることからも、捏造の可能性があります。研究・引用の際にはご注意ください。詳細はChem-Stationで紹介していますので、以下をご参照ください。

テキサス大教授Science論文捏造か?」2014年12月17日 Chem-Station

追記終わり

—–

これまで、ケムステではメカノケミストリー、すなわち力学的エネルギーによる分子の活性化をいくつかご紹介してきました。これらの先行研究では、高分子を引っ張ることで、高分子主鎖中央の分子にエネルギーを伝えて分子変換を行っており、例えばベンゾシクロブテンの開環”逆”クリック反応が達成されてきました。一方、せっかく分子を変換しても高分子鎖が残ったままであるため、実際の反応に適用することが容易ではないなどの問題もありました。

今回の報告においてもこれまでと同様に、ラセミ体BINOLに高分子を取り付け、超音波でBINOLを「引っ張る」ことでR体⇔S体へと変換しています。しかし、これでは一度S体を得ても超音波をかけ続けている間はS体⇔R体への変換が常に続いているため、反応系内をS体だけにすることはできません。しかし、最終的にはS体が収率90%、光学純度98%で回収されています。どうやってS体だけを取り出したのでしょうか…?

Binol2

図1. 超音波と酵素を用いたBINOLの光学分割(図は論文を参考に作成)

 

Bielawskiらは、S体BINOLのエステルを選択的に切断する酵素を用いることでこの問題を解決しています(図1)。S体に変換されたBINOLからエステルでつながっている高分子鎖を切り離すと、高分子鎖を通じて引っ張られることがないため、S体BINOLはこれ以上変換されることはありません。さらに、残りのR体BINOLも、S体に変換されると酵素がエステルを切断していくため、系内のBINOLはどんどんS体へ、つまり酵素を用いることでR体⇔S体の反応がR体⇒S体の反応になります。しかも、S体への変換後には高分子鎖が除去されているため、次の反応へ適用することが可能となります。

Binol3

図2. a) SEC測定結果. 超音波照射前(青), 超音波照射後(赤), 酵素処理のみ(緑). b) CD測定結果. 48時間超音波処理でS体BINOLに近いスペクトルに (図は論文より引用)

上の図2aから、超音波照射後には高分子のサイズがちょうど半分になっていることがわかります(青→赤の変化)。また、超音波処理せず酵素処理だけするとラセミ体なのでS体BINOLを有する高分子は切断されるものの、R体BINOLを有する高分子は切断されずそのままの分子量を保持していることが分かります。また、図2bでは48時間の超音波照射で純粋なS体BINOLに近い光学純度のBINOLが得られることが示されています。

この手法は、S体BINOLだけに作用する酵素を用いているため、他の様々なラセミ分子にすぐ適用できるわけではありません。今回はこの酵素を見つけてきたBielawskiグループの着眼点の勝利といったところでしょうか。しかし、メカノケミストリーに酵素・触媒など他の手法を組み合わせることで、光学分割など、様々な反応に適用できることが示されたといえます。熱に弱い分子の変換など、メカノケミストリーならではの利点もあります。実際、BINOLの異性化には高いエネルギーが必要で、BINOLを250℃で72時間処理しても異性化はほとんど起こりませんが、今回は9℃で48時間超音波処理を行い「引っ張る」ことで光学分割に成功しています。

光学分割に留まらず、最近も様々なメカノケミストリーの応用が報告されており、まだまだ「引っ張る」研究が盛んなようです。未来の研究室では、「よーし、次はS体の合成だから頑張って引っ張るかー」なんていう光景が見られるかもしれません。

suiga

投稿者の記事一覧

高分子合成と高分子合成の話題を中心にご紹介します。基礎研究・応用研究・商品開発それぞれの面白さをお伝えしていきたいです。

関連記事

  1. ポンコツ博士の海外奮闘録 〜ポスドク失職・海外オファー編〜
  2. 1,3-ジエン類のcine置換型ヘテロアリールホウ素化反応
  3. 光触媒の活性化機構の解明研究
  4. アルケニルアミドに2つアリールを入れる
  5. HTML vs PDF ~化学者と電子書籍(ジャーナル)
  6. 光触媒水分解材料の水分解反応の活性・不活性点を可視化する新たな分…
  7. 低分子の3次元構造が簡単にわかる!MicroEDによる結晶構造解…
  8. 【日産化学 25卒/Zoomウェビナー配信!】START you…

コメント、感想はこちらへ

注目情報

ピックアップ記事

  1. CASがSciFinder-nの画期的逆合成プランナーの発表で研究・開発の生産性向上を促進
  2. ビール好きならこの論文を読もう!
  3. ラジカルと有機金属の反応を駆使した第3級アルキル鈴木―宮浦型カップリング
  4. 【PR】 Chem-Stationで記事を書いてみませんか?【スタッフ募集】
  5. ハーバート・ブラウン―クロスカップリングを導いた師とその偉業
  6. 元素名を名字にお持ちの方〜
  7. ブラウザからの構造式検索で研究を加速しよう
  8. Rice cooker
  9. 二重可変領域を修飾先とする均質抗体―薬物複合体製造法
  10. 不正の告発??

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2012年10月
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031  

注目情報

最新記事

【大正製薬】キャリア採用情報(正社員)

<求める人物像>・自ら考えて行動できる・高い専門性を身につけている・…

国内初のナノボディ®製剤オゾラリズマブ

ナノゾラ®皮下注30mgシリンジ(一般名:オゾラリズマブ(遺伝子組換え))は、A…

大正製薬ってどんな会社?

大正製薬は病気の予防から治療まで、皆さまの健康に寄り添う事業を展開しています。こ…

一致団結ケトンでアレン合成!1,3-エンインのヒドロアルキル化

ケトンと1,3-エンインのヒドロアルキル化反応が開発された。独自の配位子とパラジウム/ホウ素/アミン…

ベテラン研究者 vs マテリアルズ・インフォマティクス!?~ 研究者としてMIとの正しい向き合い方

開催日 2024/04/24 : 申込みはこちら■開催概要近年、少子高齢化、働き手の不足…

第11回 慶應有機化学若手シンポジウム

シンポジウム概要主催:慶應有機化学若手シンポジウム実行委員会共催:慶應義塾大…

薬学部ってどんなところ?

自己紹介Chemstationの新入りスタッフのねこたまと申します。現在は学部の4年生(薬学部)…

光と水で還元的環化反応をリノベーション

第609回のスポットライトリサーチは、北海道大学 大学院薬学研究院(精密合成化学研究室)の中村顕斗 …

ブーゲ-ランベルト-ベールの法則(Bouguer-Lambert-Beer’s law)

概要分子が溶けた溶液に光を通したとき,そこから出てくる光の強さは,入る前の強さと比べて小さくなる…

活性酸素種はどれでしょう? 〜三重項酸素と一重項酸素、そのほか〜

第109回薬剤師国家試験 (2024年実施) にて、以下のような問題が出題されま…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP