[スポンサーリンク]

化学者のつぶやき

同位体効果の解釈にはご注意を!

[スポンサーリンク]

化学反応の機構解析に威力を発揮する一つが速度論的同位体効果(KIE)の測定。ざっくり述べると、「重い同位体を含む結合を切る化学反応は、軽い同位体の反応に比べて速度が遅くなる現象」です。

KIEを適切に測定すると、どの結合がどの段階で切れているかに加え、遷移状態・律速段階などに関わる貴重な情報が得られます。とりわけ近年の一大研究領域である触媒的C-H活性化反応では、変換標的が炭素-水素結合であること、重水素置換はKIEを大きな値として観測しやすいことから、機構解析のスタンダードとして使われるまでになっています[1]。

しかし、有機金属化学の大家・J.F.Hartwig教授はこの潮流をうけ、「実情はそれほど単純ではなく、KIEの解釈には気をつけなければならない」と警鐘する旨の論説を発表しています。すこし専門的ながら興味深い話ですので、かいつまんで紹介してみましょう。

On the Interpretation of Deuterium Kinetic Isotope Effects in CH Bond Functionalizations by Transition-Metal Complexes
Simmons, E. M.; Hartwig, J. F. Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 3066. DOI: 10.1002/anie.201107334

※今回の記事では「KIE=一次の速度論的同位体効果」とします。

KIEだけで律速段階は分かるのか?

『KIEが観測されている=律速段階はC-H結合の切断である』と結論している間違いが非常に多い、と著者らはまず述べています。

C-H活性化の機構解析に汎用される実験法は、以下の3パターンに大別されます。

KIE_alert_2

反応式は論文から引用

このうちA型実験はそもそも精密測定が難しく手順も面倒で、厳密にやる人は多くありません。一方のB・C型実験は、実験誤差を少なく出来、特殊な実験手順を設定せずとも良いことが利点です。とにかく簡便に解析できるため非常に好まれる傾向にあり、B・C型データだけで結論を導いている論文も、実に多く見られます。

しかしながら、「KIEが観測される=C-H結合の切断が律速段階である」ことの論拠として妥当なのは、A型実験による結果だけです。ここは理解しておくべきでしょう。一見して同じことを調べている実験ですが、厳密に同じアウトプットを出していないのです。

 

反応によってKIE観測パターンが違ってくる?

実例を示すべく著者らは、以下の5ケースを取り上げ、エネルギー図付きでKIEの出方がまったく違うことを論じています。


さらに現実的なデータ解釈時には、触媒条件であればinduction periodの介在、触媒失活、定常状態近似から外れるなどで、反応速度が影響を受けやすいことにも留意する必要があります。見落としがちですが、B・C型実験をNMR解析する場合、重水素の分子間クロスオーバーが起きている可能性も考慮しておかねばなりません。他にもいろいろポイントが挙げられていますので、詳しくはエッセイをご覧ください。

 

解釈に注意を要する実例

こういった事情ゆえに、A~Cのうち特定のKIE測定を行うだけでは、結論が導けないケースが多々考えられます。相当する事例が文中でいくつか取り上げられています。

KIE_alert_4

反応式は論文から引用

たとえば上の事例[2]では(a)式でC型、(b)式でB型のKIE測定が行われており、それぞれ記載の値が得られています。

仮にC型実験しかやらなければ「C-H結合切断過程が律速である」とのミスジャッジを得がちなのですが、B型実験のKIE値を見ると単純に結論できないことが分かります。

事実この反応は、C-Cl結合への酸化的付加が律速段階(すなわち③のケース)に相当すると結論づけられています。

このような例からも、反応機構を厳密に議論したければA・B・C型実験を一通り実施することが必須と言えます。「簡単に終わって楽に済む実験で、拙速に結論を得ようとする姿勢は、どんなことでも要注意であるなぁ・・・」と考えさせられたりします。

反応開発に取り組む機会のある研究者の方々(特に専門分野的に少しズレてる方や、解析経験の少ない学生さん)は、是非一読されてはどうでしょうか。とっても有意義なエッセイだと思います。

 

関連文献

  1. (a) Gómez-Gallego, M.; Sierra, M. A. Chem. Rev. 2011, 111, 4857. DOI: 10.1021/cr100436k (b) Jones, W. D. Acc. Chem. Res. 2003, 36, 140. DOI: 10.1021/ar020148i
  2. Geary, L. M.; Hultin, P. G. Eur. J. Org. Chem. 2010, 5563. DOI: 10.1002/ejoc.201000787

関連書籍

cosine

投稿者の記事一覧

博士(薬学)。Chem-Station副代表。国立大学教員→国研研究員にクラスチェンジ。専門は有機合成化学、触媒化学、医薬化学、ペプチド/タンパク質化学。
関心ある学問領域は三つ。すなわち、世界を創造する化学、世界を拡張させる情報科学、世界を世界たらしめる認知科学。
素晴らしければ何でも良い。どうでも良いことは心底どうでも良い。興味・趣味は様々だが、そのほとんどがメジャー地位を獲得してなさそうなのは仕様。

関連記事

  1. 今年は国際周期表年!
  2. アステラス病態代謝研究会 2018年度助成募集
  3. Elsevierのニッチな化学論文誌たち
  4. ケムステの記事が3650記事に到達!
  5. UCLA研究員死亡事故・その後
  6. 【速報】2022年ノーベル化学賞は「クリックケミストリーと生体直…
  7. 2013年ノーベル化学賞は誰の手に?トムソンロイター版
  8. Keith Fagnou Organic Chemistry S…

コメント、感想はこちらへ

コメント

  1. この記事へのトラックバックはありません。

注目情報

ピックアップ記事

  1. リン–リン単結合を有する化合物のアルケンに対する1,2-付加反応
  2. 化学パズル・不斉窒素化合物
  3. タンチョウ:殺虫剤フェンチオンで中毒死増加
  4. 条件最適化向けマテリアルズ・インフォマティクスSaaS : miHubのアップデートのご紹介
  5. ゲヴァルト チオフェン合成 Gewald Thiophene Synthesis
  6. 痔治療の新薬で大臣賞 経産省が起業家表彰
  7. トリフルオロ酢酸パラジウム(II):Palladium(II) Trifluoroacetate
  8. 海外でのアカデミックポジションの公開インタビュー
  9. 研究室でDIY!~光反応装置をつくろう~
  10. Anti-Markovnikov Hydration~一級アルコールへの道~

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2013年8月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

注目情報

最新記事

細胞代謝学術セミナー全3回 主催:同仁化学研究所

細胞代謝研究をテーマに第一線でご活躍されている先生方をお招きし、同仁化学研究所主催の学術セミナーを全…

マテリアルズ・インフォマティクスにおける回帰手法の基礎

開催日:2023/12/06 申込みはこちら■開催概要マテリアルズ・インフォマティクスを…

プロトン共役電子移動を用いた半導体キャリア密度の精密制御

第582回のスポットライトリサーチは、物質・材料研究機構(NIMS) ナノアーキテクトニクス材料研究…

有機合成化学協会誌2023年11月号:英文特別号

有機合成化学協会が発行する有機合成化学協会誌、2023年11月号がオンライン公開されています。…

高懸濁試料のろ過に最適なGFXシリンジフィルターを試してみた

久々の、試してみたシリーズ。今回試したのはアドビオン・インターチム・サイエンティフィ…

細胞内で酵素のようにヒストンを修飾する化学触媒の開発

第581回のスポットライトリサーチは、東京大学大学院 薬学系研究科 有機合成化学教室(金井研究室)の…

カルロス・シャーガスのはなし ーシャーガス病の発見者ー

Tshozoです。今回の記事は8年前に書こうと思って知識も資料も足りずほったらかしておいたのです…

巨大な垂直磁気異方性を示すペロブスカイト酸水素化物の発見 ―水素層と酸素層の協奏効果―

第580回のスポットライトリサーチは京都大学大学院工学研究科物質エネルギー化学専攻 陰山研究室の難波…

2023年度第1回日本化学連合シンポジウム「ヒューメインな化学 ~感覚の世界に化学はどう挑むか~」

人間の幸福感は、五感に依るところが大きい。化学は文明的で健康的な社会を支える物質を継続的に産み出して…

超難溶性ポリマーを水溶化するナノカプセル

第579回のスポットライトリサーチは東京工業大学 化学生命科学研究所 吉沢・澤田研究室の青山 慎治(…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP