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Carl Boschの人生 その9

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Tshozoです。書いてると色々膨らんで収集がつかなくなりますね。ということで前回の続き。

Wildの活躍によって水性ガス中のだいたいのCOをCO2に変換できたのですが、それでも残るCOをどう取り除くか(四天王4番目)がアンモニア合成触媒の活性を保つうえで非常に重要になりました。ここで出てきたのがのちのBoschの右腕となる辣腕化学者Carl Krauch。彼はハイデルベルグ大学のテオドール・クルチウス(クルチウス転位で有名)に師事した後、1912年にBASFに入社していきなりこの鉄火場に放り込まれることになります。

切れ者ではあったがかなり毀誉褒貶が激しい人物 写真は[文献1]より引用
また機会を変えて書きますがニュルンベルク継続裁判のIGファルベン案件で有罪になり、
禁固刑に処せられたものの後にDegussaの重役として迎えられる

CO2は水に溶かせるからその前のプロセスで除けるけども、CO除去のために水じゃない高価な溶液を量論的にドカドカ放り込むのは勘定が合わん。ではCOを「溶かして取り出してまた溶かせる」ような都合のよい材料はないものか。そこで、Höllriegelskreuthという町にあるLinde本社で分析実験に立ち会っていた際にCO分析用途に銅溶液を使っていたことを思い出したBoschは、Krauchに命じてこの銅溶液を応用する方向で調査を続けさせます。なおCOを取り除く方法は従来からあって、COをやや高温の濃NaOH液に通してギ酸ナトリウムに変換するという意外と簡単な方法で取り除くことができていたようです。しかし、当時は高温濃アルカリに耐性のあるようなPTFEやハステロイといった超耐食性のある材料は見つかっていなかった。さらに高圧環境下で容器の腐食がすぐ進んで壊れる。となると液のpHを下げても何とか出来るプロセスを見つけなければいけなかったのですね。

しかしその銅溶液、そのままの組成では相変わらず反応容器が腐食してしまうので使えずにいました。当時は有機金属錯体のリクツもよくわかってないうえ電子軌道はおろか配位子という概念も生まれたての子羊レベル。そのことからリクツより数の暴力にたよる方法で、Krauchはコンビナ気味にサンプル溶液を多種類作ってみて片っ端からリアクター壁材をそれらの溶液に放り込んでいきます。

そして休暇から帰って確認したところ、アンモニア水と塩化アンモニウムを大量に放り込んだ液だけが腐食を起こさずに済んでいたことがわかりました。これが四天王を全て倒した瞬間となったのです(注:何の銅溶液であるかは本文内に記載されていなかったのですが、当時の特許[D.R.P. 285703, 282505]を見てみると塩化銅(I)の系統であることは間違いなさそうです Wikipediaにもこれと関係しそうなことが書いてありました)

上記特許の組成が書かれた文献から転用
塩化銅、塩化アンモニウム、濃アンモニア水の記載が見える

(だいぶ前にメモしたので出所の書物を失ってしまいました 申し訳ありません)

なお現代のアンモニア合成にはこのCO除去法はあまり使われておらず、四天王3番目の水性ガス反応でCO2転化率を上げるのが一般的なようです。特定の企業では銅・アルミ塩化物錯体をトルエンに溶かした溶液によるCO除去法などを使っていますが、ごく限られた例だけのようですね(ここらへんは[文献2]に詳しい)。ただそれを以って上記の成果が無意味となったかというとそうではなく、COが触媒を被毒するという原理を捕まえていた点が重要な意味を持っていたわけです。

こうした難儀なプロジェクトを率いていた最中のBoschは部下から”komannden Mann”、つまり司令官というように呼ばれていたそうで。数百人以上のエンジニアとそれに携わる工員たちを含めて一大軍隊に膨れ上がっていたのですがからハラが据わってないとこんなもん進められるわけがない。本人の風貌を考えると鬼軍曹と言ったほうが妥当な気がしていますが…残念ながらこの開発当時のBoschらの職場での写真は見当たらず、手元で見つけられるのは1918年あたりのOppauなどの大規模工場のプラントに関する写真ばかりです。おそらく極秘開発レベルの職場を撮影する行為自体どだい無理な話ですから致し方無いとは思いますが、個人的には非常に心残りな部分です。もしかしたらBASFの歴史文書をまとめたUnternehmensarchiveにはあるかもしれないのでいつか見てみたいもんです。

ともかくこのKrauchの活躍をまとめとして触媒・高圧リアクタ・水素精製・水素高純度化の四天王すべてが倒され、ついに1913年に年3万6千トンの硫酸アンモニウム生産に相当するアンモニアを合成できる量産プラントを立ち上げることになります。こう見ていくと本件がマンハッタン計画と並び称される20世紀科学(化学)界の大プロジェクトであるということは十分ご理解いただけると思います。会社の方向性について社長(Brunck)が覚悟を決めるというのはこういうことを言うのでしょう。

残念ながらそのBrunckは1911年に心臓発作で亡くなり、世界初の量産に立ち会うことはできなかったのですが、この巨大プロジェクトをBoschの力量を見抜いた眼力と投資を決めた決断は(良くも悪くも)世界を大きく変えることになりましたのでおそらく本望だったと思います。繰り返しになりますが、そんなに大きな規模ではない一企業の個人レベルの決断がのちの歴史を根本から変えたのは化学史上はこの時以外そう見られないのではないかと個人的に思っております。

Heinrich von Brunck 亡くなる直前の肖像画(ドイツ版Wikiより引用)
IGファルベンの母体となったカルテル前駆体の設立にも大きな役割を果たした

なおBASFコソコソ噂話ですが…全部うまくいって肥料化するところに落とし穴がありまして、この一騒動については筆者が知る限りどこにも書いてなかったのでメモとして記述しておきます。

要はアンモニアと硫酸を混ぜて硫安を作るところでのだけのプロセスで鉛製の水面検知ウキ(Blei Tauchglocken)や周辺のポンプ類が腐食でダメになってしまい、それを一向に収束できないという大トラブルが起きて、鉛の純度が問題とみて調べてみるけど高純度にしても収まらない、表面に色々コーティングとかしてみても収まらないの繰り返しが続き、業を煮やしたBoschがブチ切れた挙句に「おまえらここから帰るな!」と言って工場の扉という扉をコンクリで埋めたというところまで部下を追い込んだ事件があった次第です。パワハラという言葉がまだない時代のほんわかしたトラブルですね。

ただ、これは結構根が深くて現代にも通じるようなことがあるのではないかと思います。問題が発生した理由だけ書いておきますと、HB法によるアンモニア純度が「高すぎた」という、ちょっと考えてみて不思議に感じる話でした。

石炭からコークスを作る処理で出てくる副生成物のイメージ[文献3]
(関西熱化学殿の このページ がわかりやすい)
NH3の分量としては0.3%未満だが需要が大きく結構な稼ぎになっていたもよう

BASFはHB法成立前にもコークス・石炭由来でのアンモニア(Kokereiammoniak)を使って硫安肥料を少量生産していたということがあるのですがそのアンモニアはかなり純度(Reinheit)が低くCO2を多く含んでいました。これは水中で炭酸アンモニウム塩の微粒子を形成し懸濁液となるのですが、Boschらはこの騒動前にこの懸濁粒子が液内の攪拌を促進させて全体のアンモニアの濃度を均一化させていた、ということを見抜いていなかったのです。

一方、今回の完成したプロセスのアンモニアはもう高純度もいいところ。炭酸塩など出来るわけもなく、この高純度アンモニアをドカドカ硫酸水溶液に放り込むと上記のような微粒子が出来ない。その結果攪拌が効率的に行われず濃度ムラが出来てしまって部分的に過飽和のアンモニア水溶液ができた状態となり、前述の部品類を直撃し腐食が急激に進行した、というのが顛末でありました。なお鉛は硫酸塩になった形態ではアンモニア水に対しかなり溶けやすいという特徴を持っていたこともこの過程で明らかとなったようです。

この経験に対しBoschは後の講演で反省気味に「こんな単純なプロセスのスケールアップで苦労するとは思わなかった、キロ単位からトン単位に量を上げるときの怖さを思い知った(大意) 」という発言をしています。これは小なり大なり化学プロセスを一度でも経験されたことのある方なら身に染みる言葉ではないでしょうか。筆者はこの発言を見たときにBoschの人間臭さを少し認識することができた気がしており、かなり興味深い文節でありました。

四天王を倒した終わりに

こうして世界初のアンモニア合成大規模化に成功したBoschはあっという間にBASFの役員会の一人(注:発足当時から合同会社でしたので、オーナー企業とは違い役員が議論し経営方針などを決める仕組みが出来上がっていました)に上り詰め、エンジニアからマネジメントへの領域へ足を踏み入れることとなります。

Bosch 役員時代(あたり)の数少ない写真
筆者のフォルダから出てきたが出典不明(すみません)

少し時間軸が前後してしまいますがこの後Boschの人生を左右する人物の発言について最後に書いておきます。その人の名はCarl Duisberg。レバークーゼンを本拠地とする巨大企業Bayerの首魁で、すでにAgfa、BASFとHoechstをまとめてIG Farbenの母体ともなった染料メーカ共同組織(いわゆる「トラスト」)をオーガナイズした政治力はもちろん、一流の化学者としても名をはせていたやり手の経営者でありました。本人の活躍はまた次回以降に述べるとして、このDuisbergは1915年にドイツ帝国議会で行った講演で非常に重要な発言を行います。

Carl Duisberg ドイツ語版Wikiより
寡黙なBoschと違い雄弁・有能・快活な印象を振りまく人物であったと記載されている
筆者の嫌いなタイプ

“Erst der Direktor der Badischen Anilin-Fabrik, der hier anwesende Herr Dr. Bosch, hat dieses Verfahren in die Praxis umgesetzt. Man muß also von einem Haber-Bosch-Verfahren sprechen. Eine maßgebende Authorität, Exzellenz Fischer, hat die in Ludwigshafen errichitete Fabrik als die größte technische Leistung, die je auf dem Gebiet der chemischen Industrie gemacht wurde, gerümt. Ludwigshafen denkt nicht daran, wie es die Erfinder des Kalkstickstoffs getan haben, ins Ausland zu gehen, obgleich ihm von Amerika die größten Anerbietungen gemacht worden sind. Man nimmt in Aussicht, auf dieses neue Verfahren, das nur Koks und Gips als Rhmaterialien benötigt, eine große nationale Industrie zu gründen…”

そう、”Haber-Bosch Verfahren“。つまり「ハーバー・ボッシュ(合成)法」。これこそHaberらが創成しBoschらが発展させた合成方法が公式に名付けられた瞬間でした。ほかの文面などを見てもこの単語が1915年以前には出てこないことを考えるとDuisbergが名付け親であると考えてよさそうです。

ただ、実現のための課題があまりにも苛烈であったが故にBosch以外に誰にも引っ張っていけなかったであろうこの合成法が、Bosch自身も含め世界を思いもしない方向に進めていくということはこの時点で誰も想像もしなかったでしょうが…。なおなんで帝国議会で一企業の経営者がこういう発言をするかということなのですが、既にこの時第一次世界大戦の歯車が回りだしていて好むと好まざるとに関わらずドイツ重化学工業は国家の活動の中に組み込まれてしまっていたためなのです。

次回はアンモニア合成が回りだしBASFが肥料メーカ・化学品メーカとして大きく成長していくまで、そして第一次世界大戦が勃発する中でどうBoschが立ち回ったかあたりを書いてみますが、次回以降は技術的な部分はやや薄まりBASFのボードメンバとしての活躍に関する記述が多くなりますことをお許しいただければと思います。さわりだけ書いておきますと、少し時間を遡ってこのプロジェクトを支えた社長のBrunckが世を去った直後にCarl Duisbergとの最初のバトルが始まるところからです。

少し後になるがBoschとDuisbergが同時に描かれた有名な絵画
ドイツ語版wikiより引用

それでは今回はこんなところで。

→”その10” へ

参考文献

  1. “Zur Entwicklung der chemischen Hochdrucktechnik in Deutschland”, Volume29, Issue4 237-240 Carl Krauch, 1957, リンク
  2. “一酸化炭素分離精製法の進歩”, 小宮山真, 有機合成化学協会誌 41 巻 (1983) 6 号  リンク
  3. 「歴史の中の肥料 3」高橋英一 農業と科学 2005年9月号 JCAMアグリ㈱ リンク

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