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スポットライトリサーチ

従来製品の100 倍以上の光耐久性を持つペンタセン誘導体の開発に成功

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第397回のスポットライトリサーチは、大阪市立大学大学院 理学研究科 量子機能物質学研究室(当時)の吉田 考平(よしだ こうへい)博士と南 錦(みなみ にしき)さん(前期博士課程2022年度修了)にお願いしました。

量子機能物質学研究室 分子スピン科学グループでは、機能性π電子系物質の基礎物性を専門とし、分子性物質に基づく新しい機能性発現(光誘起スピン整列、光誘起磁性等の複合機能や量子機能)を目指して研究を行っています。プレスリリースされた研究の概要ですがペンタセンやその誘導体は、それらの高い電荷(ホール)の移動度のため、有機半導体の代表格として、基礎と応用の両面から多くの研究がなされてきました。特に、電界効果トランジスタ等の半導体デバイスへの応用が期待されています。また、有機半導体はインクジェットプリンティングによる安価な素子作成が期待でき、かつ金属を用いないので環境負荷も少ない利点があります。しかし、ペンタセン等の有機半導体の骨格は、可視光の下では酸素分子と容易に反応してしまい、有用な特性を消失するという問題点があり、実用化に向けて光耐久性の向上が課題となっていました。そこで本研究では分子の平面性を高めて、π電子の共役を強めることにより、市販のTIPS-ペンタセンを遥かに凌駕する光耐久性を実現しました。

この研究成果は、「Physical Chemistry Chemical Physics」誌およびプレスリリースに公開されています。

π-Topology and ultrafast excited-state dynamics of remarkably photochemically stabilized pentacene derivatives with radical substituents

Minami, N.; Yoshida, K.; Maeguchi, K.; Kato, K.; Shimizu, A.; Kashima, G.; Fujiwara, M.; Uragami, C.; Hashimoto, H.; Teki, Y. Phys. Chem. Chem. Phys., 2022, 24, 13514-13518.

DOI: https://doi.org/10.1039/D2CP00683A

研究室を主宰されている手木 芳男先生より、お二方についてコメントを頂戴いたしました!

南君は、学部 4 年生から前期博士課程(修士)の 3 年間、吉田孝平さんは、特任助教としての 3 年間、安定ラジカルを置換基として有するペンタセン誘導体の研究を進めました。南君は研究室に配属された当時から粘り強い学生で、納得できないところは自分で良く考えて、また積極的に質問してくる学生でした。吉田さんは物性有機化学の研究室で学位を取得した若手の研究者で、視野を広げる目的も有り、少し異なる分野(物理化学、スピン科学)である当研究室に来てくれました。学生に慕われた温厚な性格の持ち主です。温厚すぎて、もう少し自己主張をしないと損をしている面もあるのではと感じることも有りました。実はこの研究は、完成までに 5 年ほど要した研究で、他にも複数名の大学院生が関わっています。また、超高速励起状態ダイナミクスの測定では、関西学院大学の橋本秀樹先生のグループのお世話になりました。純度の高い最終生成物の単離・精製や、それらを用いた確度の高い励起ダイナミクスの測定と解析、再現性の確認等、幾つもの障壁がありましたが、南君や吉田さん、それとこの研究に関わった他 4 名の学生(清水君、加藤君、前口君、加島君)の粘り強い努力が実を結んだ結果です。

Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。

南さん

ペンタセンやその誘導体は高いホール移動度のため有機半導体材料として有望ですが、可視光存在下で酸素と反応してその特性を失ってしまうという欠点があります。本研究ではその課題を克服するために、ペンタセンに安定ラジカルを付加して増強系間交差 (Enhanced Intersystem Crossing) を引き起こすことにより、結果的に分子が励起状態にある時間が短くなり、従来製品の 100倍以上の光耐久性を達成しました。

系間交差は異なる電子スピン多重度を持つ状態間で起こる無輻射遷移であり、ここではペンタセン部位が励起一重項 (S1) 状態から励起三重項 (T1) 状態に移る過程のことでスピン禁制な遷移です。しかし、ラジカルを付加することで系間交差前後で分子全体のスピン多重度の変わらないスピン許容な遷移になります。このことにより系間交差が高速化し、励起種の中でも最も酸素との反応性が高い S1 状態の寿命を 4 桁短くすることができた結果、光耐久性の大きな向上を達成できたことがわかりました。

今後、合成した高い光耐久性を持つペンタセン−安定ラジカル誘導体が電界効果トランジスタなど分子デバイス材料に展開され、有望な有機半導体材料として大きく羽ばたいていくことを期待しています。

吉田博士

ペンタセンやその誘導体は高いホール移動度のため、有機半導体のベンチマークとして広く知られていますが、ペンタセン骨格は可視光下で酸素分子と容易に反応することでその特性を失ってしまうこともまたよく知られています。この問題を解決する一つの手法として、当時所属していた研究室では、これまでに、ペンタセンに安定有機ラジカルを導入した化合物が著しく高い光耐久性を有することを報告しており(Angew. Chem., Int. Ed. 2013, 52, 6643–6647.)、この光耐久性の機構がラジカル導入により引き起こされるペンタセン部位の励起一重項状態から励起三重項状態への超高速の系間交差、そして後に続く基底一重項状態への失活であることを以前に明らかにしていました(Angew. Chem., Int. Ed. 2014, 53, 6715–6719.)。

本研究では導入するラジカル部位とペンタセン部位をエチニル基で架橋することによって分子全体の平面性を高めてラジカル部位が有する電子スピンとペンタセン部位のπ電子との相互作用をより強めることにより、製品としても入手可能であり比較的安定な TIPS-ペンタセンと比較しても 100 倍以上の光耐久性を有したペンタセン誘導体の開発に成功しました。この高い光耐久性はフェムト秒領域の過渡吸収スペクトルから、重原子を持たない純粋な有機化合物として非常に珍しい百フェムト秒オーダー(10-13 秒)の超高速の系間交差と後に続く基底状態への超高速の失活によるものであることを実験的に明らかにしました。

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。

南さん

本研究では合成に多くの時間を要しました。目標物質が一般的に不安定と言われているラジカルであるということもあり、収率が多少落ちても各工程で100%に近い純度になるまで精製することに強くこだわりました。こうすることで、次段階で合成がうまくいかず原因を考える際に、それより前段階に遡って考える必要がなくなるからです。そして、本研究すべてに関わることですが、先生や先輩からアドバイスいただいたことと自分の経験や感覚をうまく組み合わせて、自由な発想を持って実験を行うことを意識しました。こうすることで実験自体が機械的な作業にならず、楽しんで行うことができました。

吉田博士

最終化合物のペンタセン-ラジカル体は高い安定性を有しているのですが、前駆体まではラジカル部位による安定化の寄与が働かないので TIPS-ペンタセンと同程度の安定性しかありません。そのため実験室を薄暗くして暗所にて実験を行うようにしていました。普段は明るい実験室で研究を行っていたため、慣れない暗い部屋の中だとカラムクロマトグラフィーなどの操作も難しくなるので暗い中でも目立つように付箋などを貼っていました。またカラムなどに用いる溶媒なども酸素を取り除くために必ず脱気してから使用するなど注意深くやったことを覚えています。

Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?

南さん

ラジカルは一般的に反応性が高く、不安定な物質であるため、合成の最終段階でラジカル生成は確認できてもその純度を上げることが難しかったです。本研究の目玉である光耐久性測定実験では、不純物の割合が多いほどラジカル本来の光耐久性を見積もることが困難になりました。ラジカルの純度を上げるために何回も前段階から合成を繰り返し、精製方法の検討を行いました。中には使う溶媒を変えるだけでラジカルが壊れてしまうこともありました。ですが、何通りも行っていくうちに最良の精製結果をもたらす条件の組み合わせを見つ
けることができました。見つけることに時間はかかりましたが、純度の高いラジカルを合成することができてよかったです。また、各励起種の寿命を求める際には、考えられる励起状態ダイナミクスを元に反応速度式を導出し、過渡吸収スペクトル結果を解析しました。当初、ペンタセン部位が励起三重項である状態は T1 状態のみと考えていましたが、それではスペクトル結果を説明できず、最終的に第二励起三重項 (T2) 状態が関与していることがわかり説得力のある結論を導くことができました。この結論に至るまで何度もデータを見直し、先生方と議論したことが印象に残っています。

吉田博士

光耐久性の測定です。ペンタセン-ラジカル体は電子スピンを有しているので NMR 測定からその純度を判断するのは難しいです。いざ精製できたと思って光耐久性を測定すると、不純物を多く含んでいたことなどもあり精製には苦労しました。また、光耐久性が TIPS-ペンタセンに比べ 100 倍以上大きくなってしまった影響により、光照射時間が長くなりどうしても実験誤差が大きくなってしまいました。手木先生からアドバイスをいただき、照射する光を37 mW から70 mW に変更してやってみると光照射時間を短くすることができ、質の良いデータを得ることができました。

Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?

南さん

現在は基礎研究から離れ、化学の中の違う分野の会社で働いています。分野に関わらず化学は社会で必ず必要とされ、化学の力がなければ我々の身の回りにある製品は生まれておらず、PC やタブレットさえも使えなくなります。これからは社会人として、環境に配慮しつつ、より社会を豊かにできるような製品や技術を作り出していきたいと思います。

吉田博士

未知の世界の発見の手段として、化学はこれまでになかったものを新たに合成により作ることのできる大変魅力的な学問だと思っています。自分の頭や手足を使って、直接新しい発見をして自然の本質を解き明かし、真実に近づくことができるこの学問の面白さや研究の楽しさを大切にしながらいつまでも探求心を持ちながら化学と関われればと考えています。

Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

南さん

個人的に、研究において自分の思った通りの結果が出たことはあまり多くなく、得られた結果から考察することで予期していなかった新しい事象やメカニズムが明らかになったケースが多かったように思います。なので、期待した結果が得られなくてもすぐに諦めず、「なぜこうなったのか」を考えてみることで深く正しい理解に繋がったり、新しい発見ができたりします。その理解や発見は自分だけでできるものではなく、先生や先輩、友人とのふとした会話から生まれることもあります。ですから、お話しする内容に関わらず、いろんな人と接する機会を増やしてみてください。最後になりますが、本研究を行うにあたり熱心にご指導頂きました手木芳男教授はじめ先生方にこの場を借りて感謝申し上げます。

吉田博士

失敗が続くとどうして辛くなってしまう期間もあるかと思いますが、そういった時はなんでもいいので自分の好きなもの、楽しいこと見つけて人生と研究のバランスをとってみて下さい。最後に、本研究を進めるにあたりご指導いただいた手木先生をはじめ共著者の皆様にこの場を借りて感謝申し上げます。また、学生時代からよく利用していた Chem-Station にてこのような機会が訪れるとは思ってもいなかったため、本当に嬉しく感じます。

研究者の略歴

名前:南 錦
所属(当時):大阪市立大学 大学院理学研究科 物質分子系専攻 量子機能物質学研究室 前期博士課程 2 年
研究テーマ(当時):πトポロジーを考慮して励起スピン状態を制御した、新規ペンタセン−安定ラジカル連結系の合成とその物性

名前:吉田 考平(よしだ こうへい)
所属(当時):大阪市立大学 大学院理学研究科 物質分子系専攻 特任助教 (現所属:大阪公立大学大学院 理学研究科 博士奨励研究員)
研究テーマ(当時):ラジカル導入有機π電子系の基底状態及び励起状態におけるπトポロジー依存性の解明

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ただの会社員です。某企業で化学製品の商品開発に携わっています。社内でのデータサイエンスの普及とDX促進が個人的な野望です。

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