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スポットライトリサーチ

原子状炭素等価体を利用してα,β-不飽和アミドに一炭素挿入する新反応

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第495回のスポットライトリサーチは、大阪大学大学院工学研究科 応用化学専攻 鳶巣研究室の仲保 文太(なかやす ぶんた)さんと同研究室に在籍されていた神谷 美晴(かみたに みはる)さんにお願いしました。

本プレスリリースの研究内容は、原子状炭素等価体を利用した一炭素増炭反応についてです。ラジカル、カルベン、カルバインはそれぞれ、前駆体となる安定な化合物が開発されており、これらの不安定化学種を化学反応で活用する方法論が確立されています。これに対して、炭素原子は、結合の手がなく、わずか4つの価電子しか持たない極めて不安定な化学種であり、それゆえ、化学反応での利用は実用的な観点からは達成されていませんでした。炭素原子は、化学反応に利用することができれば1つの炭素中心に対して4つの化学結合を形成可能であり、これまでにはない新形式の化学反応への応用が期待されます。しかし、炭素原子の等価体として振る舞う適切な化合物がないことが課題となっていました。そこで本研究グループでは、アミド化合物にN-ヘテロ環状カルベン(NHC)を反応させることで、炭素原子1つだけが正確に埋め込まれてγ-ラクタム化合物が得られるという反応を発見しました。

この研究成果は、「Science」誌に掲載され、プレスリリースにも成果の概要が公開されています。

Single–carbon atom transfer to α,β-unsaturated amides from N-heterocyclic carbenes

Miharu Kamitani, Bunta Nakayasu, Hayato Fujimoto, Kosuke Yasui, Takuya Kodama and Mamoru Tobisu

Science. 2023, 379, 6631, 484–488

DOI: doi.org/10.1126/science.ade5110

研究室を主宰されている鳶巣守 教授より仲保さんと神谷さんについてコメントを頂戴いたしました!

この研究は学生たちがリレーのようにバトンをつないで最後に一つの論文にまとまりました。それぞれのファインプレーが光ります。僕の専門は遷移金属触媒反応ですが、当時学生だった安井さん(2023年4月から阪大平野研助教)がD2のときに突然「NHC触媒やります!」と僕の専門とは異なる求核性有機触媒のテーマを始めました。彼のこのはじめの一歩がないと、今回のドラマは生まれませんでした。安井さんがNHCのテーマをトントン拍子に広げていったので、手が足りなくなり、4年生でやってきた神谷さん(現在ダイキン工業勤務)にチームに加わってもらいました。神谷さんはスーパーポジティブかつスーパー実験大好き学生で、安井さんと一緒にNHC触媒によるSNAr反応をすさまじい勢いで展開させました。そんな中、副生成物の生成を見落とさなかったことが今回の発見につながっています。しかし、さすがの神谷さんでも論文化に必要なすべての実験を終わらせるには、時間が足りませんでした。その後は、後輩の仲保さんがバトンを受け取りました。仲保さんは陸上部で趣味もランニングです。コツコツ、コツコツと13C標識実験やアプリケーションのデータを集めてくれました。論文化にあたっては、いかにこの反応の魅力を伝えるかに苦労しました。研究室内のミーティングで藤本さん(当研究室助教)が、NHCの共鳴構造として炭素原子等価体とみなせる寄与を書ける、と指摘してくれました。これがSCADを発想するきっかけとなりました。兒玉さん(当研究室助教)は、研究室内のX線構造解析を一手に引き受け、昼夜問わず論文投稿に耐える良質のデータ解析を担当してくれており、今回の研究でも生成物の構造を間違いなく決定するのに貢献しています。このような魅力あふれる仲間たちのファインプレーのどれが欠けても本研究は成立しませんでした。「まさに奇跡!」と、おおげさですが振り返って思います。

Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。

仲保さん

NHCを原子状炭素等価体として用い、α,β-不飽和アミドに一炭素挿入してγ-ラクタムを合成する反応です。これまで一炭素増炭反応に用いられる試薬は数多く開発されてきましたが、最も単純なC1源である原子状炭素は有機合成の観点からほとんど検討されていませんでした。物理的手法により発生した原子状炭素の反応性や、不安定前駆体から原子状炭素を化学的に遊離させて反応させる例はあるものの、原子状炭素の不安定性から実用的な合成展開には限界がありました(図1下)。

図1. SCAD反応の定義(上)とSCAD反応の従来法(下)

原子状炭素に特有の反応として、反応の前後で分子式を比較した際に炭素原子一つだけが増加する反応(Single Carbon Atom Doping, SCAD)がありますが(図1上)、本反応ではNHCを原子状炭素等価体として用いるα,β-不飽和アミドへのSCAD反応が進行していると言えます(図2左)。また、NHCは炭素原子にジイミンが配位した極限構造を書くことができますが、本反応はまさにこの構造を反映した変換反応といえます(図2右)。

図2. 本研究の概要図(左)とN-ヘテロ環状カルベンの極限的な共鳴構造(右)

この反応の変換としては、まずフェニル基が窒素原子から二重結合の末端に移動しています。また炭素原子を取り込みながら環化反応が進行しており、もともとアルケン末端にあった二つの水素が取り込まれた炭素原子上に移動しています。反応全体として三つのC–N結合と二つのC–H結合切断と、一つのC–N結合と二つのC–H結合と一つのC–C結合形成が起こっています。

神谷さん

本研究では N–ヘテロ環状カルベン (NHC) を安定な炭素原子等価体とする一炭素増炭反応を初めて実現できました。炭素原子そのものは反応性があまりに高く、有機合成で用いても様々な生成物を与えるなど取り扱いが困難です。しかし、化学的に安定な NHC を用いることで炭素原子そのものを導入した分子変換 (Single Carbon Atom Doping, SCAD) を実現できました。

実はこの反応は NHC 触媒による協奏的 SNAr (Angew. Chem. Int. Ed. 2019, 58, 14157–14161) の副反応だと当初は認識されていました。それもあって、この反応がまさか Science にアクセプトされるとは思ってもみなかった、というのが正直な感想です。

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。

仲保さん

今回の反応の開発にあたって思い入れがあるのは13Cの標識実験です(図3a)。本反応で導入された炭素原子の由来を追跡するためにおこなった実験であり、2位の炭素原子が13Cで標識されたNHCを使っておこないました。このNHCはparaformaldehyde-13Cを原料に合成したのですが、原料の値段が高価なこともあり、普通のparaformaldehydeで原料合成を何回も練習し、本番で合成する際はかなり緊張しました。結果、ラクタムの窒素の隣の炭素のみが標識されていることがわかり、ジイミンを観測した結果からも(図3b)、本反応ではNHCの2位の炭素原子がこの位置に取り込まれていることを証明することができ、印象に残っています。

図3. 炭素原子の由来を確かめる実験 a)13Cの標識実験とb)ジイミンの観測

神谷さん

生成物の収率向上です。この研究に取り組み始めた少し後に、アニリン由来のアクリルアミドからの Truce-Smiles 転位反応 (Org. Lett. 2021, 23, 1572–1576) も見出しました。用いる NHC によってはこの転位反応が SCAD 反応でも併発するため、目的物の収率を上げきれないことが最初の課題でした。最適な NHC を探索していた段階では、SCAD 反応の反応機構がはっきりとはわかっていませんでしたが、鍵中間体であるスピロ中間体を形成しやすいものならば、副反応を抑制できるだろうと考え、置換基が小さいNHCを選択しました。その結果、SCAD 反応が選択的に進行し、大幅な収率向上に繋がりました。

Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?

仲保さん

本反応は反応機構で未知の部分が多くあり、推定機構の決定が難しかったです。NHCを用いた反応は、触媒反応についてはこれまで研究されてきましたが、NHC自身が反応剤となるような例は未開拓だったので、起こった現象について説明がつかないことが多く、研究していて楽しい反面、難しくもありました。しかし、担当教員とのディスカッションや、収率の低い基質でも注意深く見ることで、反応の中間体由来の生成物や反応機構を支持する実験結果を得ることができ、推定反応機構を決定することができました。

神谷さん

ラクタムの構造決定が最も難しかったです。GC–MS で一炭素のみ増えている化合物ができていることは既に明らかでしたが、構造がわからない期間が長く続きました。なぜなら、その当時は NHC 触媒による Truce-Smiles 転位反応 (上述) も見つかっていなかったため、基質の C–N 結合が切断され、さらに反応が進行してまさかラクタムができているとは誰も予想できなかったです。特に C–N 結合が切断されていることは本当にわからず、最初は原料から一炭素のみ増えたアレンかと思っていたのですが、13C NMR で矛盾がありました。種々の2次元 NMR を測定し、パズルのように解析を進めていくうちに 5 員環ラクタムだと矛盾がないのではないか、と気付きました。それでも、γ 位のジェミナルプロトン同士のカップリング定数に違和感があることから、なかなか確信は持てませんでした。SciFinder でこの化合物を検索してみると、九州大学の新藤先生が報告しておられましたが、SI でスペクトルが参照できない年代の論文だったので、問い合わせてみると快くスペクトルを共有して下さりました。そのスペクトルが目的物の NMR チャートと完全に一致していることを確認できたときの感動は今でも忘れられません!

Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?

仲保さん

来年度からは化学系の企業に就職が決まっています。本研究での知識が直接生きることはないとは思いますが、大学で得た研究に対する姿勢や有機合成の経験をもとに、企業でも化学の研究を進めていきたいと考えています。

神谷さん

現在すでに私は企業で働いています。大学の研究とは違い、企業での研究はお客さんとの距離が近いです。ニーズがわかるからこそ、社会にイノベーションを起こせるようなモノづくりを夢見ています。そのツールとして化学を極め、人々に感謝される研究者になりたいです。

Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

仲保さん

ここまで読んでいただきありがとうございます。

この反応は初め、別の反応の副反応として発見され、たくさんの人が関わって論文化に至りました。この研究で私が学んだことは、ベタですが、いろんな人からアドバイスをもらうことの大事さと、失敗した実験にこそ本当に重要な情報があるということです。実験結果をよく観察し、いろんな人と話し合って、自分では気づかなかったことを他の人に指摘されて気づいたり、逆に他の人が気づいていないことを自分が気づいたり、そういうことの積み重ねで研究が進みました。当たり前のことですが、これらの重要性を、本研究を通して再認識しました。

最後になりましたが、本研究の遂行にあたり熱心にご指導いただいた鳶巣守教授、藤本隼斗助教、X線構造解析にご協力いただきました兒玉拓也助教、本テーマのきっかけを見出された京都大学のiCeMSの安井孝介特定助教、研究室の皆様、並びに本研究を取り上げてくださったChem-Stationのスタッフの皆様にこの場を借りて心から感謝を申し上げます。

神谷さん

本反応開発は驚きの連続でした。まさかNHCの一炭素が基質に挿入されるとは思っていなかったですし、ラクタムができているとも思っていませんでした。化学はこういうところに面白さがあると思います。考えられないことを実現する、この楽しさ、面白さを本投稿で読者のみなさんと共有させていただきたいです。

最後になりましたが、指導いただいた鳶巣研のスタッフのみなさん、学生のみなさんに感謝申し上げます。

研究者の略歴

名前:仲保 文太(なかやす ぶんた)

所属:大阪大学大学院工学研究科・応用化学専攻・鳶巣研究室

略歴:

2021年3月 大阪大学工学部・応用自然科学科卒業

2021年4月~現在 大阪大学工学研究科・応用化学専攻博士前期課程

名前:神谷 美晴(かみたに みはる)

略歴

2019年3月 大阪大学工学部・応用自然科学科 卒業

2021年3月 大阪大学工学研究科・応用化学専攻 博士前期課程 修了

2021年4月 ダイキン工業株式会社 入社

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ただの会社員です。某企業で化学製品の商品開発に携わっています。社内でのデータサイエンスの普及とDX促進が個人的な野望です。

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