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化学者のつぶやき

超微細孔 MOF 内の Cu(I) サイトによる強い水素吸着とその同位体効果の応用

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Long らは、超微細孔質の金属–有機構造体 (MOF) に π 塩基性の配位不飽和金属サイトを導入することで、軌道相互作用と細孔閉じ込め効果を協働的に発揮し、これまでの多孔性材料において最も強い水素の吸着を実証しました。その強い水素吸着に関して、熱力学同位体効果と速度同位体効果を調査し、室温条件での水素同位体ガスの分離の可能性を提案しました。

Toward Hydrogen Isotope Separations through Strong H2 Adsorption at Open Cu(I) Sites in an Ultramicroporous Metal–Organic Framework

Yabuuchi, Y.; Furukawa, H.; Klein, R. A.; Tkachenko, N. V.; Zakaria, N. I.; Dods, M. N.; Karstens, S. L.; Moon, H. J.; Vuong, M. K.; Santoso, M. S.; Riascos-Rodriguez, K.; Carsch, K. M.; Evans, H. A.; Cheng, Y.; Shepytakov. D.; Bustillo, K. C.; Minor, A. M.; Drisdell, W. S.; Head-Gordon, M.; Brown, C. M.; Long, J. R. J. Am. Chem. Soc. 2026, 148, 24721–24739. DOI: 10.1021/jacs.6c00512

学術的問題設定: 軌道相互作用による水素吸着を強めるには?

金属–有機構造体 (metal–organic frameworks; MOF) が配位不飽和な金属部位 (coordinatively unsaturated metal sites, 別名 open metal sites) を持つとき、その金属部位は錯形成によってガス分子と相互作用することができ、典型的な物理吸着よりも強く、選択的なガス吸着を示すことがあります1,2。特に π 逆供与を示す配位不飽和金属は、適切な対称性を持つ空軌道を有するような小分子 (π 酸; H2, N2, CO, C2H4 など) と軌道相互作用することができ、分極性やサイズやサイズに頼る従来のガス吸着とは異なる機構でのガス分離ができると考えられています。

しかし、π 酸のなかでも水素 H2 は比較的 π 酸性が弱く (LUMO のエネルギーが高く) 、室温の穏和な条件で大きい水素の吸着量を実現することは既存の MOF では難しいとされています。現在報告されている MOF において最も強い水素吸着を示すのは CuIM-MFU-4l  (M = Zn, Mn, Cd) と呼ばれる一連の MOF です2,3。この CuIM-MFU-4l では 、三角錐構造を持つ電子豊富な CuI の d電子が H2 に  π 逆供与されることで相互作用します。Long らは、以前に M の種類を変えることで CuI の三角錐構造を微調整することができ、CuI での水素の吸着エンタルピーを制御できることを報告していました3。なかでも M = Zn の場合に最も強い水素の吸着が確認されており、CuIZn-MFU-4l の水素吸着はこれまでに報告されている MOF において最も強いものでした。

水素分子と金属の相互作用を制御する方法は、水素錯体の研究によって理解されています4。しかし今回 Long らは、CuI サイトの配位環境よりもむしろ、多孔性材料特有の因子によって、さらに軌道相互作用由来の吸着を強めることができないかを検討しました。例えば、7 nm 以下の超微細孔 (ultramicropore) をもつ多孔性物質では、その超微細孔の両側の壁からの分散力によるポテンシャルエネルギーの井戸が重なり合って強め合うことで物理吸着が強められることが、細孔閉じ込め効果 (pore confinement effect) としてよく知られています5,6。CuIZn-MFU-4l は比較的長い配位子で構成されているため、細孔閉じ込め効果は発揮されないと考えられます。 Long らは、CuIZn-MFU-4l を類縁体を短い配位子で合成してその水素吸着挙動を調査することで、軌道相互作用由来の吸着が細孔閉じ込め効果によってどの程度強められるかを明らかにすることをリサーチクエスチョンの 1 つとしました。

社会的意義: 室温での水素同位体の分離

強い水素の吸着を得ることは、水素同位体の分離に利用できると考えられます。水素の同位体の分離にはH2O–H2S を利用した化学交換法 (Girdler sulfide process)、水の電気分解、そして水素ガスの深冷蒸留などがあります7。それぞれのプロセスに利点や欠点はありますが、共通していることは多くのエネルギーを必要とすることです。例えば水素ガスの深冷蒸留の場合、水素を液化するには 20 K 程度の極低温が必要であり、さらに同位体置換体の分子同士は一般的に性質が似ているため分離効率も高くありません8。

一方、効率的な水素同位体分離法の発展が、近年望まれています。その理由は、例えば半導体産業9や医薬品10において重水素を利用される工業的応用例が最近になって実装されており、重水素の需要が高まっているからです。

そのような社会的背景から、多孔性材料を利用した重水素分離の研究も活発に行われています11。しかし、一般的には弱い水素の吸着エンタルピーが原因で、多くの多孔性材料による重水素分離は100 K 近くで評価されてきました。

一方、分子性水素錯体が熱力学的な同位体効果によって重水素を室温付近でも選択的に配位できることは、1990 年代から知られていました12。具体的には、金属とH2 分子周りの振動に関する零点エネルギーが水素の同位体ごとに異なっており、より重い重水素では振動の零点エネルギーが小さく、金属–D2 結合を切り離すためにより大きなエネルギーが必要なのです (= 結合エネルギーが大きい)。

近年になって固体状態の一部の分子性水素錯体のガス吸着も研究されるようになっていますが13,14、一般的には分子性水素錯体は非多孔質なので、固体状態では金属サイトに効率よく水素が拡散できない欠点があります。

Long らは、軌道相互作用由来の水素吸着によって室温付近で十分な量の水素を吸着できるMOF を開発することで、分子性水素錯体と同様の熱力学的同位体効果によって室温付近で重水素選択性が発現でき、室温での水素同位体分離の発展につながると考えました。MOF の多孔性によって、容易な水素分子の拡散を促進し、分子性水素錯体の欠点を克服できると考えたのです。

成果の概要

  1. これまでの文献で最も強い水素吸着を示す MOF の CuIZn-MFU-4l の類縁体として、それよりも短い配位子で構成される MOF の CuIZn-MFU-4 を合成しました。
  2. 新たに合成された CuIZn-MFU-4 における CuI 部位での水素吸着は −38 kJ/mol で、CuIZn-MFU-4l のそれよりも 5 kJ/mol 程度強く、2026年現在報告されている MOF のなかで最も強い水素吸着エンタルピーを記録しました
  3. 様々な in situ 分析や計算化学的手法により、CuIZn-MFU-4 が CuIZn-MFU-4l よりも15% 程度強く水素を吸着する理由は、主に細孔閉じ込め効果と CuI 部位のわずかに強い σ 受容性による電子的効果であることを明らかにしました。
  4. CuIZn-MFU-4 は室温でも D2/H2 選択性を示し、その選択性は従来の多孔性材料が 150 K 付近で示す値と同程度であると見積もられました

主張の有効性検討1: CuIZn-MFU-4 の合成

目的とする CuIZn-MFU-4 は既存の ZnCl-MFU-4 (Zn5Cl4(bbta)3; H2bbta = H2bbta = 1H,5H-benzo(1,2-d:4,5-d′)bistriazole) の合成後修飾によって得ました。ZnCl-MFU-4 に CuI サイトを導入することは、複数の研究者によって試みられていましたが、これまでの報告ではそもそも Cu が導入されなかったり、MOF の多孔性が失われていました。今回の合成手法では、MOF の結晶性や高い表面積を保ちつつ、CuI を導入できました。

Cu の導入はMOF を酸に溶かした溶液を ICP-OES によって確認し、その酸化状態はCu K 端 X 線吸収分析により確かめられました。

主張の有効性検討2: 水素吸着エンタルピーの見積もり

室温 (298 K) での水素吸着等温線では、CuIZn-MFU-4 は 0.2 bar 以下では比較的大きな傾きを示し、1 bar 付近ではなだらかで平坦な水素吸着特性を示しました。これは CuI サイトが室温の 1 bar 程度でほぼ飽和していることを示しています。その吸着等温線の低圧領域の傾きは、 CuIZn-MFU-4l のそれよりも大きく、CuIZn-MFU-4 の強い水素吸着力が示唆されました。

吸着エンタルピーを求めるために Clausius–Clapeyron 式を用いたところ、0.5 mmol/g で −37.8 kJ/mol と見積もられました。その高い吸着エンタルピーは、被覆率が変化してもほぼ一定に保たれていました。

主張の有効性検討3: 強い水素吸着の起源の解明

H2 の振動および回転状態の調査

CuI に吸着した水素の振動や回転を調査するために、in situ ガス投与赤外分光 (infrared spectroscopy; IR) や非弾性中性子散乱 (inelastic neutron scattering; INS) を行ったところ、CuIZn-MFU-4 と CuIZn-MFU-4l ではほとんど違いが見られませんでした。ただし、CuIZn-MFU-4 の方が、H–H 結合の活性化の程度がごくわずかに小さく、π逆供与がやや弱いことが示唆されました。

CuI の電子状態の調査

電子的な違いを調査するために in situ 投与 Cu L 端 X 線吸収スペクトル (X-ray absorption spectroscopy; XAS) を測定しました。Cu L 端 XAS では、Cu の 2p 軌道から 3d 軌道への遷移を分析することができます。今回は d10 電子配置を持つ CuI が対象なので、CuI と H2 の π 相互作用によって生じた d 軌道性を持つ空の反結合性 π* 軌道への遷移に注目しています。

その Cu 2p→π* 遷移は、CuIZn-MFU-4l よりも CuIZn-MFU-4 の方が小さいことが示されました。その理由に関しては、CuI–H2 間の π 相互作用が CuIZn-MFU-4 の方が弱くなっていると解釈でき、IR や INS の結果と一致しています。

計算化学による理論研究

CuIZn-MFU-4 の強い水素吸着の理由を調べるために、DFT 計算をクラスターモデルを用いて行いました。本来の MOF では五核クラスターを配位子が連結することで繰り返し構造を作っているところを、1 つの五核クラスターを切り出して、それぞれ配位子の電気的特徴を模倣したモデルを作りました。具体的には、MFU-4 の bbta2−  配位子の一端をプロトン化したトリアゾールを有するクラスターを CuIZn-MFU-4 のモデルとし、 5,6-dihydroxybenzotriazoleを有するクラスターを CuIZn-MFU-4l のモデルとしました。

これらのクラスターモデルの計算の結果、CuIZn-MFU-4 のモデルの方が1 kJ/mol 程度強く水素を吸着すると予測されました。エネルギー分解分析の結果、その強められた水素吸着の原因は、CuIZn-MFU-4 の方が H2 から CuI へのσ 供与がより強く現れているからであると示唆されました。逆に π 逆供与は CuIZn-MFU-4 の方がやや弱いと示され、分光学的実験結果とおおむね一致する計算結果が得られました。

この理由については、H2bbta と H2btdd (および そのモデルと使用した 5,6-dihydroxybenzotriazole) を比べたとき、H2bbta の方がではトリアゾール環が電子不足で、結果として CuI の電子密度が小さいからだと考えられます。

一方で、クラスターモデルでの計算は、配位子の電気的効果を調査するには適していますが、細孔閉じ込め効果は考慮されていません。実際に、クラスターモデルでの計算から予想された水素吸着エンタルピーの違い (1 kJ/mol) は、MOF の吸着データから得られた吸着エンタルピーの違い (5 kJ/mol) よりも小さいです。したがって、クラスターモデルでは示されなかった両者のエンタルピーの違いが、MOF の細孔閉じ込め効果に由来するであろうと指摘されています。

主張の有効性検討4: 水素同位体分離性能の評価

CuIZn-MFU-4 の強い水素吸着が室温での水素同位体分離に利用できるかを調査するため、室温での HD および D2 の吸着等温線を測定しました。吸着等温線の低圧部分の傾きは、H2 < HD < D2 の順に大きくなっており、吸着エンタルピーがその順番に強くなっていることが示唆されました。Clausius−Clapeyron 式を用いて吸着エンタルピーを計算したところ、0.5 mmol/g での等被覆吸着エンタルピーがH2 −37.8 kJ/mol、HD −39.0 kJ/mol、D2 −39.9 kJ/mol であると見積もられました。その吸着エンタルピーの同位体効果の程度は、クラスターモデルを用いた DFT 計算の振動分析とも一致していました。

さらに、個々のガスの吸着データから、2成分系でのガスの選択性をシミュレーションしました。室温の 1 bar の1:1 混合ガスのとき、CuIZn-MFU-4 は D2/H2 および DH/H2 選択性はそれぞれ 1.35と1.20 でした。これらの選択性は、CuIZn-MFU-4l よりもわずかに向上しており、さらに他の多孔性材料の 100–150 K での選択性に匹敵する値でした。室温付近でも高い選択性を示す理由は、一般的には強い吸着の方が吸着された H2 (および D2) の並進や回転に関する振動の零点エネルギーが大きいので、その分 H2 と D2 での 零点エネルギーの差が大きくなるためと考えられています。

最後に、具体的な水素同位体分離において、今回開発された CuIZn-MFU-4 がどのように使われる可能性があるかを提案しました。水素の同位体分離は、天然存在比からの重水素の濃縮やD–T 核融合炉での廃棄燃料の分離などの場面で利用されると考えられます。今回は天然存在比からの重水素濃縮に焦点を当てて、実際のプロセスの簡易的な技術コンセプトの提案を行いました。

重水素原子 D の天然存在比は 0.015 atom% 程度です。0.015 atom% D が D2 を作っている確率は低いため、普通の水素ガスは 0.03 mol% 程度の HD を含むと仮定できます (H2 : HD = 99.97 : 0.03 mol% のとき H : D = 99.985 : 0.015 atom% になります)。吸着データから予測された HD/H2 の選択率 1.20を考慮すると、そのH2 : HD = 99.97 : 0.03 mol% の混合ガスを MOF に吸着させたとき、吸着相での組成は、H2 : HD = 99.964 : 0.036 mol% になると考えられます。この吸着平衡に達した後、吸着されたガスを回収し、次のステップの MOF に吸着させると、吸着相での HD の比率はさらに大きくなると考えられます。このような吸着と脱着のサイクルを繰り返したときの HD 含有率の変化について、理想的に進行した場合のシミュレーションを行うために、McCabe–Thiele 図を利用しました。McCabe–Thiele 図は、2成分系の蒸留操作の理論段数を図的に求めるために化学工学において利用される手法です。この McCabe–Thiele 法による HD 濃縮の効率を CuIZn-MFU-4 とCuIZn-MFU-4l でおこなったところ、天然存在比から 4 倍に HD を濃縮するのに必要な吸着平衡の数は、CuIZn-MFU-4 の方が 20% 程度少ないことが示されました。さらに CuIZn-MFU-4 における室温条件での HD/H2 選択率 S = 1.20 は、天然存在比からの水素濃縮を行うために現実的に必要な最低限の選択率と考えられている1.1 を超えているため7、今後は実験室レベルでの実証が重要になってくるでしょう。

先行研究との比較

様々な重水素分離の手法が研究されていますが、実際に工業的に操作したときにエネルギー効率やコストの観点から実現可能であるかどうかは、選択率だけでなくプロセスそのもののエネルギー効率や速度論が複雑に絡みます。しかし、20 K 程度の極低温を必要とする水素ガスの深冷蒸留法や大量の電気エネルギーを必要とする電気分解法よりも、常温での圧力スイングによるガス分離は省エネルギーであると予想されます。また、近年活発に研究されている多孔性材料を用いた水素同位体分離研究も、基本的に 100 K 以下であったことを考慮すると、今回の報告は多孔性材料の水素同位体分離の研究に関して新しい方向性を提唱しています。

固体状態の分子性の水素錯体との比較では、MOF の方が配位子を嵩高くすることなくガスがアクセス可能な配位不飽和サイトを設計できるという点で、金属サイトの密度 (すなわち吸着容量) のみを比較すると MOF に分があると考えらます。ただし、最終的な材料の実用性は吸着量だけでなく様々なパラメータが複雑に関与するため、MOF および分子性錯体のどちらのアプローチも今後の研究と比較検討が必要だと考えられます。

議論すべき点

100 K 以下で報告されてきた他の多孔性材料における選択性と比べると、今回報告されている室温での D2/H2 の選択性はそれほど高くないです。室温で等温の圧力スイングで吸着と脱着をするだけで重水素を濃縮できるのであれば、一ステップあたりの選択性がそれほど高くなくても最終的なエネルギー消費が少なるということを、今回の論文は提案しています。今後の研究では、どのような操作条件で分離する場合に、どの程度の選択性が求められるのか、といったより具体的な標的を定義していく必要があるでしょう。

筆頭著者からのコメント

今回の論文は、正直に言うと合成化学的な新規性や斬新さは低いです。もともとは、「配位子を短くして金属サイトの密度を増やし、体積当たりのガスの吸着量を増やそう」という目的で始めたプロジェクトでした。その発想自体は、至極当然で安直な設計戦略だと思います。そして、もともと想定していた応用技術は水素同位体分離ではなく水素貯蔵でした。

合成と吸着実験を始めてみると、水素の吸着エンタルピーが予想よりもかなり強く出て驚きました。孔を小さくすることや配位子の電子的な効果によって、吸着エンタルピーが多少変化することはあるかもしれないとある程度は予想していましたが、予想以上に変化してしまったのです。その予想外の結果を理解するために、K 端 XAS、L 端 XAS、中性子線回折、中性子散乱などの特殊な設備を利用した実験も行い、多くの共同研究者が関わるプロジェクトになりました。そうしてたくさんの共同研究者の協力を得ているからこそ、トップジャーナルに論文を通していくことがプロジェクトのリーダーとしての責任であるとも思い、論文をまとめる段階になって論文のストーリーについて再考することにしました。

通常、水素貯蔵の文脈においては、吸着が強すぎると脱着にエネルギーが必要になるので不向きです。水素貯蔵では水素の脱着の圧力が 5 bar 程度と提案されており、その条件で吸着している水素は取り出せないからです。ただし、それは燃料電池へ水素を供給する場合の条件です。一方、ガス分離においては工業的にも 0.1 bar 程度の真空引きを利用できなくないので、ガス分離を応用に掲げる方が論文としてのインパクトは出るだろうと考えました。

水素の同位体分離に関しては、ここ数年で注目され始めていたことは知っていました。ほとんどの文献が 100 K 以下の低温で性能を評価していたので、室温下で分離の性能が観測できれば、かなりのインパクトが出るであろうと思いました。意気揚々と吸着等温線を図り、得られた結果をみたときは最初はやや落胆しました。多孔性材料を使った重水素分離の研究では、100 K で選択性 S = 10 くらい出ることが知られていたので、いくら室温でも S = 1.35 という値はガス分離を謳うには小さすぎると思いました。しかし、さらに詳しく文献を調査したところ、ほとんどの多孔性材料の研究では、具体的な操作条件の提案をしていないことや、 50 K から室温付近まで温度を上げ下げするようなスケールアップが難しそうな実験方法でガス分離の選択性を評価していたことに気づきました。

普段研究室で CO2 回収のプロジェクトに関して議論するときは、CO2 の排出源に応じて「実際のガス組成はどうなっているのか」や「適切な操作温度はいくらか」という面を必ず気にします。そのような CO2 分離研究の現状と比べると、多孔性材料の水素同位体分離の研究は技術コンセプトがまだ固まっていないと感じました。そのような気付きから、現状の文献では見過ごされていた HD の吸着特性を測定することにしました。そのデータも元にして McCabe-Thiele 法で視覚的に重水素濃縮技術のコンセプトを示すことができたので、既存の研究と比べて技術成熟度が一つ高い議論をできたと思います。応用面に関して文献を徹底的に調査して差別化を図ろうとしたことは「得られた結果からどのようにインパクトを上げるか」という訓練になりました。

また、同位体効果に関して勉強しなおしたこともよい思い出です。同位体の置換では電子的な化学結合のポテンシャルは変わらないので、同位体効果は振動の換算質量や回転のモーメントの変化に由来する零点エネルギーなどから説明できます。それらが、水素の配位化学においてどのような役割を果たすのか、ということを学部レベルの物理化学の教科書に立ち返って理解しなおしたことで、考察をさらに分厚くすることができました。水素は同位体置換によって質量が2倍にも変化する唯一の分子なので、原子 (分子) の質量が化学結合に及ぼす影響を理解するには、ちょうどよいモデルです。総じて、このプロジェクトをまとめ上げる過程で「やっぱり水素って面白い!!」と再確認しました。今回の記事では割愛した詳細なキャラクタリゼーションや同位体効果の議論は、ぜひ論文を読んで楽しんでほしいと思います。

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参考文献

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ポスドク。学部レベルの基礎知識の解説から、最先端の論文の解説まで幅広く頑張ります。高専出身。

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【速報】2026年のノーベル化学賞は「不斉有機合成における非線形効果および自己触媒作用の発見」へ

2026年のノーベル化学賞は、アンリ・カガン (Henri B. Kagan、フランス・パリ=サクレ…

柳沢 正史 Masashi Yanagisawa

柳沢 正史(やなぎさわ まさし、Masashi Yanagisawa、1960年5月…

ケムステ人気新着記事 トップ 5【2026年8月版】

2026年8月にケムステでは22本の新しい記事を公開しました。この記事では、その新着記事の中から、ペ…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

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