[スポンサーリンク]

化学者のつぶやき

シクロヘキサンの片面を全てフッ素化する

[スポンサーリンク]

 

フッ素は医薬品、有機エレクトロニクス材料、ポリマーなどに含まれており、その用途は多岐にわたります。テフロンの名で有名なポリテトラフルオロエチレン(PTFE)といったペルフルオロ炭素化合物は、耐薬品性、撥水性などの性質をもち、調理器具や塗装などに用いられています。

原子、分子レベルでこれらの性質を見てみると、フッ素は全原子の中で電気陰性度が最も高く、分極率が低いという特性があります。これらの性質から、テフロンなどのポリフッ化炭素化合物は電子反発しやすく、弱い分子間相互作用を示します。一方で、その高い電気陰性度に起因して、正電荷を帯びた分子と静電相互作用をしやすいといった性質があります。その現象が現れた顕著な例がベンゼン–ヘキサフルオロベンゼン錯体です(図1)[1]。ベンゼン(C6H6)は水素の低い電気陰性度のためベンゼン環上の電子密度が高い(δ)が、ヘキサフルオロベンゼンでは逆の現象が起こり、ベンゼン環上の電子密度はδ+となります。そのため、二つの化合物はお互いのベンゼン環の面が重なるように相互作用し固体を生じます。このような特異な性質から、フッ素を炭素骨格に導入することで現れる性質は化学者の強い興味や関心を集めています。

 

2015-05-16_17-02-37

多フッ素化された化合物例

 

先に挙げたペルフルオロ炭素化合物と比較し、部分的に多フッ素化された炭化水素はどのような性質を示すのでしょう。また、それらフッ素が、ある一方向に並べた場合どうなるのでしょう。分子全体で高極性になり、フッ素同士の電子反発により大きく歪んだ分子になることが予測されます。

最近、St Andrews大学のO’Haganらは上記に挙げた疑問の答えの1つとなるような、シクロヘキサンの片面が全てフッ素化された分子(cis-1,2,3,4,5,6-ヘキサフルオロシクロヘキサン:トップ画像)を独自の合成法で作り上げ、その化合物がもつ性質を明らかにしました。この分子は全てフッ素からなる面と水素からなる面とで真逆の電子密度をもつ、表裏のある分子です。今回はこの分子について紹介したいと思います。

 

“All-cis 1,2,3,4,5,6-hexafluorocyclohexane is a facially polarized cyclohexane”

Keddie, N. S.; Slawin, A. M. Z.; Lebl, T.; Philp, D.; O’Hagan, D. Nature Chem. 2015, 

DOI:10.1038/nchem.2232

 

合成困難化合物: 最も不安定な配座異性体、Fの低い求核性と大きな電子反発

2011年にO’Haganらはシクロヘキサンの炭素が全て一つずつフッ素化された分子bの合成に成功しています[2]。しかし、All-cis-ヘキサフルオロシクロヘキサンの合成には至ってませんでした。All-cis 1,2,3,4,5,6-ヘキサフルオロシクロヘキサンの合成が困難を極める理由は二つあります。

 

1. 化合物自体の基底エネルギーが高い

1,2,3,4,5,6-ヘキサフルオロシクロヘキサンは8種類の立体配置(configuration)をもち、立体配座(conformation)を含めると異性体は15種類に及びます。その中でも今回の目的化合物All-cis-ヘキサフルオロシクロヘキサンcは最も高い基底エネルギーをもち、一番安定な異性体aとは約15 kcal mol-1の差があります (図2)。

2. フッ素の低い求核性と大きな電子反発

後に述べますが、今回の合成ではC–O結合部位に対する逐次的なFのSN2反応を用いて立体選択的に合成する戦略を立案しています。フッ素の低い求核性と電子反発しやすい性質から狙い通りの求核置換反応を行うことは難しいと予想され、特に置換されたフッ素が多くなる合成終盤ではSN2反応よりも脱離反応が優先的に起こる可能性があります。

これらの理由によりAll-cis-ヘキサフルオロシクロヘキサンの合成はこれまで報告がありませんでした。

2015-05-16_17-03-36

 

合成経路

O’Haganらは酸素が全て下側を向いた化合物3(ミオイノシトール(2)から誘導)を鍵中間体とし、C–O結合部位にフッ化物イオンがSN2反応を起こすことでフッ素が全て上向きの分子が合成できると考えました(図 3)。しかし先ほどのAll-cis-ヘキサフルオロシクロヘキサン合成における問題点2にあげたようにFは求核性が低いため、狙い通りSN2反応を進行させるのは困難です。この問題に対し、O’Haganらはまず、3に対してdeoxofluor[3]という高温でも使えるフッ素化試薬を反応させ高収率で4へ誘導しました。その後はマイクロ波照射下トリルエチルアミン三フッ化水素塩(3HF·Et3N)を用いてC–O部位へのSN2反応を進行させています。すなわち、4のエポキシドに対する位置選択的なSN2反応、生じたヒドロキシ基をトリフラートへ変換した後にSN2反応を2度行うことで、12工程、総収率2%で目的のAll-cis-ヘキサフルオロシクロヘキサン(1)の合成を達成しました。合成終盤では適用可能なフッ素化剤が3HF·Et3Nに限られるなど、今回の合成の困難さが伺えます。特に最後の反応では当初懸念していた通り脱離反応も進行したため、低収率にとどまっています。

 

2015-05-16_17-04-24

図3 All-cis-ヘキサフルオロシクロヘキサンの合成

 

どのような性質をもつか?

フッ素を6つももつ化合物ではあるが、X線結晶構造解析により、本分子の構造は意外にもシクロヘキサンと類似し、イス型配座をとることがわかりました(図 4a)。原子同士の電子反発によりaxial位のフッ素同士は外側を向くことが考えられますが、X線構造解析の結果3つのaxial位にあるフッ素は全て平行に配置していました。また量子化学計算により水素側では正電荷、フッ素側では負電荷と二面性を表す化合物であることも明らかになりました。この性質はパッキング構造に大きく反映されており、全ての分子が同一方向を向いています(図 4b, 4c)。表裏でお互いに相対する電荷を帯びていることにより、この分子は既存のアルカン分子の中で最も大きな分子双極子をもちます。その一方で、親水性はなく”強い分極をもつが疎水性の化合物”であることがわかりました。さらに、O’Haganらは温度可変19F NMRを用いてAll-cis-ヘキサフルオロシクロヘキサンの反転障壁を求めた結果、∆H = 13.30.43 kcal mol-1 ∆S = –3.81.6 cal mol-1 K-1となりました (cf: シクロヘキサン; ∆H = 10.8 kcal mol-1, ∆S = 2.8 cal mol-1 K-1)。これらの結果からシクロヘキサンよりも遷移状態は類似しているが、少し不安定化されていることが推測できます。

 

2015-05-16_17-05-13

図4

 

以上によりO’Haganらは今まで誰も合成したことがないAll-cis 1,2,3,4,5,6-hexafluoro- cyclohexaneを合成し、その性質を明らかにしました。X線結晶構造解析の結果、シクロヘキサンとほぼ同じ構造をしていることがわかり、また、この分子は表と裏で逆の電荷を持つことも確認することができました。このように、本研究によってこれまで知られていなかった炭素フッ素化合物の新たな一面が発見されました。

とここまで、書きましたが、一番気になったのは、実はさらに基本的な物性、「この化合物の融点や沸点はいくつなの?」ということです。そもそも常温でX線結晶構造解析を行なっていることから固体であるということが単純な驚きでした。おそらく、融けた瞬間に揮発する、つまり昇華するような化合物であることが予想されます。残念ながら、今回それらの記載はなく、実験項読み取ると0.8mgしか合成していないので、基本的な物性は測れなかったというのが本音でしょう(論文査読でツッコミされなかった?のもすごい)。なにはともあれ、新規化合物の合成は多くの化学者が興味があるところだと思いますので、こういう基礎研究は応援したいと思います。

 

参考文献

  1. Patrick, C. R.; Prosser, G. S. Nature 1960, 187, 1021. DOI: 10.1038/1871021a0
  2. (a) Durie, A. J.; Slawin, A. M. Z.; Lebl, T.; O’Hagan, D. Angew. Chem., Int. Ed. 2012, 51, 10086. 
DOI: 10.1002/anie.201205577 (b) Durie, A. J.; Slawin, A. M. Z.; Lebl, T.; Kirsch, P.; O’Hagan, D. Chem. Commun. 2011, 47, 8265. DOI:10.1039/C1CC13016A (c) Durie, A. J.; Slawin, A. M. Z.; Lebl, T.; Kirsch, P.; O’Hagan, D. Chem. Commun. 2012, 48, 9643. DOI: 10.1039/C2CC34679F
  3. Lal, G. S.; Pez, G. P.; Pesaresi, R. J.; Prozonic, F. M. Chem. Commun. 1999, 215. DOI: 10.1039/A808517J

 

bona

bona

投稿者の記事一覧

愛知で化学を教えています。よろしくお願いします。

関連記事

  1. 有機合成化学協会誌6月号:ポリフィリン・ブチルアニリド・ヘテロ環…
  2. インフルエンザ対策最前線
  3. 3級C-H結合選択的な触媒的不斉カルベン挿入反応
  4. NMRのプローブと測定(Bruker編)
  5. キラルLewis酸触媒による“3員環経由4員環”合成
  6. ゴジラの強さを科学的に証明!? ~「空想科学研究所」より~
  7. 実験化学のピアレビューブログ: Blog Syn
  8. そこまでやるか?ー不正論文驚愕の手口

コメント、感想はこちらへ

注目情報

ピックアップ記事

  1. ベン・クラヴァット Benjamin F. Cravatt III
  2. 高分子化学をふまえて「神経のような動きをする」電子素子をつくる
  3. スティーブン・ヴァン・スライク Steven Van Slyke
  4. TLCと反応の追跡
  5. ライセルト反応 Reissert Reaction
  6. ラッセル・コックス Rusesl J. Cox
  7. Pallambins A-Dの不斉全合成
  8. カイコが紡ぐクモの糸
  9. ソープ・インゴールド効果 Thorpe-Ingold Effect
  10. 鉄とヒ素から広がる夢の世界

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2015年5月
« 4月   6月 »
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

注目情報

注目情報

最新記事

抗リーシュマニア活性を有するセスキテルペンShagene AおよびBの全合成研究

第362回のスポットライトリサーチは、京都大学大学院農学研究科(入江研究室)・八木田凌太郎さんにお願…

マテリアルズ・インフォマティクスに欠かせないデータ整理の進め方とは?

見逃し配信のお申込みはこちら■概要2021年10月13日に開催されたウェブセミナー「マテ…

第3の生命鎖、糖鎖の意味を解明する!【ケムステ×Hey!Labo 糖化学ノックインインタビュー③】

2021年度科学研究費助成事業 学術変革領域研究(B)に採択された『糖鎖ケミカルノックインが拓く膜動…

腎細胞がん治療の新薬ベルツチファン製造プロセスの開発

2021年夏に米国 FDA はベルツチファン (belzutifan, WeliregTM) という…

マテリアルズ・インフォマティクスの基本とMI推進

見逃し配信視聴申込はこちら■概要2021年9月7日に開催されたウェブセミナー「マテリアル…

【四国化成工業】新卒採用情報(2023卒)

◆求める人財像:『使命感にあふれ、自ら考え挑戦する人財』私たちが社員に求めるのは、「独創力」…

四国化成工業ってどんな会社?

私たち四国化成工業株式会社は、企業理念「独創力」のもと「有機合成技術」を武器に「これまでになかった材…

ポンコツ博士の海外奮闘録 外伝② 〜J-1 VISA取得編〜

ポンコツシリーズ番外編 その2 J-1 VISA取得までの余談と最近日本で問題になった事件を経験した…

結合をアリーヴェデルチ! Agarozizanol Bの全合成

セスキテルペンAgarozizanol Bの全合成が初めて達成された。光照射下で進行するカスケード反…

有機合成化学協会誌2022年1月号:無保護ケチミン・高周期典型金属・フラビン触媒・機能性ペプチド・人工核酸・脂質様材料

有機合成化学協会が発行する有機合成化学協会誌、2022年1月号がオンライン公開されました。本…

Chem-Station Twitter

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP