[スポンサーリンク]

化学者のつぶやき

変異体鏡像Rasタンパクの化学全合成

[スポンサーリンク]

スローンケタリング癌研究所・Samuel J. Danishefskyら共同研究グループは、Dーアミノ酸のみで構成された変異Rasの全合成に成功した。Rasはヒトのガンの30%に関わるとされるタンパク質であるが、これを標的とする薬剤開発は現在でもさほど進んでいない。全合成された鏡像体Rasタンパク質は、ペプチド阻害剤探索法(mirror-image yeast surface display)に活用できる。

“Total Chemical Synthesis and Folding of All-l and All-d Variants of Oncogenic KRas(G12V)”
Levinson, A. M.; McGee, J. H.*; Roberts, A. G.*; Creech, G. S.; Wang, T.; Peterson, M. T.; Hendrickson, R. C.; Verdine, G. L.; Danishefsky, S. J.* J. Am. Chem. Soc. 2017, 139, 7632–7639. DOI: 10.1021/jacs.7b02988(アイキャッチ画像は本論文より引用・改変)

問題設定と解決した点

 Rasタンパク質は、GTP結合タンパク質の一種で、細胞のガン化に関わるひとつとして知られている[1]。通常、RasはGDPと結合した不活性な状態で存在するが、これがGTPと交換されることで活性化し、転写や細胞増殖に関わる多くのシグナル経路を活性化するようになる。その後GTPase活性化蛋白質(GAP)と結合しGTPをGDPに加水分解することで再び不活性型に戻る。

図はこちらのサイトより引用

 しかしGTPには結合するがそれを加水分解できない変異Rasが生じると、下流のシグナル経路が常時活性化され続ける。これが細胞のガン化を引き起こす。そのため変異したRas(Gly12がValへと変異したG12V体が代表的であり、KRasと呼ばれる)の働きを抑制する抗がん剤の研究が行われてきた。しかしながら、Rasは疎水性の結合ポケットを持たず、GTP結合部位を狙っても多量の体内GDP・GTPとの競合に薬剤が負けてしまう問題があり、Rasをターゲットとした低分子創薬は長年にわたり困難であった。

 そこで近年では、下流に位置するキナーゼとRasのタンパク間相互作用を阻害するための研究が行われてきた。その探索法の一つが、Yeast Surface Display(YSD)[2]である。この手法では酵母表面にペプチドを発現させてライブラリとし、標的と結合しうる酵母(ペプチド)のみを集め増幅させ、結合能の高いペプチドを同定する。

YSDの概念図。この図では釣り上げにmagnetic beadsを用いているが、今回の論文ではビオチンを用いている。

 D-アミノ酸から構成されるD-ペプチド医薬は、ペプチダーゼ耐性が高く体内安定性に優れている。しかしながら、酵母表面にD-ペプチドは発現できないため、通常の方法ではYSD法でのD-ペプチド同定は不可能である。

 そこで著者らは、酵母表面L-ペプチドとの相互作用を狙ったmirror-image display screening[3]を実施すべく、すべてがD-アミノ酸で構成された鏡像体KRasの全合成を行った。

技術や手法のキモ

 KRasは166残基もの長さを持つペプチドである。そのため複数のフラグメントに分割し、それぞれ固相合成したものをNCLによって繋げることを計画した。KRasは3ヶ所にシステインを持つ(Cys51, Cys80, Cys118)ため、ここで繋げるのが基本戦略となる。またC末端には釣り上げのためビオチンタグを付けている。

図は論文より引用

 固相上でペプチド鎖を伸ばしていくと、5~20個程度繋げたところでペプチド鎖同士が水素結合などを起こして凝集し、反応しなくなる可能性がある。

 これを解決しうる工夫として、セリン・スレオニンをアセタール保護してプロリン様構造としたジペプチドを組み込んで用いている(プロリン骨格が含まれると凝集しにくいため)。

また、高疎水性部のグリシンアミドにHmb基を導入し、アミドNHが水素結合しないようにしている(Hmbは90% TFAの酸条件で除去可能)。

[118-166]の49残基フラグメントについては固相合成のみでは収率が低いため、フラグメントをAla146の左右で分割し、NCLで連結して合成している(NCL後のシステインを脱硫してアラニンへと変換している)。Gly133のC末をチオ酸にしたのちイソニトリル活性化型カップリング[4]する別法も検討されている。

合成スキームは論文より引用

 

[1-50]と[51-79]のNCLにおいては、[51-79]のC末端もチオエステルであるが、[1-50]のC末が優先的に反応する。これは[1-50]C末端を脱離能が大きいアリールチオエステルとしていることが理由であり、Kinetic NCLと呼称している。

合成スキームは論文より引用

主張の有効性検証

①化学合成タンパクが生物合成タンパクと同じものであることの実証

 化学合成後フォールディングさせ、サイズ排除クロマトグラフィーで精製すると、生物合成によるrecombinantタンパクと同じ溶出時間を示した。また。CDスペクトルも同様であった(LとDで逆の波形になる)。タンパク質の吸光(A260/A280)も同様の結果を示した。

②KRasの鏡像異性体毎にL-ペプチド/D-ペプチドの相互作用傾向が反転することの実証

 KRasと結合して蛍光を発するmant-GppNHpを用い、蛍光強度からL-KRas、D-KRasそれぞれと相互作用するか否かを調べた。mant-GppNHpと結合させた状態でGppNHpと競合させると蛍光が減少していくが、225-44ミニタンパクと相互作用させるとmant-GppNHpの放出(蛍光減少)が遅くなることが知られている。

 このアッセイ系をL-KRasとD-KRasに対し適用したところ、L-KRasは生物合成のものと同様の挙動を示した。

 しかしD-KRasの場合はGppNHp と競合せず、GppNHpの光学異性体と競合して蛍光を減少させた。また、L-225-44 ミニタンパクを共存させても放出を抑制できず、D-225-44ミニタンパク共存下では蛍光減少が遅くなった。

 さらに、KRasに結合する225-11ミニタンパクについてもそれぞれall-D, all-Lのものを用意し、結合力を測定した。この結果、L-KRasとL-225-11、D-KRasとD-225-11が相互作用し、L-RasとD-225-11は相互作用しないことが分かった。

 このように結合特性はL/Dで綺麗に反転していることから、D-KRasと相互作用するL-ペプチドを見つけられれば、L-KRasと相互作用するD-ペプチドを見つけたことに相当する。

議論すべき点

  • mirror-image displayは1996年のScience[3a]が初出。これ以降、アルツハイマーやHIV薬の探索のために研究されているようだが、創薬標的となるタンパク質をすべてD体で全合成しなければならないことが欠点。今回のKRasは166残基でまだ合成可能なサイズだが、これ以上大きくなると厳しいか。そもそも化学合成後、ちゃんとfoldingするかどうかも懸念がある。
  • この方法で見つけられるのは全てD-アミノ酸からなるペプチドである。DL混合のものなどを見つけることは、当然ながら無理。
  • Dーアミノ酸は終止コドンに対応させれば1~2種程度は導入できるが、すべてをD体にするメリットはどれほどか?

次に読むべき論文は?

  • 本手法のlimitationのひとつは、標的タンパク質のD体アミノ酸での全合成である。現在ではどのくらいの大きさのタンパク質まで合成できるのか?を知る意味でも、タンパク質化学全合成に関する総説[5]などは参照価値がある。

参考文献

  1. Cox, A. D.; Fesik, S. W.; Kimmelman, A. C.; Luo, J.; Der, C. J. Nat. Rev. Drug Discov. 2014, 13, 828. doi:10.1038/nrd4389
  2. Gera, N.; Hussain, M.; Rao, B. M. Methods 2013, 60, 15. doi:10.1016/j.ymeth.2012.03.014
  3. (a) Schumacher, T. N. M.; Mayr, L. M.; Minor, D. L.; Milhollen, M. A.; Burgess, M. W.; Kim, P. S. Science 1996, 271, 1854. DOI: 10.1126/science.271.5257.1854 (b) Funkea,S. A.; Willbold, D. Mol. Biosyst. 2009, 5, 783. doi:10.1039/B904138A
  4. Roberts, A. G.; Johnston, E. V.; Shieh, J.-H.; Sondey, J. P.; Hendrickson, R. C.; Moore, M. A. S.; Danishefsky, S. J. J. Am. Chem. Soc. 2015, 137, 13167. DOI: 10.1021/jacs.5b08754
  5. Kent, S. B. Chem. Soc. Rev. 2009, 38, 338. doi:10.1039/B700141J
Avatar photo

cosine

投稿者の記事一覧

博士(薬学)。Chem-Station副代表。国立大学教員→国研研究員にクラスチェンジ。専門は有機合成化学、触媒化学、医薬化学、ペプチド/タンパク質化学。
関心ある学問領域は三つ。すなわち、世界を創造する化学、世界を拡張させる情報科学、世界を世界たらしめる認知科学。
素晴らしければ何でも良い。どうでも良いことは心底どうでも良い。興味・趣味は様々だが、そのほとんどがメジャー地位を獲得してなさそうなのは仕様。

関連記事

  1. 「重曹でお掃除」の化学(その2)
  2. 触媒なの? ?自殺する酵素?
  3. ネコがマタタビにスリスリする反応には蚊除け効果があった!
  4. とにかく見やすい!論文チェックアプリの新定番『Researche…
  5. 第五回ケムステVシンポジウム「最先端ケムバイオ」開催報告
  6. シグマトロピー転位によるキラルα-アリールカルボニルの合成法
  7. 【第11回Vシンポ特別企画】講師紹介③:大内 誠 先生
  8. ホウ素と窒素で何を運ぶ?

注目情報

ピックアップ記事

  1. アメリカ化学留学 ”実践編 ー英会話の勉強ー”!
  2. 有機合成化学協会誌10月号:不飽和脂肪酸代謝産物・フタロシアニン・トリアジン・アルカロイド・有機結晶
  3. 巧みに設計されたホウ素化合物と可視光からアルキルラジカルを発生させる
  4. 【21卒イベント 大阪開催2/26(水)】 「化学業界 企業合同説明会」
  5. IBM,high-k絶縁膜用ハフニウムの特性解析にスパコン「Blue Gene」を活用
  6. 2010年ノーベル化学賞予想ーケムステ版
  7. マクドナルドなど9社を提訴、発がん性物質の警告表示求め=カリフォルニア州
  8. 実践・化学英語リスニング(3)生化学編: 世界トップの化学者と競うために
  9. 道修町ミュージアムストリート
  10. スタンリー・ウィッティンガム M. S. Whittingham

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2017年8月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

注目情報

最新記事

三脚型トリプチセン超分子足場を用いて一重項分裂を促進する配置へとペンタセンクロモフォアを集合化させることに成功

第634回のスポットライトリサーチは、 東京科学大学 物質理工学院(福島研究室)博士課程後期3年の福…

2024年の化学企業グローバル・トップ50

グローバル・トップ50をケムステニュースで取り上げるのは定番になっておりましたが、今年は忙しくて発表…

早稲田大学各務記念材料技術研究所「材研オープンセミナー」

早稲田大学各務記念材料技術研究所(以下材研)では、12月13日(金)に材研オープンセミナーを実施しま…

カーボンナノベルトを結晶溶媒で一直線に整列! – 超分子2層カーボンナノチューブの新しいボトムアップ合成へ –

第633回のスポットライトリサーチは、名古屋大学理学研究科有機化学グループで行われた成果で、井本 大…

第67回「1分子レベルの酵素活性を網羅的に解析し,疾患と関わる異常を見つける」小松徹 准教授

第67回目の研究者インタビューです! 今回は第49回ケムステVシンポ「触媒との掛け算で拡張・多様化す…

四置換アルケンのエナンチオ選択的ヒドロホウ素化反応

四置換アルケンの位置選択的かつ立体選択的な触媒的ヒドロホウ素化が報告された。電子豊富なロジウム錯体と…

【12月開催】 【第二期 マツモトファインケミカル技術セミナー開催】 題目:有機金属化合物 オルガチックスのエステル化、エステル交換触媒としての利用

■セミナー概要当社ではチタン、ジルコニウム、アルミニウム、ケイ素等の有機金属化合物を“オルガチッ…

河村奈緒子 Naoko Komura

河村 奈緒子(こうむら なおこ, 19xx年xx月xx日-)は、日本の有機化学者である。専門は糖鎖合…

分極したBe–Be結合で広がるベリリウムの化学

Be–Be結合をもつ安定な錯体であるジベリロセンの配位子交換により、分極したBe–Be結合形成を初め…

小松 徹 Tohru Komatsu

小松 徹(こまつ とおる、19xx年xx月xx日-)は、日本の化学者である。東京大学大学院薬学系研究…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP