概要
シリル系保護基(Silyl Protective Group)は、アルコールのヒドロキシ基をシリルエーテルR’₃Si–O–R)として一時的に保護/脱保護する。精密合成で 最も日常的に用いられる手法の一つである。 代表的なシリル基に TMS(トリメチルシリル)、TES(トリエチルシリル)、 TBS/TBDMS(tert-ブチルジメチルシリル)、TIPS(トリイソプロピルシリル)、 TBDPS(tert-ブチルジフェニルシリル)がある。
ケイ素上の3つの置換基は、通常 少なくとも2つを同一の基とする。これはケイ素が4種類の異なる置換基を持つと 不斉中心となり、目的分子にジアステレオマーを生じさせてしまい、解析と取扱いに困難を生じさせてしまうためである。
シリル基の最大の利点は、他の代表的保護基(アシル系=塩基での加水分解、 ベンジル系=水素化分解など)とは異なり、フッ化物イオンという直交性に優れた条件で選択的に脱保護できる点にある。また TBS・TIPS・TBDPS のようなかさ高いシリル基は、立体障害により二級・三級アルコール存在下で一級アルコールを選択的に保護できる。シリル基の種類を選ぶことで、酸・塩基・ フッ化物に対する安定性を段階的に作り分けられ、多段階合成における保護基戦略の自由度が高い。
反応機構
保護(シリル化)
シリルクロリド R’₃SiCl とアルコールの反応は、 ケイ素上での求核置換として進行する。炭素の求核置換と異なり、ケイ素は 容易に配位数を拡張できるため、五配位ケイ素中間体(三方両錐型)を経由すると 考えられている。求核種(アルコール由来のアルコキシド/アルコール)が アピカル位に接近し、擬回転(pseudorotation)を経て、最も電気陰性な脱離基 (塩化物イオン)がアピカル位から脱離する。イミダゾールや 2,6-ルチジンなどの塩基は、生成するHClを捕捉するとともに、より反応性の高い N-シリルイミダゾリウム中間体を形成して反応を促進すると考えられている。
脱保護
酸性・塩基性いずれの条件でも五配位ケイ素中間体を経由する。 ケイ素カチオン(シリリウムイオン)は極めて不安定なため、炭素のSN1型に相当する経路は基本的に働かない。フッ化物イオン(TBAF, HF·py, Et₃N·3HF など)による脱保護では、生成する Si–F 結合が Si–O 結合より大幅に強い(一般に約 30 kcal/mol 程度強いとされる)ことが駆動力となる。 フッ化物イオンは炭素ではなくケイ素に選択的に結合する(silicophilic)ため、 シリルエーテルを穏和かつ選択的に切断できる。
特徴・適用範囲・類似反応との比較
シリル基の実務的な選択は、(1) 酸に対する安定性、(2) 塩基に対する安定性、 (3) 立体的かさ高さ(選択的保護能)の組合せで決まる。代表的な相対安定性の 目安は以下の通り。
酸に対する相対安定性: TMS(1) < TES(64) < TBS(20,000) < TIPS(700,000) < TBDPS(5,000,000)
塩基に対する相対安定性: TMS(1) < TES(10–100) < TBS ≈ TBDPS(20,000) < TIPS(100,000)
フッ化物に対する耐性の順序: TMS < TES < TIPS < TBS < TBDPS
主なシリル基の使い分け
| シリル基 | 略号 | 酸安定性 | 塩基安定性 | 主な用途・使い分けの指針 |
|---|---|---|---|---|
| トリメチルシリル | TMS | 非常に低 | 非常に低 | 一時的・その場保護、または非常にかさ高いアルコール向け。恒久保護には不適。 |
| トリエチルシリル | TES | 低〜中 | 低 | TMS より頑丈で TBS より外しやすい中間的選択肢。 |
| tert-ブチルジメチルシリル | TBS/TBDMS | 中〜高 | 中 | アルコール保護の第一選択。汎用性が高く導入・除去とも容易。 |
| トリイソプロピルシリル | TIPS | 高 | 高 | 塩基性・求核的条件に強い。一級選択的保護にも有効。 |
| tert-ブチルジフェニルシリル | TBDPS | 非常に高 | 中 | 酸性条件を通す必要がある工程に有効。フッ化物耐性も高い。 |
シリル系はフッ化物という直交した脱保護条件を持つ点で、アシル系(塩基性加水分解)、ベンジル系(水素化分解)、アセタール系(酸性加水分解)と 明確に使い分けられる。酸に敏感な官能基が共存する場合はアシル系やシリル系、 塩基に敏感な場合はシリル系(フッ化物)やベンジル系、水素化条件が使えない (アルケン・アジド等が共存する)場合はシリル系、といった直交性を利用した 使い分けが定石である。
反応例
標準的な TBS 保護 → TBAF 脱保護[1]
TBSCl / イミダゾール / DMF で ヒドロキシ基を TBS エーテルとして保護し、TBAF で脱保護する基本サイクル。E. J. Coreyにより 1972 年に確立された。現在ではもっとも頻繁に用いられる保護基の1つとなっている。より嵩高い2級アルコールの保護にはTBSOTf / 2,6-ルチジンの条件が向いている。下記は1級アルコールのTBDPS保護・脱保護を全合成に使用した事例。[6]
ジオールのモノ保護[7]
NaHを塩基としてTHF溶媒中で用いることで、ジオールの一方の ヒドロキシ基を選択的にモノシリル化できる例が報告されている。
ヨウ素促進によるシリル化[15]
シリルクロリドと N-メチルイミダゾールの系に 触媒量のヨウ素を加えると反応が大きく加速し、一級・二級・三級アルコールを 高収率でシリル化できる。より反応性の高いシリル化学種の in situ 生成が 加速要因と議論されている。
ヨウ素-HMDS系を用いる中性条件でのTMS保護[8]
Si-BEZAを用いる保護[4]
三級アルコールのシリル保護ができる穏和な条件。
B(C₆F₅)₃ 触媒による脱水素的シリル化[10]
トリス(ペンタフルオロフェニル) ボランを触媒に、ヒドロシラン R₃Si–H とアルコールから水素のみを副生して シリルエーテルを与える温和で一般性の高い方法。かさ高いアルコールにも 短時間で適用できる。


かさ高い特殊シリル基(スーパーシリル基)
di-tert-ブチル イソブチルシリル(BIBS)[12]、トリス(トリメチルシリル)シリル基((Me₃Si)₃Si–)[16]、トリス(トリエチル)シリル基((Et₃Si)₃Si–)[13]は Si–Si 結合を含む特殊なシリル基で、立体的かさ高さにより逐次反応の立体制御に用いられる。シリルエステルは通常不安定でカルボン酸の保護基には適さないが、スーパーシリル基については使用可能である。また、スーパーシリルエステルのカルボニル基には、かさ高さのため求核攻撃が進行しない。
触媒的不斉シリル化[14]
Hoveyda・Snapper らは、キラルな Lewis 塩基触媒と非キラルな求核促進剤 (5-エチルチオテトラゾール)を組み合わせた二触媒系により、メソ/プロキラルな ジオール・ポリオールの触媒的不斉モノシリル化(非対称化)を達成した。 7.5–20 mol% の触媒で1時間程度、高収率・高エナンチオ比が得られる。これはシリル化を単なる保護操作にとどめず、不斉合成の 一手段として用いる方向性を示す。
実験手順
Bistramide A全合成への応用[11]
アルコール(4.40g, 13.6 mmol)をDMF(90 mL)に溶解し、0℃にてイミダゾール(3.88g, 56.9 mmol) とクロロt-ブチルジメチルシラン(4.09g, 27.1 mmol)を加える。室温に昇温し,16時間撹拌する。十分量の水を加えて反応を停止し、水相を酢酸エチルで3回抽出する。有機相を硫酸マグネシウムで乾燥、濾過後濃縮、残渣をカラムクロマトグラフィ(ヘキサン/酢酸エチル=50/1)にて精製。目的物を黄色液体として得る(99%収率)。
実験のコツ・テクニック
- 後処理:DMF を溶媒に用いた場合、希薄な水溶液でクエンチしてから ヘキサン(または石油エーテル)/酢酸エチル混合溶媒系で抽出すると、DMF の有機層への持ち込みが減り 精製効率が上がる。
- シリル基の第一選択:汎用性の高さから TBS が第一選択とされることが多い。 TMS は不安定すぎるため、恒久的保護には向かず、一時的保護・その場保護、 または非常にかさ高いアルコールの保護に用途が限られる。
- TBAF 脱保護の塩基性に注意:TBAF脱保護過程で生じるアンモニウムアルコキシドは 強い塩基として働くため、塩基感受性の基質(エピマー化しやすい立体中心、 β脱離しやすい系、エノラート化しやすいカルボニル近傍など)では副反応の懸念がある。酢酸添加などによる緩衝、あるいは中性〜酸性のフッ素源(HF·ピリジン、 Et₃N·3HF)の使用が代替として検討される。TBAF の含水量が結果に影響するとの指摘もある。
- シリル基のマイグレーション:1,2-ジオールなどでは、塩基性条件や特定の 反応条件(グリコシド化条件、Mitsunobu 条件など)下でシリル基が隣接ヒドロキシ基へ転位(O→O マイグレーション)し、位置選択性を損なう例がある。位置選択的保護を狙う際は留意が必要。
- 反応性の低い(かさ高い)アルコールには、R’₃SiOTf(シリルトリフラート)/ 2,6-ルチジンの系が有効。トリフラートは塩化物より脱離能が高く、二級・ 三級アルコールにも高い反応性を示す。
- かさ高さと安定性のトレードオフ:かさ高いシリル基ほど選択性・安定性は 上がるが、導入・除去の反応性は下がる。基質の他の官能基の安定性と、 後段の反応条件(酸・塩基・求核剤・水素化)を見越して選択する。
参考文献
- Corey, E. J.; Venkateswarlu, A. J. Am. Chem. Soc. 1972, 94, 6190–6191. DOI: 10.1021/ja00772a043
- Corey, E. J.; Cho, H.; Rücker, C.; Hua, D. H. Tetrahedron Lett. 1981, 22, 3455–3458. DOI: 10.1016/S0040-4039(01)81930-4
- Nelson, T. D.; Crouch, R. D. Synthesis 1996, 1031–1069. DOI: 10.1055/s-1996-4350
- Crouch, R. D. Tetrahedron 2004, 60, 5833–5871. DOI: 10.1016/j.tet.2004.04.042
- Crouch, R. D. Tetrahedron 2013, 69, 2383–2417. DOI: 10.1016/j.tet.2013.01.017
- Oguri, H.; Hishiyama, S.; Oishi, T.; Hirama, M. Synlett 1995, 1252–1254. DOI: 10.1055/s-1995-5259
- McDougal, P. G.; Rico, J. G.; Oh, Y.-I.; Condon, B. D. J. Org. Chem. 1986, 51, 3388–3390. DOI: 10.1021/jo00367a033
- Karimi, B.; Golshani, B. J. Org. Chem. 2000, 65, 7228–7230. DOI: 10.1021/jo005519s
- Misaki, T.; Kurihara, M.; Tanabe, Y. Chem. Commun. 2001, 2478–2479. DOI: 10.1039/b107447b
- Blackwell, J. M.; Foster, K. L.; Beck, V. H.; Piers, W. E. J. Org. Chem. 1999, 64, 4887–4892. DOI: https://doi.org/10.1021/jo9903003
- Wrona, I. E.; Lowe, J. T.; Turbyville, T. J; Johnson, T. R.; Beignet, J.; Beutler, J. A.; Panek, J. S. J. Org. Chem. 2009, 74, 1897–1916. DOI: 10.1021/jo802269q
- Liang, H.; Corey, E. J. Org. Lett. 2011, 13, 4120–4123. DOI: 10.1021/ol201640y
- Tan, J.; Akakura, M.; Yamamoto, H. Angew. Chem. Int. Ed. 2013, 52, 7198–7202. DOI: 10.1002/anie.201300102
- Manville, N.; Alite, H.; Haeffner, F.; Hoveyda, A. H.; Snapper, M. L. Nat. Chem. 2013, 5, 768–774. DOI: 10.1038/nchem.1708
- Bartoszewicz, A.; Kalek, M.; Nilsson, J.; Hiresova, R.; Stawiński, J. Synlett 2008, 37–40. DOI: 10.1055/s-2007-992379
- Boxer, M. B.; Yamamoto, H. J. Am. Chem. Soc. 2007, 129, 2762 – 2763. doi:10.1021/ja0693542
関連反応
- カルボン酸の保護 Protection of Carboxylic Acid
- 1,2-/1,3-ジオールの保護 Protection of 1,2-/1,3-diol
- カルボニル基の保護 Protection of Carbonyl Group
- アセタール系保護基 Acetal Protective Group
- アシル系保護基 Acyl Protective Group
- エーテル系保護基 Ether Protective Group
- スルホニル保護基 Sulfonyl Protective Group
- カルバメート系保護基 Carbamate Protection
- ベンジル保護基 Benzyl (Bn) Protective Group
- p-メトキシベンジル保護基 p-Methoxybenzyl (PMB) Protective Group
関連書籍
Greene's Protective Groups in Organic Synthesis, 2 Volume Set
外部リンク
- Silyl protecting groups – Wikipedia(各シリル基の概観)
- Silylation – Wikipedia(シリル化の一般)
- Deprotection of Silyl Ethers – Gelest Technical Library(脱保護条件・TBAF の実務的注意点)
- Silyl ether synthesis by silylation or cyanosilylation – organic-chemistry.org(触媒的シリル化法のまとめ)
- TBS Protecting Group – total-synthesis.com(TBS の導入・除去・相対安定性の解説。査読外)
- Silyl protective groups influencing selectivity in glycosylations – PMC(糖化学におけるシリル基マイグレーション・選択性の議論)











































