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一般的な話題

アレクセイ・チチバビン ~もうひとりのロシア有機化学の父~

Tshozoです。

ACIEにてまた興味深いエッセイがありましたのでちょっと書いてみます。なお筆者の年下の友人のまた友人にこういうことをしている人間がいますが、その内容と本件はさほど関係が無いとお考えください。「おまえチチバビン言いたいだけどちゃうんか」というご意見もあると思いますが筆者の諸々の記事にご理解をいただき、なにとぞご了承頂きたい所存でございます。

【引用論文】

Aleksei Yevgen’evich Chichibabin (1871–1945): A Century of Pyridine Chemistry

Angewandte Chemie International Edition, 12 JUN 2017  Prof. Dr. David E. Lewis リンクこちら

このエッセイを書かれたルイス(David E. Lewis)教授はウィスコンシン大学オー・クレアキャンパス化学科教授(リンク)。昨年亡くなられた東工大の梶雅範教授(リンク)とご親交があったらしく、本エッセイの一番最初を故 梶教授への追悼の言葉で始めています。梶教授が生前書かれたメンデレーエフに関する書物は非常に完成度が高く、帝政ロシア時代の化学界を知ることの出来る重要なものです。

なお、「近代ロシア有機化学の父」として一般に認識されているのはウラジミール・マルコウニコフ(Vlardimir Markovnikov)とその師匠のブートレロフであり、この2人の存在感に比し、チチバビンについては正直あまり目にすることはありません。筆者も恥ずかしながら今回このエッセイで初めてその人となりを知り興味をそそられた次第でして、今回は同エッセイを中心に歴史的な観点で眺めながら書いていこうと思います。

ちなみにロシア語での綴りは Алексей Евгеньевич Чичибабинで、ロシア語でもどうやら本当にチチバビンと発音するようです。Google翻訳に放り込んで発音ボタンを押したら「アレクセィ・イフゲーネビッチ・チチバビン」と聞き取れましたからまず間違いないでしょう。残念なことにチチバビンChichibabinもしくはTschichibabinがロシア語(またはウクライナ語)でどういう本義をもつのか、どうしても調べきれませんでした。ご存知の方はお教えいただけますと有難いです。

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【チチバビン反応の概要と意義】

中身の前にチチバビン反応について少々。チチバビン反応とは本件の主人公、アレクセイ・エフゲーネビッチ・チチバビンが開発したピリジン(とキノリン)に関わる反応です(ケムステ内リンクこちら)。ピリジンと言えばあの微妙な臭いで有名なアレですが、それへのアミン基修飾を世界で初めて開発・発表したのがこのチチバビンです。なおピリジンは窒素入ってますので筆者には大丈夫です。

最初期のチチバビン反応とその推定機構
ロシアらしく反応条件が結構苛烈で100℃~200℃ [文献1より引用]
出来上がるアミノピリジンは有機合成薬品工業殿のラインナップにも入っている

Naで安定化された状態の窒素原子横の炭素に-NH2が求核置換反応を起こすというタイプのもので、当時ピリジン自体とその誘導体の合成で先行していたチチバビンだから見つけられた反応でしょう(下図・原論文リンク)。こうしたヘテロ環合成は上記の有機合成薬品工業殿のほか、広栄化学工業殿が得意ですね(リンク)。

歴史的にはドイツの化学者ハンチュ(Hantsch)によって1882年に(ケムステ内リンク)、また同じロシアのリウバビン(Lyubavin)によって1903年に既に達成されている類似反応があったため、完全オリジナルというわけではなく類似反応という位置づけではありましたが、当時1kgレベルの合成に耐えられるまでプロセスをも磨き上げていたのはチチバビンだけだったようです。

チチバビンが研究者として初期に発見したピリジン合成のうち主要なもの[原論文より引用] 300℃以上とかの高温・高圧条件が好まれるが酢酸アンモニウム等の触媒で低温化可能

同じくキノリンについても同様の反応を発見した[文献2より引用]

ただこうしたチチバビンの業績が化学的に一体どういう意味を持つのか。筆者の技術レベルでは語りきれるとは思えませんので、まずは上記に述べたような分子の例を挙げてみることにしました。

同じく[文献1]より引用 実際にはアミノピリジンは完成物としてはあまり実例がなく、
錯体リガンドの中間材料などに限定されるようです
上記に挙げているのはもっぱらピリジンの誘導体が関係している材料

これらには(チチバビン反応が直接関わったものは少ないですが)ピリジン誘導体という意味ではチチバビンの業績、及び反応機構解明に関する功績がどれにも基礎として入っていて、もちろん医薬品に限らずポリマー合成の基礎や機能材の一部にも適用されており、その意義は計り知れないものであると言ってよいでしょう。

ということでチチバビンが発見した反応類、そのごく一部を採り上げてみましたがこれらの業績に負けず劣らず激動の人生を送られていたことが本エッセイからわかります。以下、その中身をラフに紹介しましょう。

【チチバビン本人の人生】

20世紀以降のロシア・ソ連出身の学者というと特定のやり手当時の権力に100%阿った卑怯者学者を除いて一般に酷い扱いを受けていたという偏ったイメージに捉われてしまっている気がします(筆者が)。例えばルィセンコとかのエセ科学者がまっとうなヴィヴァロフなどを権力闘争のあげく獄中死させたりしたとかいう諸々の事象がひどすぎてそのイメージに引っ張られるんですよね。そのほか超天才で人類の至宝であったランダウを投獄したりするクズがいたりしましたし。筆者の周囲の人間劇場でも人としてどうかというレベルのことは起きていたのでまぁロシアでも日本でもどこでも起こり得ることでしょうが、チチバビン本人は実力に加えて周囲のサポートでこうした生臭い被害を人生の初期~中期にかけて「比較的うまく切り抜けた」方、という印象を受けます。

ごたくはともかく、チチバビン本人の人生を下記のように3項目に分けて紹介します(以下、全て冒頭のエッセイより筆者が解釈して引用)。

①奮闘期(誕生~アカデミア離脱(1871~1892))

ロシアの化学者と書きましたが実際には現在のウクライナ出身。親父さんは地方自治政府の事務官(?)だったのですが。チチバビンが幼少の頃に亡くなられ、母親含む7人家族は経済的に困窮を極めることになります。そうした中、母親と姉二人が生活と教育環境を支えて奮闘。そのおかげでギムナジウム(中学~高校のあたりに相当)に入ったチチバビン本人も勉学以外に家庭教師などで家計を支えるという苦学生ぶり。

そんな中で化学に興味を持ったチチバビンはモスクワ大学自然科学部門に進学。上記で挙げたマルコウニコフと部下のミハイル・イワノビッチ・コノファノフ(Mikhail Ivanovich Konovalov)の指導の元、化学に励みます。

当時チチバビンが行っていたのは高濃度ヨウ化水素(HI)でアルキルベンゼンを煮て水素付加させるとか、アルキルベンゼンを臭素ガスで燻蒸してブロモ化するとか、乱暴な ロシアらしいダイナミックな反応が中心でした。これらの成果をひっさげて同部門を首席で卒業、博士号を取りに行くのですが、ここでまずかったのが師匠のマルコウニコフの立ち位置。現在のどこかの国立大学で起きているように時の政府が大学に対し弾圧まがいの干渉を開始しており、権力に対し阿ることをよしとしなかったマルコウニコフは部門長を実質解任されてしまったのです。

さらに輪をかけて状況を悪くしたのが部門長を引き継いだニコライ・デミトリビッチ・ゼリンスキー(Nikolai Dmitrievich Zelinsky)。このお方、優秀ではあったようなのですがマルコウニコフと相性が悪く、部門長となった後にマルコウニコフの弟子にも嫌がらせレベルの妨害を開始します。このあおりを食ってチチバビンは助手になることすらできず、収入が無くなったまま大学を去らねばならなくなりました。

②活躍期(苦境~大躍進(1893~1924))

こうして大学を去ったチチバビンはアカデミアから一旦離れ、家庭教師と大学講師と新聞記者(!)を掛け持ちしながら日銭を稼ぐ生活を始めます。そうした苦しい生活が3年ほど続いたある日、コノファロフがモスクワ農業研究所の所長になったことで大きく好転。チチバビンの実力をよく理解していたコノファロフは彼を研究所の助教に任命し、また同年にVera Podgoretskayaという女性とも結婚。彼女は終生チチバビンを支えることになります。

こうして研究活動を再開したチチバビンはピリジンを中心とした反応開発に従事。奥さんのヴェラがドイツ語が出来たこともあって、このころようやく海外に向けても研究成果を発表していくようになります。ただ相変わらず封管の中でアルミナと一緒に有機物を300℃くらいで煮るとか、乱暴系(下図)でした。ちなみにその結果出来たベンジルピリジンは殺虫効果があったため、その後数十年にわたり反応はブラッシュアップされることになりました。

こうして再度Ph.D.申請へ挑戦するのですが、これは大学でDissertationをアクセプトしてもらわなければならず、またここで上記のモスクワ大学に特攻することに。ここで再び出てきたのが上に挙げたゼリンスキー。なんとチチバビンのDissertation提出から2年間も突き返すというイヤガラセを繰り返します。一応、2年後の1904年にアクセプトしたようですが、何というか最終的にはいろんなことは「好き嫌い」で決まることを如実に示す例ですね。

蛇足ながら彼のDissertationは主にトリアリルメチルラジカルに関するもので、実はピリジンに関するものではなかったそうです。ここらへん、ゼリンスキーに対し「本命の大事な研究テーマは隠しとこう」という意図があったんではないかと推測されますがいかがでしょうか。

この結果モスクワ工科大学の私講師(教授職ではないが、教育資格を持つ大学教員)としての職を得たチチバビンは本格的に研究に打ち込むことになります。ただ私講師になった直後は血の日曜日事件の直前、政府(まだソ連ではない)は大学を含む国全体の思想統制に躍起になっていた時期で、情に厚く学生運動に参加したことのあるチチバビンもその矛先となりました。自宅で反対派と会議したり体制反対派の機関紙があったりと言うことで結構ギリギリのところを行っていたようですが、どうも「うまくやった」ようで講師職に留まることに成功したと本エッセイに記載がありました。

ただこの時代の混乱期にあって彼の主要な成果はどんどん提出されてきます。上述の1903年のピリジン合成からはじまり1914年のチチバビン反応の明示、それに伴うビニルピリジン誘導体の合成やアミノニコチンの合成、ピリジン類の染料への応用、更にアルカロイド単離や果てはアスピリン・殺菌剤の合成などにも研究室レベルで貢献していくようになります。実際に彼の研究室で合成されたこれらの材料類はラテックスの原料として工業的に活躍したり、兵隊たちへの医薬品として使用されたとのこと。こうした経緯もあり、彼はとんとん拍子に出世。化学・薬学技術委員会の会長となり、ロシアアカデミーの会員となり、最終的には当時ソビエトの最高レベルの栄誉であるレーニン賞を受賞するまでになります。これらの産業化というところでの貢献はチチバビンの業績は比類なきものであり、これがマルコウニコフらと並んで「ロシア有機化学の父」と呼ばれるようになった一因であるのでしょう。

③反転・暗黒期(悲劇~客死(1925~1945))

その後名著と言われ多くの国で出版された”Fundamentals of Organic Chemistry”を出版するなど順調だった初期ソビエトでのチチバビンの研究生活でしたが、1929年に悲劇が襲います。19歳になる彼の愛娘Natashaが大学で実験中のトラブルで濃硫酸を全身に浴び、数日後に死亡してしまったのです。

チチバビンと一人娘のナターシャ(本エッセイより引用)
災害当時、合成の実習(?)でナフタレンスルホン酸合成プラントに居たとのこと

この事故に対するチチバビン夫妻の悲嘆は尋常なものではなく、「我々は到底彼女の死を受け入れられない、何故、どうして、あんなに楽しそうにしていたのに突然死ななければならなかったのか(一部意訳)」と記載されていました。これによりチチバビンの運命は大きく変遷することになります。

加えて社会情勢も大きく悪化しようとしていました。当時ソ連内で技術者、化学者も含めた産業界の知識層を糾弾する”Industrial Party Trials“なるものが立ち上がりました。これは1910~1920年代にかけ国の産業振興に貢献した人間をほぼ言いがかりに近い形で「フランスやイギリスと共謀して国家を混乱に陥れる計画を立てており」、かつ「ブルジョワ」的で「資本主義的」であるという理由のみによって投獄しようという動きで、レーニン賞を受けたチチバビンすらもあっという間にその対象となりかねない状況になっていたのです。

2重苦に追い詰められたチチバビンはフランスへ研究室を移籍しますが、実質的には逃亡でした。そこでホテル住まいを続けながらコレージュ・ド・フランスから提供された研究室で活動を継続するものの、マンパワーに乏しい状態でソ連同等の生産性を発揮できるわけがありません(ソ連からの留学生が4人程度での苦しい運営だったようです)。

そうこうしているうちにWWⅡが勃発、国外にいるソ連国籍の人間は本国に帰れなくなり、そのせいからか経済的にも身体的にも悪化の一途を辿ることになってしまいます。1941年あたりに「帰ってきていいぞ」という機会はあったものの、もうそのころには長距離の移動に耐えきれるだけの体力が本人に残っておらず結局そのままフランスで人生を終えることになりました。

ロマノフ王朝最終期~WW1~ロシア革命~ソ連成立~WW2、という激動の時代を生き切ったチチバビンは、230本という大量かつ重要な論文を遺し、こうしてこの世を去りました。

【おわりに】

この記事で筆者は一生分の「チチバビン」という文字を打った気がするのですが、それはさておきチチバビン本人の墓は今もそのままフランスのこちらの墓所にあるようです。

フランスにあるチチバビンのお墓(引用リンク
2000年には一応プーチンがこの墓のエリアを参拝したようだが・・・

こうしたチチバビンの人生を振り返るにつけ、国家と個人という問題に向き合わざるをえない気がします。チチバビンの場合は最近日本でもよく見る国家追従者ではなく「愛国者」であった(”Chichibabin was a patriot to Russia(the Rodia) first, and to the government second.”)とは書いてましたが、仮にも共産主義を掲げていたソ連があそこまで醜悪な国家になるとは予想していたんでしょうか。一応そのソ連には貢献していたもののその過程で最愛の娘を失い、国家から追放され、経済的にも困窮したままほぼ全盲となって異国の地でその人生を終えた本人の無念を思うとやり切れないことこの上なく、本エッセイを全部読み切った後に当初の筆者の動機が色々と薄汚くて浅はかでなんとも申し訳ない気になりました。

なお本人が亡くなられてから大分あとになって本国で名誉回復(1990年あたりに)されてますがもう遅いっちゅーねん、です。国家はいつも『音楽のように遅い』からこうなるわけで、特にこのチチバビンの場合はめぐり合わせもあるのでしょうけど色々と生まれてきた時期が悪かったとしか言えん気がします。組織内のポジショニングに長けてる人間なら最後まで「うまくやった」のでしょうけど、きっとチチバビンはそういうようには生きられなかった部類なのでしょう。ただこういう人たちがいないと技術やサイエンスの非連続的な進歩は発生しないのですから、どういう状況にあったとしても組織トップは「そういう人」も「そういうのでない人」も適材適所を図っていただきたいもんです。本田宗一郎氏のように

それでは今回はこんなところで。

※蛇足ですが、彼の甥にはソビエト時代の偉大な反骨の詩人ボリス・アレクセイエビッチ・チチバビン(Boris Alexeyevich Chichibabin)がいます。ミドルネームはチチバビン本人に因んだとのことですから、家族内でも尊敬されていたのでしょう。このお名前を継ぐ方がまだいることを願いつつ、記事を閉めさせていただきます。

【冒頭の主要論文以外の参考文献】

  1. Imperial College of London Lecture note “” こちら と こちら
  2. “Pyridines, from lab to production” リンク
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Tshozo

Tshozo

メーカ開発経験者(電気)。56歳。コンピュータを電算機と呼ぶ程度の老人。クラウジウスの論文から化学の世界に入る。ショーペンハウアーが嫌い。

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