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一般的な話題

ケミカルバイオロジーとバイオケミストリー

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突然ですが、質問です。有機化学と無機化学。違いは説明できますか?

「生体物質をあつかうものが有機化学で、それ以外が無機化学!」

「炭素が関わるのが有機化学で関わらないのが無機化学!」

「楽しいのが有機化学で、難しいのが無機化学!」

 

厳密に分けるのは難しいでしょうが、銘々の答えを出せますよね。言語化できずとも「無機化学」と「有機化学」それぞれに異なったイメージを持っている事でしょう。

同様に、有機化学と物理化学は?無機化学と分析化学は? 全部、なんとなくの説明はできますよね。

そもそも化学、もとい科学は1つであり、これらの区分は教育上、研究上生まれた形式的なものでしかないかもしれません。しかし同時に、広大な科学を理解するためには、それら細分化された領域を1つ1つ把握する事が大切であると考えます。

そのような考えの中、学部生時代、私が答えられなかった質問を1つ。

「バイオケミストリー(生化学)とケミカルバイオロジーの違いは?」

え?一緒じゃないの?

そもそもケミカルバイオロジーって初めて聞いた!

そのような方向けに、ケミカルバイオロジーとバイオケミストリーとの違いをまとめてみました。

定義の比較

まずそれぞれの定義について調べてみました。

バイオケミストリー「生命現象の化学を研究する学問14

ケミカルバイオロジー「化学的観点あるいは化学的手法を用いて生命現象を解明する学問分野10

はい。どちらも生命現象を解明する事が目的とされており、一見大きな違いはみられません。

しかし、ケミカルバイオロジーの定義では、「化学的手法を用いる」面が強調されています。対してバイオケミストリーでは「生命現象“の”化学」と、化学の出番を生体内に限定してます。

“Chemistry applied to Biology”と“Chemistry in Biology”の違いと言えば分かりやすいでしょうか。

即ち、ケミカルバイオロジーは天然化合物、合成化合物や蛍光分子等を用いて生体内の仕組みの解明を目指す化学を起点とする学問であり、対してバイオケミストリーは生体現象の中に存在するタンパク質、核酸、糖、代謝化合物等を見つけ出し、その構造や機能を解明する生物を起点とした学問となります。

 

図1. ケミカルバイオロジーとバイオケミストリーのイメージ図

歴史の比較

それぞれの歴史を比較します。

ケミカルバイオロジーは古くから天然物化学や薬学、農芸化学として存在していたものの、一般にはHarverd大学のStuart L. Schreiber教授により1980年ごろに提唱された学問とされています。(因みにStuart L. Schreiber教授は元々、Robert Burns Woodward教授、岸義人教授の元でPh.Dをとった、ゴリゴリの全合成屋さんでした。この事からもケミカルバイオロジー研究が化学を起点としている事が分かります。)

先導的な研究は免疫抑制剤FK506の全合成に続くFK506結合タンパク質FKBP12の同定(1989年)。そして、その後のFK506-FKBP12 Complexのカルシニューリン阻害の発見(1991年)。その後、たった数十年で爆発的に世界に広がっていった、比較的若い学術分野です。

図2. Stuart L Schreiber教授(左, PC: Maria Nemchuk, Broad Institute)とFK506(右)

対してバイオケミストリーの歴史はより古く、幾つかの教科書を調べても正確な起源は載っていませんでしたが、wikipediaによると1833年のAnselme Payenによる酵素の発見、Eduard Buchnerのアルコール発酵の細胞外での再現、1842年のJustus von Liebigの代謝の化学的説明、または18世紀のAntoine Lavoiseirの発酵や呼吸の研究にまで遡れるといいます。そして、Carl Neubergが1903年に「バイオケミストリー」を言葉として提唱したと言われております。

その後、1958年にFrancis Harry Compton Crickのセントラルドグマの提唱などの分子生物学的ブレークスルーを挟んで、現在まで幅広い分野が研究されております。

図3. バイオケミストリー開拓への貢献者たち。左からPayen, Buchner, Liebig, Lavoiseir, Neuberg(画像: wikipedia)

教科書の比較

教科書、総説に頻繁にまとめられる分野を比較してみます。

図4. 参考にした教科書一覧(上段:ケミカルバイオロジー10-13 下段:バイオケミストリー14-18)。詳細は本記事下部”参考文献”参照。

ケミカルバイオロジーは非常にシンプルで多くの教科書で「バイオイメージングに関する研究」と「生理活性物質のケミカルバイオロジー研究」の2種類がメインと説明されています。

対してバイオケミストリーでは「生体分子の化学構造と3次元構造」「生体分子の相互作用」「細胞における生体分子の合成と分解」「細胞におけるエネルギーの保存と利用」「生体内での分子の組み上げと統合の機構」「遺伝情報の貯蔵、伝達、発現」の6分野が主題として挙げられていました。ここから、細胞生物学や免疫学等の生物学寄りに発展していく教科書も多々ありました。

古くから発達しているだけありバイオケミストリーの教科書の方が基礎的で分量が多く、ケミカルバイオロジーは研究をメインに取り上げている総説的な教科書が多かったです。

 

論文の比較

最後にいくつかの論文をケミカルバイオロジー寄りのものと、バイオケミストリー寄りのものに分けてみます。私の好みの研究の為、偏りが酷いですが目を瞑ってください。

ケミカルバイオロジー寄りのもの
1)ケミカルバイオロジーの歴史的論文

A receptor for the immuno- suppressant FK506 is a cis-trans peptidyl-prolyl isomerase” Harding, M. W.; Galat, A. Uehlimg, D. E.; Shreiber, S. L. Nature.1989. 341.

“Calcineurin Is a Common Target of Cyclophilin-Cyclosporin A and FKBP-FK506 Complexes.” Liu, J.; Farmer, Jr. J. D.; Lane, W. S.; Jeff. F.; Weissman, I.; Schreiber, S. L. Cell. 1991, 66, 807-815.

図5. FK506の作用機序。Calcineurinの酵素活性を阻害する事で免疫応答を阻害する。

前述の通り、Stuart L. Schreiber教授によるケミカルバイオロジーを切り開いた論文。免疫抑制剤FK506の結合タンパク質FKBPの同定、FK506-FKBP ComplexがCalcineurinを阻害する事で免疫抑制を引き起こすことを解明。FK506の化学合成技術がふんだんにプローブ開発に生かされていてカッコいいです。

2) 生理活性分子のケミカルバイオロジーの論文

“A Potent and Site-Selective Agonist of TRPA1” Takaya, J.; Mio, K.; Shiraishi, T.; Kurokawa, T.; Otsuka, S.; Mori, Y.; Uesugi, M. J. Am. Chem Soc. 2015, 137, 15859-15864. DOI: 10.1021/jacs.5b10162

図6. JT010によるTRPA1活性化3

京都大学上杉志成教授によるTRPA1選択的アゴニストJT010の発見、TRPA活性化機構の分析。化合物ライブラリのスクリーニングから入り、JT010の発見、たんぱく質の機構解明に続く、いかにもケミカルバイオロジーな研究。TRPA1はわさびによっても活性化されるタンパク質である事を強調しているのが面白いです。JT010をお寿司につけて食べてみたくなりますね。

3)バイオイメージングの論文

“Biosensing by luminogens with aggregation-induced emission characteristics” Kwok, R.T.; Leung, C. W.; Lam, J. W. K.; Tang, B. Z. Chem. Soc. Rev., 2015, 44, 4228. DOI: 10.1039/c4cs00325j

図7. AIEgenの発光プロセス4

香港科技大学Ben Zhong Tang教授による、凝集し分子内回転が抑制されることで蛍光を発する化合物(AIEgen)を用いたバイオイメージングのReview論文。(必ずしも良い点ではないかも知れませんが) AIEgen開発からスタートして生体内のどのような環境が分子内回転を制限できるか探っていくMaterial Firstな研究なのがユニーク。

4) 化学を起点に生物を作る論文

“A semi-synthetic organism that stores and retrieves increased genetic information” Zhang, Y.; Ptacin, J. L.; Fischer, E. C.; Aerni, H. R.; Caffaro, C. E., Jose, K. S.; Feldman, A.W.; Turner, C. R.; Romesberg, F. E. Nature., 2017, 551. DOI:10.1038/nature24659

動画1. Romesberg教授によるTED Talk。

Scripps ResearchのRomesberg教授による研究。ケムステ でも度か紹介されています。人工塩基対を合成し、その塩基対をDNAにもつ生物の合成。果てには、それら新しいDNAを用いた転写、翻訳ができる大腸菌を作成しています。化学の力で生命を合成していく感じが最高にゾクゾクします。

バイオケミストリー寄りのもの
1)バイオケミストリー歴史的論文

“A Structure for Deoxyribose Nucleic Acid” Watson, J. D.; Crick, F. H. Nature., 1953, 171.

図8. DNAの二重螺旋構造6

ワトソン・クリックがDNA二重らせん構造を提案した論文。導入部“We wish to suggest a structure for~”に示される消極的な意見展開やデータが無いにも関わらずNature誌に載っていることが、逆にこのアイディアのインパクトを強調しています。

2)生体分子の構造決定論文

“Crystal Structure of CAS9 in Complex with Guide RNA and Target DNA” Nishimatsu, H.; Ran, F. A.; Hsu, P. D.; Konermann, S.; Shehata, S. I.; Dohmae, N. Ishitani, R.; Zhang, F.; Nureki, O. Cell, 2014, 156, 935-949.

図9. Cas9の構造7

東京大学、濡木理教授によるCRISPR-CAS9の遺伝子編集に使われるタンパク質Cas9のRNA, DNA結合時の構造解析。構造生物学の論文は、図を眺めているだけで楽しいです(高分子って美しい!)。何かと話題なこのタンパク質。構造解明をきっかけに、遺伝子編集を制御する小分子探索のケミカルバイオロジーに発展されるかもしれませんね。(本記事執筆後、実際そのような小分子が報告されました9。本当にこの分野の進歩の速さには目が回ります。)

3)DNA複製機構の解析

“Bidirectional eukaryotic DNA replication is established by quasi-symmetrical helicase loading” Diffley, F. X.; Coster, G. Science, 2017, 357, 314-318. DOI: 10.1126/science.aan0063

図10. 真核生物、古細菌におけるMCMのLoadingメカニズム8

The Institute of Cancer Research、Gideon Coster博士による、MCM helicaseのDNAへのLoadingメカニズムを考察した論文。従来の概念を覆しています。生化学の教科書に当たり前に出てくるDNA複製機構が真核生物ではまだまだ明らかにされていない事実に驚きました。

まとめ

以上、ケミカルバイオロジーとバイオケミストリーの違いをまとめてみました。うまく伝わりましたかね…?

もしかしたら、どうでもいい事かも知れません。そもそも両者、明確に異なるものでもありませんしね。

それでも、何も知らないまま「どうでもいい」と拒絶する事と、考えた上で「どうでもいい」と一蹴する事は全くもって違います。無知も天才も有機化学と無機化学を同一視するでしょう。

はてさて、最後に執筆中更なる疑問が浮かびました。分子生物学と生化学の違いはなんでしょうか?両方、生命現象を分子レベルで説明する学問ですよね? 定義や歴史を調べてみると……こちらも中々面白かったです。ヒントは代謝。生化学ではよく取り上げられますが、分子生物学ではあまりトピックにしません。こちらは是非みなさん自身で答えを考えてみてくださいな。

関連動画

動画2. FK506の作用機序説明動画。

動画3. 京都大学上杉志成教授による市民講座。分かりやすいです。

動画4. Stuart L, Schreiber教授による講演。ケミカルバイオロジー研究の流れが分かります。

参考文献

論文
  1. Harding, M. W.; Galat, A. Uehlimg, D. E.; Shreiber, S. L. Nature.1989. 341.
  2. Liu, J.; Farmer, Jr. J. D.; Lane, W. S.; Jeff. F.; Weissman, I.; Schreiber, S. L. Cell. 1991, 66, 807-815.
  3. Takaya, J.; Mio, K.; Shiraishi, T.; Kurokawa, T.; Otsuka, S.; Mori, Y.; Uesugi, M. J. Am. Chem Soc. 2015, 137, 15859-15864. DOI: 10.1021/jacs.5b10162
  4. Kwok, R.T.; Leung, C. W.; Lam, J. W. K.; Tang, B. Z. Chem. Soc. Rev., 2015, 44, 4228. DOI: 10.1039/c4cs00325j
  5. Zhang, Y.; Ptacin, J. L.; Fischer, E. C.; Aerni, H. R.; Caffaro, C. E., Jose, K. S.; Feldman, A.W.; Turner, C. R.; Romesberg, F. E. Nature., 2017, 551. DOI:10.1038/nature24659
  6. Watson, J. D.; Crick, F. H. Nature., 1953, 171.
  7. Nishimatsu, H.; Ran, F. A.; Hsu, P. D.; Konermann, S.; Shehata, S. I.; Dohmae, N. Ishitani, R.; Zhang, F.; Nureki, O. Cell, 2014, 156, 935-949.
  8. Diffley, F. X.; Coster, G. Science, 2017, 357, 314-318. DOI: 10.1126/science.aan0063
  9. Maji, B.; Gangopadhyay, S. A.; Lee, M.; Shi, M.; Wu, P. Heler, R.; Mok, B.; Lim, D.; Siriwardena, S. U.; Paul, B.; Danc ́ık, V.; Vetere, A.; Mesleh, M. F.; Marraffini, L. A.; Liu, D. R.; Clemons, P. A.; Wagner, B. K.; Choudhary, A. Cell2019, 177, 1067-1079. DOI: 10.1016/j.cell.2019.04.009
書籍
[10] [11] [12] [13] [14] [15] [16] [17] [18] [19]

関連リンク

https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_biochemistry#cite_note-7: Wikipedia。生化学の歴史がまとめられている。

 

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Maitotoxin

Maitotoxin

学生。高分子合成専門。低分子・高分子を問わず、分子レベルでの創作が好きです。構造が格好よければ全て良し。生物学的・材料学的応用に繋がれば尚良し。Maitotoxinの全合成を待ち望んでいます。

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