第320回のスポットライトリサーチは、東京工業大学物質理工学院(田中克典研究室) アンバラ・プラディプタ 先生にお願いしました。
「がん」は死因トップの疾患ですが、これを克服すべく、ありとあらゆる手立てが検討されています。研究の見所は多くの場合、「正常細胞には作用せず、がん細胞だけをどうやって選択的に叩くのか?」という点にあります。これを実現すべく、がん細胞周辺のみで活性化されるプロドラッグの開発も検討されています。今回の成果では、がん細胞周辺で生産されるアクロレインという物質と反応して活性薬物を発生させる、全く新しいプロドラッグデザインが報告されています。Chemical Science誌 原著論文・プレスリリースに公開されています。
“Targeted 1,3-dipolar cycloaddition with acrolein for cancer prodrug activation”
Pradipta, A. R.; Ahmadi, P.; Terashima, K.; Muguruma, K.; Fujii, M.; Ichino, T.; Maeda, S.; Tanaka, K. Chem. Sci. 2021, 12, 5438-5449. doi:10.1039/D0SC06083F
研究室を主宰されている田中克典 教授から、アンバラさんについて以下のコメントを頂いています。筆者も以前ご講演を拝聴したことがあるのですが、極めて流暢な日本語を操られてもおり、今回も全く不安無くスポットライトリサーチ依頼することができました(笑)。それではインタビューをお楽しみください!
アンバラさんが来日してから15年の付き合いになりますが、この15年間の私のほとんどの怒りを中和してくれたほど、穏やかで他の多くの人達を優しく包み込んでくれる人物です。9年前に関西から埼玉和光の理化学研究所に移動する際に、博士研究員として一緒についてきてくれましたが、3回のラボの引越しや立ち上げを嫌な顔一つせずやってくれました。今は苦労を惜しまず、自分の時間を犠牲にしてまで学生さんの話をずっと聞いてあげてくれています。優秀であることはもちろんのこと、このように人として立派な研究者が科学分野にとどまらず、これからの社会を変えてくれるのだと思います。最近はアンバラさんの顔を見るといつも、マザー・テレサさんやガンディーさんは、おそらくこんな人だったんだろうなと思います。日本語や関西弁は我々よりも達者ですので、是非気軽にお話しされてください。
Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。
従来の抗がん剤開発における課題点として、薬剤分子ががん細胞だけでなく正常細胞も攻撃し、重篤な副作用をもたらしてしまうことが挙げられます。私たちは、以前にがん細胞で特異的にアクロレイン分子が大量発現していることを発見しました。さらに、2,6-ジイソプロピルフェニルアジド分子が、生体内でアクロレインと高選択的に環化付加反応を起こし、トリアゾリン生成物を経由して、アミノ基をもつ化合物が効率的に生じることを見出しています(図1参照)。本研究ではがん細胞で過剰に生成されるアクロレインを利用して、選択的にがんにのみプロドラッグを活性化する化学療法を開発しました。この方法を利用すれば、がん治療における副作用を軽減できます。マウスモデルでは、プロドラッグが実際にがん細胞内に留まってアクロレインと反応し、標的部位にのみ薬剤を放出し、副作用を抑えながら腫瘍の成長を抑制することが示されました。
Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。
体内の低分子を原料として利用して、生体内で有機合成反応を行いたいと考えた時に、どのように研究を進めればよいのかがわからずに苦労しました。実験を重ねた結果、偶然にもアジドとアクロレインの反応にたどり着きました。
まず2016年には、アジド-アクロレイン環化付加反応を用いて、生きた細胞で発生するアクロレインを可視化する方法を開発しました(ACS Sens. 2016, 1, 623)。そして、2019年には、がんに多く発生するアクロレインをアジドプローブ分子と反応させることで、ヒトの患者のがんを数分で識別することに成功しました(Adv. Sci. 2019, 6, 1801479)。
その後、アジド-アクロレイン反応性をさらに詳しく調べ、アクロレインセンサーやがんの診断だけでなく、動物レベルでのがん治療にも使えるのではないかと考えました。そこで、図1のようなプロドラッグを設計し、今回の成果に繋がりました(Chem. Sci. 2021, 12, 5438)。
Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?
アジド-アクロレイン反応は単純な反応なので,自分の研究には役立たないのではないかと心配していました。しかし、SciFinderで似たような反応を検索してみると、この単純なアジド-アクロレイン反応を報告している人がいないことに気づきました。さらに、教科書を見返してみると、自然界でも複雑な分子を合成したり制御したりするために、単純な分子や単純な反応が使われていることを思い出しました。
その後、研究を行うことに当たって「Simple is Best」という考え方を大切にして研究を続けています。
Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?
私は歴史が好きなので、大げさに言えば、私たちがやっている研究が歴史に残り、後世の人たちの日常生活に役立ち、当たり前のものになってほしいと思っています。
Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。
いつも自分のために言っていることですが、もしかしたら他の人にも参考になるかもしれません。「誰かの道を追いかけるのではなく、自分の道を歩いていこう」。
研究者の略歴
Ambara R. Pradipta
東京工業大学物質理工学院・田中克典研究室
【研究内容】
生体の低分子を有機合成化学により体内で、診断・治療薬に変換します。
有機合成化学を武器に、異分野と結びつけて新しい診断・治療法の開発を目指しています。