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溶媒の同位体効果 solvent isotope effect

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溶媒の同位体効果 (solvent isotope effect) とは

同位体(特に重水素)で標識した溶媒を利用したときに現れる同位体効果のこと。

化学研究では、水やメタノールに溶かした分子の物性や化学反応を、NMRなどで観測するために重水(D2O)や重メタノール(CD3OD)に溶かして調べる機会が多くあります。このとき、もとの分子の物性や反応速度が重溶媒中では大きく変わってしまうことがあります。

  • 例1:カルボン酸の酸解離度
    カルボン酸は D2O 中だと H2O 中と比べて酸解離平衡定数が小さくなり、酸の解離度が半分くらいに落ちます
  • 例2:特殊酸触媒によるエステルの加水分解
    特殊酸触媒(H3O+)によるエステルの加水分解速度は D2O 中だと H2O 中と比べて2倍程度速くなることがあります(逆同位体効果

こうした溶媒の同位体効果は、基質を重水素標識した時の速度論的同位体効果より知名度は低いですが、 プロトン性の重溶媒中で観測する際には顕著に効果があらわれる場合があるので注意が必要です。基質を標識するより重水素標識された溶媒を利用する方が楽な場合が多いので、この同位体効果を指標にした反応機構解析もよく実施されます。

この記事では教科書[1]をもとに、前平衡における逆同位体効果を中心に溶媒同位体効果を紹介します。

溶媒同位体効果の考え方

  • 分別係数

あるプロトン性水素をもつ分子(基質) SHが重水素標識されたアルコール溶媒 ROD と水素の同位体交換を行う平衡があるとき、平衡は下式のように表現できます。

(注:ここで SH, SD の S はSubstrate(基質)の S であってチオールの S ではありません。)

この式に入っている各物質の濃度を使って、分別係数φを下式のように定義します。[SD] は SD の濃度を表します。

分別係数は実験によって計測ができるため、同位体効果の的確な予測に有効です。分別係数がどのような値になるかはそれぞれの基質がどのように水素と結合しているか、タイプに応じておよその値が求められています(下図)[1]

この値を使って、現象の解釈や予測をしていきます。

  • 平衡の考え方

基質 SH からS’Hが生じる平衡があり、プロトン性の水素が重水素に交換した SD に関しても同様の平衡があると仮定します。
上下それぞれの式の平衡定数を KHKD 、SHとS’Hの分別係数をφ、φ’とすると、KH/KD は以下のように表現できます。
したがって重溶媒中の平衡定数 KD を、軽溶媒中の平衡定数 KH と分別係数φφ‘で見積もることができます。

例1の考え方

カルボン酸の酸解離度:カルボン酸は D2O 中だと H2O 中と比べて酸解離平衡定数が小さくなり、酸の解離度が半分くらいに落ちる。

なぜこう予測できるか、酢酸 (CH3CO2H) を例に、以下の平衡を考えます。

それぞれの平衡定数を各物質の濃度で表すと、

となります。この2式を使って KH/KD を示し、それぞれの物質の分別係数をタイプ別に代入していくと、以下のようになります。

(H2O と D2O をつなぐために分別係数は2つ(HDO, H2O)、H3O+ と D3O+ をつなぐために分別係数は三つ(D3O+, HD2O+, H2DO+)かかってきていることに注意。)

酸の解離度が小さいとき、解離度は K の平方根に比例すると近似できるので、解離度は軽水中が重水中の 1.8倍になると見積もることができます(= 重水中では解離度がだいたい半分)。この現象は ROH タイプであれば分別係数が同様ですので、カルボン酸だけでなくアルコールでも同程度の効果がみられます[2]

例2の考え方

特殊酸触媒(H3O+)によるエステルの加水分解速度は D2O 中だと H2O 中と比べて2倍程度速くなることがある(逆同位体効果)

SN1型の加水分解(例えば安息香酸エチル)を考えます。下式のように反応は2段階で進行し、プロトン化による平衡(定数 KH)と、プロトン化体の分解が起こる律速段階を仮定します(速度定数 kR)。重水中も同様に式をたてることができます。分別係数を使って、反応全体にかかる速度に対する同位体効果 kH/kD を求めていきます。

最初の平衡は以下のように表すことができます。

律速段階(kR)に同位体効果は出ないとして kH = KH × kR kD = K× kR であり、上式を使って同位体効果 kH/kD を表し、φを代入していくと、kH/kD が求まります。

kH/kD = 0.48ですので、だいたい重水中で加水分解反応が2倍くらい速くなることになります(逆同位体効果)。

四級アンモニウム塩を塩基性条件でHofmann脱離させる場合は重水中だと7倍も速くなるという逆同位体効果が観測されていますが、これも同様の方法で説明されます[3]

一方で、前平衡がなくプロトン化が反応の律速段階に含まれているような反応では一次同位体効果が大きく効いて、重水中の方が反応が遅くなります。カルボン酸を使ったビニルエーテルの加水分解反応(一般酸触媒反応)などが好例です[1]

おまけ:速度論の考え方

以上は前平衡がある系での同位体効果でしたが、速度論・律速段階における溶媒 KIE も同様に考慮することができます。基質 SH (starting material, sm)が 遷移状態 TS(H)(transition state, ts)を経て生成物 PH (product, pd)になる式を考えます。この反応の反応速度定数を kH とします。重水素標識された基質についても同様に、SD から TS(D)を経て PD を与える式を考えます。反応速度定数は kD とします。

このとき、速度論的同位体効果(KIE) kH/kD は以下のように表現できます。なお、基質と生成物の分別係数は測定可能ですが、遷移状態の分別係数は計測できないので、その中間にあると考えて加重平均で φ(ts)を推定することもできます。(∏は総積です。x はどの程度遷移状態が生成物に近いかを示す指標です(0~1)。)

実際に使っている分子(基質)が溶媒によって交換可能な水素を持っている場合(アルコールの OH やアミドの NH、活性メチレンなど)に加えて、触媒分子に含まれる交換可能な水素が重溶媒によって重水素に交換された場合や、重溶媒が直接反応に関与する場合などが想定されます。水素移動が反応全体の律速段階に含まれる場合はいずれも重溶媒中の方が反応が遅くなるケースが多く見られます。こうした場合でも、反応に前平衡が存在する場合は例2のような逆同位体効果が掛け算で効く場合があるため、 kH/kD の絶対値の評価には注意を要します。

参考文献

  1. 野依良治ほか編「大学院講義有機化学I(第一版)」東京化学同人, 1999.(第二版では詳細は削除)
  2. Albery, J. (1975). Solvent Isotope Effects. In: Caldin, E., Gold, V. (eds) Proton-Transfer Reactions. Springer, Boston, MA. https://doi.org/10.1007/978-1-4899-3013-2_9
  3. Clayden, Greeves, Warren, Organic Chemistry, 2nd eds. Oxford University Press, Chap 39, 2001.

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