[スポンサーリンク]

chemglossary

重医薬品(重水素化医薬品、heavy drug)

[スポンサーリンク]

 

重医薬品(重水素化医薬品, heavy drug)とは重水素(2H, D)で標識された医薬品のことを指す[1]。医薬分子で代謝を受ける部位の C−H 結合を、より安定な C−D 結合に置換することで代謝を遅らせることができる。薬が安定して効く時間が延びるため、薬をのむ回数を減らし、副作用も抑えることができる。そのため、患者に負担をかけない、安全な治療法を提供できる。

薬の成分は体内でさまざまな効果を発揮するが、肝臓などで徐々に分解されて効果が薄まってゆく。効果を維持するために薬をたくさん飲めば、コストもかかる上に副作用のリスクも高くなる。しかも肝臓などでの分解には個人差があるので、副作用をコントロールするために患者一人一人に合わせて投与量を調節する必要がある場合がある。この問題を解決する一つの戦略が医薬品の重水素化である。

重水素化された有機物質に含まれる炭素–重水素結合 (C–D 結合) は、通常の水素化合物に含まれる C–H 結合より化学結合が強い。そのため、代謝部位に C–D 結合を導入すれば、薬が体内で分解される際に通常よりも時間がかかる。つまり、通常の医薬品と同じ効果が、通常よりも安定して長く続く。そのため医者や患者にとって薬を飲む量や回数を減らし、副作用をコントロールしやすくなるというメリットがある(図1)。重水素化は単純に代謝を遅くするだけではなく、代謝経路を変更するための戦略として利用されることもある。

図1。従来の医薬品と重水素化医薬品のイメージ。薬は主に肝臓で分解されて効果が薄まっていくが、重水素化医薬品は分解に時間がかかるため、同量でも薬効が長時間持続する。(出典:ほとんど0円大学

 

2017年に重水素化した医薬品 deutetrabenazine (ハンチントン舞踏病における不随意運動の抑制)が、アメリカFDA(Food and Drug Administration)に初めて認可された(図2)[2]。この薬は tetrabenazine に含まれる二つのメチル基を重水素化したものである。

図2

deutetrabenazine はまずカルボニル基がアルコールへと代謝される (図3左)。このアルコールは活性代謝物である。さらにシトクローム P450 (CYP 2D6) によってメトキシ基が脱メチル化される(図3右)。脱メチル化体はいずれも不活性であるため、この脱メチル化によって薬効が失われてしまう。

図3

 

P450 による脱メチル化は水素引き抜きによって進行する。メチル基の重水素化は、この脱メチル化を速度論的重水素同位体効果(KDIE)によって遅くすることで、薬効の持続に寄与する。例えば肝ミクロソーム (P450) によるアニソール(メトキシベンゼン)の脱メチル化反応 (図4)では、上式と比べて下式の重水素化アニソールの脱メチル化が 5–8 倍遅いと報告されている[3]

図4

2021年には中国で重医薬品 donafenib が認可された (抗がん剤、キナーゼ阻害剤, 図5)[4]。この薬は sorafenib に含まれるメチル基を重水素化したものである。2022年現在、各国で臨床試験に入っている重医薬品が複数存在する。

図5

 

参考文献

  1. Pirali, T.; Serafini, M.; Cargnin, S.; Genazzani, A. A. Applications of Deuterium in Medicinal Chemistry. J. Med. Chem. 201962, 5276−5297. DOI:10.1021/acs.jmedchem.8b01808

  2. Dean, M.; Sung, V. W. Review of Deutetrabenazine: a Novel Treatment for Chorea Associated with Huntington’s Disease. Drug Des. Devel. Ther. 2018, 12, 313−319. DOI:10.2147/DDDT.S138828

  3. Smith, J. R. L.; Sleath, P. R. Model systems for cytochrome P450 dependent mono-oxygenases. Part 2. Kinetic isotope effects for the oxidative demethylation of anisole and [Me-2H3]anisole by cytochrome P450 dependent mono-oxygenases and model systems. JCS Perkin Trans. II 1983, 621–628. DOI: 10.1039/P29830000621

  4. Qin, S. et al. Donafenib Versus Sorafenib in First-Line Treatment of Unresectable or Metastatic Hepatocellular Carcinoma: A Randomized, Open-Label, Parallel-Controlled Phase II-III Trial. J. Clin. Oncol. 2021, 39, 3002−3011. DOI: 10.1200/JCO.21.00163

関連リンク

Avatar photo

Naka Research Group

投稿者の記事一覧

研究グループで話題となった内容を紹介します

関連記事

  1. マテリアルズ・インフォマティクスにおけるデータ0からの初期データ…
  2. YADOKARI-XG 2009
  3. Akzonobelとはどんな会社? 
  4. 静電相互作用を駆動力とする典型元素触媒
  5. 高機能な導電性ポリマーの精密合成法の開発
  6. ベンゼン環記法マニアックス
  7. ChemDrawの使い方【作図編⑤ : 反応機構 (後編)】
  8. 低分子化合物の新しい合成法 コンビナトリアル生合成 生合成遺伝子…

注目情報

ピックアップ記事

  1. 海外留学ってどうなんだろう? ~きっかけ編~
  2. 第62回―「再生医療・ドラッグデリバリーを発展させる高分子化学」Molly Shoichet教授
  3. ケムステタイムトラベル2010 ~今こそ昔の記事を見てみよう~
  4. 計算化学者は見下されているのか? Part 1
  5. 脱一酸化炭素を伴う分子間ラジカル連結反応とPd(0)触媒による8員環形成反応を鍵としたタキソールの収束的全合成
  6. 下村 脩 Osamu Shimomura
  7. 大正製薬、女性用の発毛剤「リアップレディ」を来月発売
  8. サーバーを移転しました
  9. 京都の高校生の学術論文が優秀賞に輝く
  10. IBM,high-k絶縁膜用ハフニウムの特性解析にスパコン「Blue Gene」を活用

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2022年3月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

注目情報

最新記事

7th Compound Challengeが開催されます!【エントリー〆切:2026年03月02日】 集え、”腕に覚えあり”の合成化学者!!

メルク株式会社より全世界の合成化学者と競い合うイベント、7th Compound Challenge…

乙卯研究所【急募】 有機合成化学分野(研究テーマは自由)の研究員募集

乙卯研究所とは乙卯研究所は、1915年の設立以来、広く薬学の研究を行うことを主要事業とし、その研…

大森 建 Ken OHMORI

大森 建(おおもり けん, 1969年 02月 12日–)は、日本の有機合成化学者。東京科学大学(I…

西川俊夫 Toshio NISHIKAWA

西川俊夫(にしかわ としお、1962年6月1日-)は、日本の有機化学者である。名古屋大学大学院生命農…

市川聡 Satoshi ICHIKAWA

市川 聡(Satoshi Ichikawa, 1971年9月28日-)は、日本の有機化学者・創薬化学…

非侵襲で使えるpH計で水溶液中のpHを測ってみた!

今回は、知っているようで知らない、なんとなく分かっているようで実は測定が難しい pH計(pHセンサー…

有馬温泉で鉄イオン水溶液について学んできた【化学者が行く温泉巡りの旅】

有馬温泉の金泉は、塩化物濃度と鉄濃度が日本の温泉の中で最も高い温泉で、黄褐色を呈する温泉です。この記…

HPLCをPATツールに変換!オンラインHPLCシステム:DirectInject-LC

これまでの自動サンプリング技術多くの製薬・化学メーカーはその生産性向上のため、有…

MEDCHEM NEWS 34-4 号「新しいモダリティとして注目を浴びる分解創薬」

日本薬学会 医薬化学部会の部会誌 MEDCHEM NEWS より、新たにオープン…

圧力に依存して還元反応が進行!~シクロファン構造を活用した新機能~

第686回のスポットライトリサーチは、北海道大学大学院理学研究院化学部門 有機化学第一研究室(鈴木孝…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP