[スポンサーリンク]

スポットライトリサーチ

新規重水素化触媒反応を開発―医薬品への直接重水素導入を達成―

[スポンサーリンク]

第415回のスポットライトリサーチは、京都大学大学院 薬学研究科 薬品分子化学分野(竹本研究室)の糸賀 萌子 (いとが もえこ)さんにお願いしました。

本プレスリリースの研究内容は重水素化反応についてで、炭素-重水素(C-D)結合には切断されにくいという特徴があり、医薬品の有効成分で代謝を受ける箇所を重水素で置き換えた重水素化医薬品の開発が活発に進められています。特にヒドロキシ基 α 位のC-H結合は、代謝による切断を受けやすい代表的な位置であるため重水素化するメリットが大きい部分ですが、ヒドロキシ基 α 位のみを重水素化するには高価な重水素化試薬を利用した多段階合成を必要とするため、効率的な重水素導入は困難でした。そこで本研究では、イリジウム-ビピリドナート錯体を使って直接的な C-H 結合重水素化のアプローチに挑戦し、様々な第一級アルコールと第二級アルコールの
重水素化に成功しました。

この研究成果は、「Chemical Science」誌およびプレスリリースに公開されています。トップ画像は、HとDそれぞれの蜘蛛の糸の強弱から C-D 結合の強固さを表現したイラストで、論文のCover Picture にもなっています。

Iridium-catalyzed α-selective deuteration of alcohols

Moeko Itoga, Masako Yamanishi, Taro Udagawa, Ayane Kobayashi, Keiko Maekawa, Yoshiji Takemoto and Hiroshi Naka

Chem. Sci., 2022,13, 8744-8751
DOI: doi.org/10.1039/D2SC01805E

指導教員である中 寛史 准教授より糸賀さんについてコメントを頂戴いたしました!

糸賀さんは、とても明るくアクティブな学生さんで、B4の時までは竹本研究室で Lyconesidine B の不斉全合成の完成に貢献しています (Bull. Chem. Soc. Jpn. 2022, 95, 871-881.)。M1 からは私のグループで、医薬品の位置選択的かつ直接的な重水素化反応の開発、という難度の高いテーマに挑戦しています。本研究では、薬物代謝学や製薬企業の研究者に量•質•価格の観点から誰もが望む形で重医薬品を届けることを可能にする、新しい合成法の開発を目標としました。糸賀さんはアルコールのα位のみが重水素化された医薬品の供給に耐えうる触媒的手法の開発をはじめ、研究目標の大部分を 1 年間で達成しました。これからも彼女がクリエイティブな研究をどんどん展開して研究者として成長していくのを楽しみにしています。

Q1. 今回プレスリリースとなったのはどんな研究ですか?簡単にご説明ください。

医薬品を含む複雑なアルコールのヒドロキシ基 α 位を直接的に重水素化する反応に関する研究です。

重水素は天然に存在する安定な水素同位体であり、その質量差と量子効果から炭素―重水素結合の切断には炭素-水素結合の切断に比べ大きなエネルギーを要します。炭素―重水素結合の安定性から、医薬分子の特定の水素原子を重水素原子に置き換えた重医薬品は代謝安定性に優れており、2017年に上市されたデューテトラベナジンを皮切りに近年新たな医薬品群として注目を集めています。

医薬分子に含まれるヒドロキシ基α位の炭素―水素結合は代謝による切断を受けやすいため、重水素化の魅力的な標的部位です。有機分子のヒドロキシ基 α 位選択的な重水素化反応は過去に複数報告されていますが、配位性の官能基を有する複雑な医薬分子にも適用可能な重水素化法は知られていませんでした。

そこで本研究では、ヒドロキシ基 α 位が代謝部位であることが知られているロサルタンカリウムを標的化合物として効率的な触媒系を探索しました。その結果、ビピリドナート配位子を持つイリジウム錯体触媒 (藤田触媒、Fujita, K. et al. Angew. Chem. Int. Ed. 2012, 51, 12790-12794.) と重水を用いることで、ヒドロキシ基 α 位の直接的重水素化が可能であることを見出しました。同様の反応条件は、複数の医薬品や天然物を含む種々のアルコールに対し適用可能です。

また、重水素化ロサルタンの代謝研究を行い、ヒドロキシ基 α 位への重水素の導入によりロサルタンの代謝安定性が大幅に向上することも明らかにしました。

Q2. 本研究テーマについて、自分なりに工夫したところ、思い入れがあるところを教えてください。

重水素化ロサルタンの代謝安定性を実際に評価し、ヒドロキシ基 α 位に重水素を導入することで代謝安定性が大幅に向上することを明らかにできた点に思い入れがあります。

今回重水素化の標的としたロサルタンは、生体内でヒドロキシ基 α 位が代謝を受けることが知られている医薬品です。しかし、ヒドロキシ基 α 位の重水素化が代謝に与える影響は明らかになっておらず、重水素化ロサルタンの合成例も高価な重水素化試薬 (DMF-d7、 NaBD4) を用い多段階を経る特許一例に留まっていました。従来合成が困難であった重水素化ロサルタンの簡便な合成法の確立が代謝研究の実現に繋がったと感じているので、この点に思い入れがあります。今回得られた知見が、今後の重医薬品開発に有用なものとなることを期待しています。

Q3. 研究テーマの難しかったところはどこですか?またそれをどのように乗り越えましたか?

ロサルタンの重水素化反応のスケールアップと、得られた重水素化体の単離精製です。

スケールアップを試みた際には系の複雑化や触媒の失活が問題となり、当初は重水素化体の量的供給が困難でした。反応の進行に伴いロサルタンの脱水素化体が徐々に蓄積することを同定し、上手く還元を促せる反応条件に改良できたことで、最終的にはグラムスケールでの重水素化を実現することができました。

精製については、ロサルタンが酸や塩基に対し不安定であったり、水溶性が非常に高く再結晶時に水が混入すると目的物の大半をロスしたりと、重水素化体を無駄なく単離することに想像以上に苦戦しました。後処理に用いる酸の種類や分液の溶媒など一つずつ検討した結果、何とか精製方法を確立することができました。

Q4. 将来は化学とどう関わっていきたいですか?

進路選択をした高校生の頃から医薬品の開発に携わりたいという思いは変わっておらず、新薬の創製に少しでも貢献することが目標です。私の現在の専攻は有機化学ですので、まずは得意分野を一つ持った人材になることができるように力を注いでいきたいと思います。専門分野を基軸に関心と知識の幅を広げ、多様な分野を専門とする方々と広く議論しながら研究を進めていくことで、創薬という大きな目標を達成することができたらと考えています。

Q5. 最後に、読者の皆さんにメッセージをお願いします。

ここまでお読みいただきありがとうございます。日頃お世話になっている Chem-Station で自身の携わった研究を紹介する機会を頂けたことを、大変光栄に感じております。興味を持っていただけましたら、是非論文にも目を通していただけたらと思います。

本研究は、多くの方々のお力添えがあったからこそ形にすることのできたものです。共著者の皆様や、誘導体触媒をご提供いただいた京都大学 藤田先生にこの場を借りて心より感謝申し上げます。

最後に、日頃からご指導ご鞭撻してくださる薬品分子化学分野の竹本佳司先生、中寛史先生、南條毅先生、研究室生活の様々な場面でお世話になっている学生の皆様に、深く感謝申し上げます。

研究者の略歴

名前:糸賀萌子(いとが もえこ)

所属:京都大学大学院 薬学研究科 薬品分子化学分野

略歴:

2017/3 私立横浜雙葉高等学校 卒業

2021/3 京都大学薬学部薬科学科 卒業

2021/4- 京都大学大学院薬科学専攻 修士課程在学

関連リンク

Avatar photo

Zeolinite

投稿者の記事一覧

ただの会社員です。某企業で化学製品の商品開発に携わっています。社内でのデータサイエンスの普及とDX促進が個人的な野望です。

関連記事

  1. 2024年ノーベル化学賞ケムステ予想当選者発表!
  2. 高分子のらせん構造を自在にあやつる -溶媒が支配する右巻き/左巻…
  3. 有機ホウ素化合物を用いたSNi型立体特異的β-ラムノシル化反応の…
  4. ジャーナル編集ポリシーデータベース「Transpose」
  5. 条件最適化向けマテリアルズ・インフォマティクスSaaS 「miH…
  6. 不安定化合物ヒドロシランをうまくつくる方法
  7. AI解析プラットフォーム Multi-Sigmaとは?
  8. 変わったガラス器具達

注目情報

ピックアップ記事

  1. エレクトライド:大量生産に道--セメント原料から次世代ディスプレーの材料
  2. 酵素による光学分割 Enzymatic Optical Resolution
  3. 第162回―「天然物の合成から作用機序の解明まで」Karl Gademann教授
  4. アルツハイマー原因物質、緑茶成分に抑制機能・埼玉医大など
  5. 野依不斉水素移動反応 Noyori Asymmetric Transfer Hydrogenation
  6. 文具に凝るといふことを化学者もしてみむとてするなり⑲:Loupedeck Live Sの巻
  7. 【ジーシー】新たな治療価値を創造するテクノロジー -BioUnion-
  8. 科学系のLINEスタンプを使おう!!
  9. 【6/26・27開催ウェビナー】バイオ分野の分析評価・試験~粒子径測定と吸入製剤試験の新技術~(三洋貿易株式会社)
  10. 良質な論文との出会いを増やす「新着論文リコメンデーションシステム」

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2022年9月
月 火 水 木 金 土 日
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

注目情報

最新記事

大学院留学してよかったこと, 悪かったこと【英語, 経済面, オーバードクターに関するお話】

海外の大学で、その大学に籍を置く大学 (院) 生として留学することは「学位留学」と呼ばれたりします。…

光前駆体法の活用によって、ヘプタセンで初の一重項分裂を観測!

第725回のスポットライトリサーチは、京都大学大学院 理学研究科化学専攻 有機元素化学研究室(山田研…

【スタッフ・寄稿募集】Chem-Stationで、化学を「伝える側」になりませんか?

Chem-Station(ケムステ)は2000年に開設された国内最大の化学ポータルサイトです。大学・…

第17回大津会議―とある参加者の記録―

2026年9月28日~29日に開催された第17回大津会議についての、とある参加者の記録です。この記事…

第17回大津会議 -Otsu Conference- 2026 開催報告 ~新体制で紡ぐ「有機合成の夢」~

第17回大津会議が2026年9月28日(月)〜9月29日(火)びわ湖大津プリンスホテルにて開催されま…

有機合成化学協会誌2026年10月号:医薬品プロセス開発・σ芳香族性・含窒素複素環・メロテルペノイド二量体・高歪み化合物

有機合成化学協会が発行する「有機合成化学協会誌」2026年10月号がオンラインで公開されています。…

時代は水だ! セメントのように水と混ぜるだけで成形・硬化できる「水硬性」高分子

第724回のスポットライトリサーチは、東京科学大学物質理工学院(大塚研究室)博士前期課程2年の徳満玲…

複雑さを設計して、結晶の動きをプログラムする

第723回のスポットライトリサーチは、高知工科大学大学院工学研究科(林研究室) 博士後期課程3年の樋…

ハロゲンの力で強力な結合を切断!天然物クマリンから医薬品・機能性材料原料のクマラノン類へ

第 722 回のスポットライトリサーチは、立命館大学大学院薬学研究科薬学専攻 精密合…

観察を写真で残す!カメラ内蔵リアクタ EasyMax 102i を使ってみた

反応の温度も、攪拌(かくはん)も、滴下も、サンプリングもいまや自動で記録される時代になりました。とこ…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP