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有機化学を俯瞰する -有機化学の誕生から21世紀まで–【後編】

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本連載では分子の化学、特に有機化学の歴史を振り返りながら、現代の合成化学がどのような過程で今に至っているのかを紐解いていきます。この記事では尿素を人工的に合成したことで有機化学が幕を開けたことをお話します。さらに分子構造の化学反応のメカニズム (反応機構) の解明によって有機合成化学の発展に大きく貢献したこと解説します。最後に21世紀の合成化学の様子の一部を俯瞰します。

これまでのあらすじ

前回の記事で、古代から提案されていた原子説が近世ごろから実験手法によって洗練される過程をお話ししました。具体的には倍数比例の法則や定数比例の法則によって、物質は、原子が数個集まって分子を構成しており、同じ化合物であればそれが天然のものあれ人工のものであれ、同じ分子からなることが提案されました。このような分子説が確立されたことで、生命体が作り出す分子を明らかにする研究が活発になります。今回のお話は、生命科学としての有機化学が誕生するところからです。

動物の腎臓なしで、尿素が合成された

19世紀の前半にドイツのヴェーラーは、実験室のフラスコ内で尿素 (NH2CONH2) を作り出すことに成功しました1。このことは有機化学の歴史上重大な発見です。なぜなら、前回の記事でお話したように、当時の伝統的な考えでは、生命体が作る分子には「生気力」が宿るとされていたからです。ヴェーラーによる尿素の人工合成は、その生気説を覆し究極的には生命現象も分子の働きに起因することを証明したのです。そしてここに、生命体が作り出す分子をフラスコ内で作りだす有機化学が誕生した、ということにされています。1828年のことです。

ヴェーラーによる尿素の人工合成. ヴェーラーの図は Wikipedia より引用. 

化学構造式の提案 -炭素は 4 本の手を持つ–

ヴェーラーの発見は画期的でしたが、その発見は偶然による部分も大きかったと考えられています。当時は分子が持つ原子の組成を分析する方法はあったものの、分子の形(分子構造)はまだ明らかにされていなかったのです。分子構造に関する理論研究は、18 世紀後半から 19 世紀前半にかけて行われました。

分子構造に関する研究の先駆者が、ドイツの科学者のケクレです。ケクレは、「ある原子には特定の数の原子価 (=結合の手) があり、その結合の手を満たすように構成原子をうまくつなげることで分子が構成されている」と提案しました。さらに炭素の手が 4 本であることを予測し、さらに炭素同士が結合することで分子の骨格ができることも提案しました。特に炭素同士の二重結合と単結合が交互に並んで六角形をつくると、ベンゼンの分子式 (C6H6) につじつまの合う構造が描けることも指摘しました。このようなベンゼンの表記法は、ベンゼンのケクレ構造という名が冠されています。

ケクレが提案した分子の構造は, 分子を計画的に合成するための指針になった. ケクレの図は Wikipedia より引用.

ケクレの分子構造に関する仮説は当時の科学者にとって強力なツールになりました。というのも、以前までの分子に関する主な情報は、分子式と化学反応性に関するもののみだったからです。分子式は燃焼によって確かめられ、化学反応性については、ある共通の化学反応 (銀鏡反応やヨードホルム反応などのような高校化学で登場する化学反応) を起こすかどうかで分類されていました。これらにケクレの仮説を加わることで、元素の繋げ方によって分子を記述できるようになったのです。このような分子の構造式という考え方が、分子を分析したり合成する際の指針になったわけです。

有機化学の大躍進

エレガントな化学合成1

分子の構造についての理論が発展すると、分子を構造に基づいて合理的に化学合成する試みが活発になされました。これは「天然物の全合成」と呼ばれる分野で、「原子レベルのものづくり」の時代が幕を開けたといってもよいでしょう。 下に示すのは、「理論に基づくエレガントな化学合成の初めての例」です。1917 年にイギリスの有機化学者ロビンソンはトロパノンと呼ばれる化合物が、下の図のように3つの化合物から合成できると見抜き、実際に合成に成功しました。

ロビンソンによる「理論に基づくエレガントな化学合成の初めての例」.式の左端の化合物を点線の部分で切断することを想像し、その合成反応を設計した. 具体的にはアルデヒド, アミン, ケトンによる Mannich 反応を利用した. 

ものを混ぜるだけの時代は終わった

20世紀前半には、フラスコ中での実験的手法の発達と同時に、物理的なアプローチによる化学の理論解明も進みました。まず、1905 年に日本人の長岡半太郎が原子構造の惑星モデルを発表しました。つまり原子の構造は、正電荷をもつ核の周りを負の電荷を持つ電子が回っているという、というモデルです。さらに、 原子間の結合のモデルとして、「2 つの原子が自身の外側の電子を共有することによって結合が形成される」という原子価結合法が発表されました。

原子の結合についての物理的な解釈が確立されつつあるなかで、「エレガントな化学合成」を初めて行ったロビンソンは、化学反応のメカニズムを理解する方法を提案しました。ロビンソンは「分子の中の結合は、2つの原子が電子対を共有することで形成される」ことに注目したわけです。そして、化学反応の本質は電子の動きにあると考えました。

この考えに基づいてロビンソンは化学反応のメカニズムを次のように考えました。

(1) 分子同士が結合するときは、分子中の外殻電子が別の分子の正電荷部分に向かって攻撃する。これにより新しい共有結合が形成される (電子が共有される)
(2) 分子が分解するときは、結合電子を一方の分子断片が持っていく

このような化学反応のルールに基づいて、エステルのけん化反応のメカニズムを図示すると、次のようになります。灰色の矢印は、電子の対が動いて、結合を形成しようとしている様子を表します。

ロビンソンが提案した化学反応を図示する方法. 弧を描いている矢印が電子の動きを表す. ここのような電子の動きを表す図の読み方はこちらの記事も参照: 有機反応を俯瞰する –縮合反応–

この表記法は、化学反応のメカニズムを直感的に理解する手助けとなり、現在の化学反応論の基礎になっています。そして、このような理論に基づいて分子の反応性を理解し、より合理的に目標分子の合成経路を設計できるようになりました。

これらのモデルにより、化学反応を物理的に解釈する動きが活発になりました。例えば物理有機化学者の一人であるインゴールドは、「ものを混ぜるだけの時代は終わった。物理化学の原理が有機化学を含めて化学の全分野の基盤となっている」という言葉を残したそうです2。例えばインゴールドは、ある種の有機化学反応の反応速度に注目して、その有機反応が起こるメカニズムを提案しています。(大学レベルの用語を借りると, SN2, SN1, E1, E2 反応の研究をしたのがインゴールドです。)

どんな複雑な物質も合成できる

現代の有機化学の発展の一例として、伝説と呼ばれる有機合成化学者を紹介します。1960 年代前半、アメリカの化学者ウッドワードがこれまでで最も複雑な天然化合物ビタミン B12 の合成に着手し、ついに 1973 年にその成果を発表しました。その合成経路は100段階にもおよぶ化学反応からなっていたそうです。それをおよそ100名の学生と博士研究員からなる化学者がチームを組んで、12年もの年月がかかったというのだから、そのプロジェクトの大きさを物語っています。

ビタミン B12 の一種の構造.

このビタミン B12 の合成が達成されたことで、十分な時間と綿密な計画さえあれば、どんな複雑な物質も合成できる可能性を有機化学者たちに確信させました。ウッドワードは芸術的な合成戦略を考案することに長けており、1965 年にノーベル化学賞を受賞しました。ちなみにウッドワードは有機化学の理論的な発展にも貢献していますが、受賞理由は “for outstanding achievements in the art of organic synthesis” です。文字通り芸術的な有機合成が評価されてのノーベル賞だというのだから、これは有機合成が一種の芸術へと昇華した歴史的な出来事だといっていいでしょう。天然物の全合成は今でも有機合成の花形の分野の一つです。

“有機”合成化学は天然にない化合物の合成へ

新たな化学反応の手法や合成戦略が確立されていく中で、天然には存在しない化合物も合成されはじめていました。そのような人工の分子の中には、偶然に見つかった人工分子もありましたが、天然の化合物を構築するために培った理論を応用することで、望みの構造や機能をもつ分子を合成できるようになったのです。そして「生命の化学」と考えられていた有機化学は、「炭素を中心とする化学」へと発展を遂げていきます。たとえば、現代の科学者は衣服、塗料、接着剤、ラップなどの材料の材料を作り出すことができます。

身の回りの人工の “有機” 分子 (厳密には高分子) の一例.

さらに有機化学は「生命の化学」を超えていくだけでなく、無機化学との境界にも迫っています。たとえば有機化合物と金属が結合すると有機金属錯体と呼ばれる金属と有機分子のハイブリッドとでも呼ぶべき分子が形成されます。金属錯体は化学反応を促進するための触媒として機能したり、単一の分子の磁石として機能できます。

金属錯体の例. これらの錯体は単分子磁石の開発を目的に合成された. 図は論文 4, 5 より引用. 

それらの金属錯体の機能を調整するために、金属の結合相手になる有機化合物 (=配位子) を新たに開発することがあります。特に、2010年にノーベル化学賞を受賞したクロスカップリング反応などの有機合成化学の手法の発展により、有機金属錯体の設計の自在性が一気に広がりました。もともと金属錯体は無機化合物と分類されていましたが、新しい金属錯体の合成には、新しい配位子の合成が必要な場面もあります。合成化学者にとって、分子を有機とか無機とか分類するのはもはやナンセンスになってきているのです。

21 世紀の有機化学を俯瞰する

最後に21世紀の合成化学者が作り出してきた化合物群の例を2つ紹介して、今回の本記事を締めたいと思います。ただし選んだ化合物群は完全に筆者の好みが大きく反映されており、これらが 21 世紀の合成化学を代表しているというわけでは決してありません。

分子ナノカーボン

1つ目は炭素からなる分子群、いわゆる分子ナノカーボンです。炭素は伝統的な有機化合物 (生物由来の分子) の主要な成分である一方で、単体の炭素自身で材料として機能するものがあります。例えば宝石のダイヤモンドが炭素であることは有名ですね。また、黒鉛 (グラファイト) は、炭素が六角形状に並んで形成された平面が層状に重なった物質です。ずばり鉛筆の芯は黒鉛です。これらは古くから利用されていた炭素材料です。

ところが20世紀の後半ごろ (1990 年代) から新たな炭素の同素体が発見されます。例えば、不活性雰囲気下 (ヘリウムやアルゴン) 黒鉛を電極を向かい合わせて放電させると、黒鉛の炭素の層が蒸発して、反応容器の壁面にススがつきます。そのススの中に炭素がサッカーボール状の構造を形成した分子が含まれていることがわかり、そのサッカーボール状の炭素はフラーレンと名付けられました。さらにその放電反応の陰極側からは、グラファイトの炭素シートが筒状に丸まった構造をもつ物質が含まれることも発見され、それはカーボンナノチューブと名付けられました。一方で、グラファイトの構造を成す一枚一枚の層は、粘着テープで一枚一枚はがせることも発見され、その一枚の炭素の層はグラフェンと呼ばれています。

フラーレン、カーボンナノチューブ、グラフェンは新たな炭素材料として20世紀の終わり頃に登場しましたが、当時それらは “有機合成” とは程遠い経緯で合成されていました。その発見の経緯を見て分かる通り、化学反応によって緻密に設計されたわけではありません。そのため、たとえばカーボンナノチューブを例にとると、チューブの太さ、長さ、さらには巻き方など様々な種類のものが存在し、当然それぞれ機能が違うはずです。これらの炭素化合物群を有機合成の力で緻密に合成することは、合成化学者の目標となっていました。

そのような “分子ナノカーボン” の化学は 21 世紀になって実現しつつあるのです6。下に示すのは、炭素材料の部分構造が分子として実現した例です。コランヌレンやスマネンはフラーレンの一部です。カーボンナノリングやカーボンナノベルトは最短のカーボンナノチューブだと言えます。それらの分子が、有機化学反応によって合成できるようになったのです。

分子ナノカーボンはまだまだあります。グラフェンナノリボンは一定の幅を持ったグラフェンであると考えられます。そして、さらにおもしろいのは、複雑に凹凸に反りかえった構造を持つワープトナノグラフェンなどです。これはグラフェンやフラーレンの部分構造ではなく、分子ナノカーボンが初めて実現した炭素の構造です。このように精密な有機合成によって炭素材料の化学は大きく前進しています。

金属–有機構造体: MOF

2 つ目に紹介する化合物群は有機化合物と金属が織りなす構造体、いわゆる金属-有機構造体 (Metal-Organic Framework, MOF) です。有機化合物と金属が結合すると、金属錯体と呼ばれる分子が形成されることは先ほどお話ししました。もしその有機化合物が、金属と結合できる部位を2箇所以上持つ場合、その有機化合物が2つ以上の金属を橋かけするようにつなぐことができます。そのような橋かけ構造が、規則正しく無限につながると一種のジャングルジムのような構造体が出来上がります。これが MOF です。

代表的な MOF である MOF-5 の構造.

MOF のユニークな点は内部に結晶の内部に原子スケールの空孔を持つことです。その空孔には小さなガスが入るため、ガス貯蔵やガス分離などの応用が期待されています。そして、使用する金属や有機配位子をうまく選ぶことで孔の大きさを調節したり内部の表面を修飾することができます。つまり、MOF の研究は空間を設計する化学でもあるわけです。

 MOF の設計. 同じ金属を使い, 有機リンカーの大きさを変更すれば黄色い球で示された空孔の大きさを調整できる. 同じ有機リンカーを用いても, 異なる金属を使用することで繋ぎ方を変えて構造体の形や孔の入り口の形を調整できる. 図は論文7より引用.

MOF の合成が空間の設計を含む点は、これまでの分子を作る合成化学からの新たなステップだと言って良いでしょう。というのも、前回の記事で、ギリシャ哲学者のデモクリトスが「世界は原子と空虚の二つに分類でき、空虚は原子が運動するための空間である」と提唱したことをお話しました。ここでいう原子が実体のあるモノであり、これまでの合成化学者が作ってきた分子と解釈するならば、MOF の空孔は空虚 であると解釈できるでしょう。すなわち、現代の合成化学者は、古代哲学者が提唱した世界の二つの要素を設計する手段を手に入れているわけです。うーん、ロマンですね。

まとめ: 化学って面白いよね!

というわけで、本連載では化学の歴史に沿って、原子論や分子説にはじまり現代の化学までをざっと俯瞰しました。有機化学ももともとは「生命の化学」として始まったわけですが、蓋を開けてみれば、これほどまでに様々な”有機”分子が合成されているのだから、初めて尿素を合成したヴェーラーが今の合成化学の成果を見ればびっくりすることでしょう。

科学は本来自然の営みを理解しようとする学問ですが、そのなかでも化学は創造性に富む点で、他の自然科学とは違う特別な地位にあるように私は思います。物理学は自然現象を扱う学問で、生物学は生命を扱う学問ならば、化学は原子や分子を扱う学問ですが、化学者は必要であれば新たに分子を合成することで、研究者自ら研究対象を開拓できるからです。だから、化学って面白いよね!

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参考文献

  1. Nicolaou, K. C.: Montagnon, T., In MOLECULES THAT CHENGED THE WORLD -A BREIF HISTORY OF THE ART AND SCIENCE OF SYNTHESYS AND ITS IMPACT ON SOCIETY, WILEY-VCHVerlag GmbH & Co. KGaA, Weinheim, 2008, 366
  2. Clayden, J.; Greeves, N.; Warren, S,; Wother, P., 「ウォーレン有機化学 (上)(下)」, 野依良治ら訳, 東京化学同人, 2003.
  3. 星野達也, 「改訂版フォトサイエンス化学図録」, 増田達男ら編, 数研出版, 2013
  4. Bunting, P. C.; Atanasov, M.; Damgaard-Møller, E.; Perfetti, M.; Crassee, I.; Orlita, M.; Overgaard, J.; van Slageren, J.; Neese, F.; Long, J. R. Science 2018362. DOI: 10.1126/science.aat7319
  5. Demir, S.; Zadrozny; J. M.; Nippe, M.; Long, J. R. J. Am. Chem. Soc. 2012134, 18546-18549. DOI: 10.1021/ja308945d
  6. Segawa, Y.; David R. Levine, D. R.; Itami, K. Acc. Chem. Res. 2019, 52, 2760-2767. DOI: 10.1021/acs.accounts.9b00402
  7. Furukawa, H.; Kordova, K. E.; O’Keeffe, M.; Yaghi, O. M. Science 2013341, 1230444. DOI: 10.1126/science.1230444

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PhD候補生として固体材料を研究しています。学部レベルの基礎知識の解説から、最先端の論文の解説まで幅広く頑張ります。高専出身。

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