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なぜクロスカップリングは日本で発展したのか?

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【開拓者編】【発見物語編】でも紹介しましたようにクロスカップリング研究の節目節目には、必ず日本人化学者の名前があります。日本人が先陣切って世界をリードしてきた化学でもあった―いやそれ以上に圧巻の様相を呈しており、ほぼ日本人化学者の独擅場だったと言ってもよいほどです。
ノーベル賞クラスの業績は世界に多数ありますが、こういう形で発展を遂げたものは、ほとんど例が無いように感じます。

なぜこうまで日本人の寄与が大きくなったのでしょうか? 筆者個人の独断と偏見を交えつつ、今回はそのあたりを考察してみました。

研究情報のメインフローは、「日本人から日本人」にあった?

当時それほど注目を集めてなかった日本の学術誌に原初報告が多くなされたというのが、クロスカップリングが日本で盛んたり得たひとつの理由ではないか? そう筆者は想像します。

ノーベル賞を取るような科学の場合、原初報告がごくマイナーなジャーナルに報告されて日の当たらない時間が過ぎ、しばらく経ったある時に、キーパーソンによってピックアップされブレイクする・・・そういうことがまま起こります。

当時の日本の学術誌は、欧米の化学界からは大きな注目を集めていなかった。すなわち日本の学術誌に報告されてしまうと、欧米人はフォローが遅くなった―そんな事情もおそらくあったのではないでしょうか。

一方の日本人化学者たちは、同族意識も後押しして、お互いの優れた仕事をちゃんとフォローしあっていたわけです。関連化学の開拓者である辻二郎山本明夫らによる研究を参考にして、熊田玉尾によるクロスカップリング反応開発が実現した―このことは偶然ではないと感じられます。

つまり他のどの国でもなく、日本人化学者こそが、クロスカップリングという最先端化学の知見を豊富に得やすい立場にあり、またそれを重く見る雰囲気を持っていた―これはおそらく間違いなかったことでしょう。今回のノーベル賞授賞に関しては、『地の利の勝利』的側面が、かなりのウェイトを占めているように思われます。

自国の基礎研究を育み、優れた研究者同士が交流・議論しあえる土壌をつくる―そういう地道な基礎固めこそが、数十年後に大きく花開く化学を生み出すことに直結する。

クロスカップリング化学の結実は、まさにその好例といえるのではないでしょうか?
(科学政策を立案する立場の方々、もしこのコラムをご覧になっていれば、是非そこを重く見ていただきたいものです!)

 

「日本人的な性質」が、クロスカップリングの発展に寄与した?

上で日本人に地の利があった、と書きましたが、論文は原則として英語で書かれるものです。膨大な資料を日常的に当たっていれば、外国人研究者でも読めたかもしれません。ですから、地の利だけでは説明が不十分にも思えます。

 

現代に生きる自分には、当時のことを知るよしはありません。しかしいち化学者としての想像を巡らせることは可能です。

あえて別ファクターを想像してみるならば―「手先の器用さ」「実験の丁寧さ」「膨大な数の条件検討をこなせる忍耐力」などといった日本人ならではの特性というのも、クロスカップリングの発展に重要だったのではないでしょうか。

クロスカップリングの研究過程では、おそらく試薬は出来る限り正確に調製され、純度の高いものが使われたのだと想像します。

金属触媒自体は、原理的に使用量が大変少ないものです。試薬に数%程度の不純物が混在していたとしても、触媒に対しては十分大きな量となってしまいます。触媒反応における不純物の影響は馬鹿にならず、大きなエラーや再現性に問題を引き起こす要因となりやすいのです。

さらにいえば、初期の反応に用いられた試薬(0価のパラジウムや有機金属試薬など)は、どれもこれもが水や酸素に敏感なものばかりです。このような場合には、ほんのちょっとの水や空気が反応系に混じってしまっただけで、データの信頼性に疑問符が付く――などということも、日常茶飯事たりえます。極めて精緻な実験作業が要求されただろうことは、想像に難くありません。

以前耳にした話ですが、パラジウム化学の開拓者である辻二郎先生の研究室では、実験後の反応容器を王水で洗って、器具を綺麗に保つ文化があったのだそうです(日本の有機金属を扱っている研究室では様々な方法でケアしています)。信頼性の高いデータを出すためには、そんな面倒極まりない事まで厭わず行わなければならない化学だったのか!――と、筆者は大変驚いたものです。

 

つまりクロスカップリング研究で高品質なデータを出すには、かくのごとく細かな気配りが常時必要だったのではないでしょうか。時には職人芸ともいうべき技術が要求されたことも、想像に難くないでしょう。

そんな地味そのものなポイントで、ハイクオリティな作業を日常的に徹底できる、几帳面で正確な実験技能を持った「日本人」だったからこそ、クロスカップリングとパラジウム化学は日本で大きく発展を遂げたのではないか――筆者にはそう思えてならないのです。

 

クロスカップリングと並ぶ日本のお家芸、不斉触媒

ところでクロスカップリングと同じく、日本が圧倒的な存在感を示している化学がもう一つあります。

 

それは金属不斉触媒の開発です。

この分野は論文引用ランキングの世界上位3人を日本人化学者が独占しているという、凄まじい研究領域です。不斉触媒研究に取り組んだワールドクラス化学者の名を挙げろ、と問われれば、ノーベル賞化学者・野依良治を筆頭に、柴崎正勝林民生、香月勗、小林修など・・・日本人化学者の名前がずらりと挙がります。日本が世界をリードし続けている分野たることは、疑う余地がありません。

 

こちらにしても、同じような背景理由があるのではないでしょうか。つまり「日本人」だったからこそ、こういった化学は成り立つし、発展してきた、ということです。

 

一つの不斉触媒反応を開発するには、物凄く多くのパラメータ(中心金属・溶媒・温度・濃度・不斉配位子・基質設計 etc・・・)をチューニングしなくてはなりません。またデータを揃えるためには、同じ化合物ごとに、最低でも二回の反応(ラセミ体合成、不斉合成)を行う必要があります。これは端的に言って普通の倍の作業量になります。実に並大抵の仕事量ではなく、時にはクロスカップリング以上に膨大な数の条件検討と、精密な実験技術が必要とされます。

こういったことを地道に毎日行い、ハードワークを継続できるほどに忍耐強い民族は、日本人を置いて他に居ないとも思われます。

こう考えてみると、『特定の研究領域に対する向き・不向き』というものは、国ごとに確かにあると思われてきます。欧米の真似をすることが必ずしも良い結果を生まない、という現実はこういう所にも根ざすのではないでしょうか。

cosine

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博士(薬学)。Chem-Station副代表。現在国立大学教員として勤務中。専門は有機合成化学、主に触媒開発研究。
関心ある学問領域は三つ。すなわち、世界を創造する化学、世界を拡張させる情報科学、世界を世界たらしめる認知科学。
素晴らしければ何でも良い。どうでも良いことは心底どうでも良い。興味・趣味は様々だが、そのほとんどがメジャー地位を獲得してなさそうなのは仕様。

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