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化学者のつぶやき

「溶融炭酸塩基の脱プロトン化で有用物質をつくる」スタンフォード大学・Kanan研より

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「ケムステ海外研究記」第5回目は、吉野達彦先生にお願いしました。吉野先生は筆者(副代表)の後輩に当たるのですが、学生時代からラボ内で芯のある考え方を発揮しつつ頭角を現し、クリエイティブな仕事にも数多く取り組んでいました。また後輩からの信頼も厚く、優れたリーダー研究者としての王道を歩んできています。

博士取得後の進路に海外学振での留学を決めたとき、全く得体の知れない(失礼)ラボに行くことを聞き、さすがにやってくれるなぁ!と感心したものです。そして滞在先でも持ち前の実力を発揮し、1年未満の滞在ながら見事結果をもぎ取って帰国。現在は北海道大学大学院薬学研究院(松永研究室)・助教として勤務されています。

理想的な短期海外研究ライフを過ごされたように見えますが、分野外に飛び込んだこともあって当初は苦労も尽きなかったようです。そんな吉野先生から、背景と経験談を伺ってみました。海外に飛び立つことを機に分野変えを一考している方には、ご参考頂ける話と思います。

Q1. 留学先では、どんな研究をしていましたか?

留学先のスタンフォード大学、Kanan研は大きく有機化学と電気化学のサブグループに分かれていて、私は有機化学班に属していました。有機化学班の具体的なテーマとしては以下の2つがありました。

  • 外部電場やイオン対を利用した反応の選択性の制御
  • 溶融塩を用いたC-H官能基化(やってることは塩基で無理矢理に脱プロトン化しているだけなので、こう表現すると専門家には怒られそうですがご容赦ください)

自分は両方に携わっていましたが、前者はあまり芳しい結果も出ず、unpublishedな内容も多分に含むので、後者についてだけ少し紹介します。

二酸化炭素(CO2)を使った反応は、遷移金属触媒反応を中心に近年盛んに研究がおこなわれていますが、温室効果ガスである二酸化炭素の削減という観点からは、ポリマー原料や燃料等の「high volume target」を合成するのに使わないとなりません(多くの場合熱力学的にはup hillなので、当然エネルギーを使う必要がありますが、それは将来的には再生可能エネルギーでまかなえるというのが研究室としてのスタンスでした)。

ちょうど私が留学していたころに、炭酸セシウムと比較的簡単な有機化合物を混ぜ、CO2雰囲気下、200~300 °Cまで加熱すると、CO2によるカルボキシル化が進行することを研究室の学生が見つけました(下スキーム)。この反応は紙の上では非常に簡単に書けるわけですが、炭酸塩程度の塩基で、pKaにして40を超えるような弱酸性プロトンを引き抜けるというのは大きな発見でした。

ryugaku_T_Yoshino_2

さて私はというと、「反応用の炉が一個しかないから、なんとか普通のシュレンクで同じことが出来ないか試して欲しい」とボスに言われたところから研究をスタートしました。有機合成で学位をとって、ポスドクになって粉を焼く仕事をすることになるとは思っても見ませんでした。しばらくして反応も再現できるようになり、あれこれやっているうちに、ヘテロ環のカルボキシル化が異性体も混ざらずにきれいに進むことを見つけました。特に農業廃棄物から既に工業規模で生産されているfurfural (1)を酸化して得られる2-furoic acid (2)を、炭酸セシウム存在下CO2と反応させると2,5-furan dicarboxylic acid (3)が得られました。これはPETの代替品として期待されているPEFの原料になります。高温に必要なエネルギー、セシウム塩のリサイクルプロセスなど、課題はまだまだ山積みですが、これから色々発展していくのではないかと期待しています。

ryugaku_T_Yoshino_3

“Carbon Dioxide Utilization via Carbonate-promoted C–H Carboxylation”
Banerjee, A; Dick, G. R.; Yoshino, T.; Kanan, M. W. Nature 2016, 531, 215. DOI: 10.1038/nature17185

 

Q2. なぜ日本ではなく、海外で研究を行う選択をしたのですか?

こう言ってはなんですが、あまり深く考えずに留学を決めたというのが本当のところです。「とりあえずアメリカ行っとこう」位の勢いで留学しました。ラボの文化にしても研究のやり方にしても、色々見ておいた方が将来役に立つだろうという程度の動機ですので、これはあまり他の人の参考にはならないかもしれません。

研究室選びの基準は、「変なことやってそうなところ」でした。大学院でずっと有機合成の研究室で反応開発をやりつつ、隣で全合成を見てたので、これまでと違うことが勉強できて、でも自分のバックグランドを活かしてちゃんと仕事ができそうな(学生という立場じゃないので)ギリギリのラインを選びました。

 

Q3. 研究留学経験を通じて、良かったこと・悪かったことをそれぞれ教えてください。

良かったこと

留学に限ったことではないですが、全然文化が違う研究室で研究が出来た経験は大きいかなと思います。お金をかけるところ、かけないところ、手を抜くところ抜かないところ、実験系・評価系の組み方、論文のストーリーの立て方など、純粋な有機合成系とは違うことが学べました。

あと別の人も書いていましたが、アメリカは試薬が来るのが日本より遅いです(バイオ系の友人は逆のことをいっていた人もいるので、ものによるのかもしれませんが)。そのせいで日本にいる時にくらべて、実験計画を真面目に先の方まで詰めるようになったのは良い点かもしれませんね。今は北大にいますが、試薬が来るのアメリカよりは早いけど東京より遅いので、これは役立ってる点ですね(笑)。

悪かったこと

なんだかんだ半分以上は合成に時間を使っていたんですが、有機合成の実験環境としては、スタンフォードより東大のほうが便利だとは思いました。NMRが非常に古い機械(オートロックすらついてない機種もあった)だったり、試薬も古くて死んでるのが多かったり、細かい実験器具の使い勝手が悪かったり。温度コントローラ買ったら、間違って華氏表示のが来たりもしました。圧力計はPSI表示でしたし。ヤード・ポンド法ダメゼッタイ。ベンチは広いんですけどね。この辺は全部慣れといえば慣れなんでしょうけど。

 

Q4. 現地の人々や、所属研究室の雰囲気はどうですか?

スタンフォードのあるベイエリアは日本人を含めた外国人にとって過ごしやすいところです。外国人がいるのが当たり前の環境ができているので極端に困ることはないですし、地価の非常に高いところなのでみんな親切で治安もよいです。夜中に出歩いてもそんなに危なくもないようでした。

研究室も人数は多くないものの、半分くらいは留学生なので、留学生に対する理解があり、過ごしやすかったです。私の英語の聞き取り能力がひどかったので苦労しましたが、学生も根気よく対応してくれて助かりました。基本的には自由な研究室で、朝早い人もいれば夕方に現れる人もいました。私がいた期間は、ボスはテニュア審査目前だったり、子供が出来たりしたのもあって、いつもよりミーティングの頻度は落ちていたらしいです。ミーティングはランチを食べながら和やかな感じでおこなわれていました。私は弱いので飲みませんでしたが、ビールもありました。

研究室のボス:Matthew Kanan助教授

研究室のボス:Matthew Kanan助教授

 

Q5. 渡航前に念入りに準備したこと、現地で困ったことを教えてください。

みんなそうだと思いますが、お金とビザ、住居は気をつけました。特に大学周辺は家賃が驚くほど高い(大学直近は一人暮らし用でも1ヶ月1500-2000ドル)ので大変ですが、スタンフォードは日本人互助会があったので、それでルームシェアを探しました。研究以外のところで変にトラブルを抱えるのも嫌だったのでこれは助かりました。

困ったことはお金と保険です。行ってる最中に1ドル100円から120円くらいになってしまったので(海外学振だったので円ベースで給料が出てました)一気に収入が落ちました。保険も現地にいってから大学公認の保険に入らざるを得ないことが判明し、しかも諸事情から自己負担で月500ドルくらいの保険料がかかってしまいました。ベイエリアは過ごしやすいのはいいんですが、なんでもかんでもお金がかかるのがつらいです。

あとは英語の聞き取りが苦手だったので、特にはじめの2ヶ月くらいはかなり大変でした。どの場面でどういうことが聞かれるかということに慣れるまで、本当に聞き取れなかったです。1ヶ月くらいした時、ストレスで体調を崩して少し寝込みました。

 

Q6. 海外経験を、将来どのように活かしていきたいですか?

今は助教という立場になり、北大で学生を教えながら有機合成、遷移金属触媒の研究をしていますが、将来的にはもっと違う方向にも手を出したいと思っていますので、無機も有機もやっているところで勉強できたのはいつか役に立つと考えています。またボスの論文の書き方やレフェリーとの戦い方は非常に参考になったので、これはアカデミックでやっていくためにわかりやすく活かせる点かなと思います。

 

Q7. 最後に、日本の読者の方々にメッセージをお願いします。

研究者としてどういうキャリアパスが正解かみたいな話は嫌いなので、それぞれが自分の好きなように進めばいいと思います。分野によっては海外の方がいいこともあれば国内で十分なこともあると思います。他分野に広く手を出してみるのも、一つの分野に特化するのもありだと思っています。ただ、ベイエリアは気候も治安も生活するには良い環境ですので、行きたい研究室があるならスタンフォードやその周辺の大学(UCバークレーとかUCSF)はよい選択肢だと思います。それと留学するなら英会話はちゃんと訓練しておいたほうがいいかなというのが私の反省点でしたので、参考になればと思います。

 

関連リンク

 

研究者の略歴

ryugaku_T_Yoshino_1吉野 達彦(よしの たつひこ)

所属:

2008-2009年:東京大学薬学部薬学科 有機合成化学教室 (柴﨑正勝教授)に所属(学士)

2009-2014年:東京大学大学院薬学研究院分子薬学専攻 有機合成化学教室 (金井求教授)に所属(修士・博士)

2014-2015年:スタンフォード大学化学科 博士研究員(日本学術振興会海外特別研究員) Matthew W. Kanan研究室に所属

2015年-現在:北海道大学大学院薬学研究院 助教 薬品製造化学研究室(松永茂樹教授)に所属

研究テーマ:留学時代:電場・イオン対による遷移金属触媒反応の選択性制御、CO2を用いたカルボキシル化反応

現在:遷移金属触媒を用いたC-H結合の官能基化反応、不斉触媒反応の開発 他

海外留学歴:10ヶ月

cosine

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博士(薬学)。Chem-Station副代表。国立大学教員→国研研究員にクラスチェンジ。専門は有機合成化学、触媒化学、医薬化学、ペプチド/タンパク質化学。
関心ある学問領域は三つ。すなわち、世界を創造する化学、世界を拡張させる情報科学、世界を世界たらしめる認知科学。
素晴らしければ何でも良い。どうでも良いことは心底どうでも良い。興味・趣味は様々だが、そのほとんどがメジャー地位を獲得してなさそうなのは仕様。

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