[スポンサーリンク]

一般的な話題

有機反応を俯瞰する ー付加脱離

[スポンサーリンク]

本連載も3回目に突入しました。さて、付加脱離反応といえば、求核アシル置換反応に代表される反応ですが、カルボニル化合物に限らず芳香族求核置換反応にも見られます。今回は、それらの反応に共通した電子の流れについてまとめていきます。さらに、この機構が進行可能かどうかを見極めるための考え方についても説明します。

基本的な考え方 -叩いて押し返す

さっそくですが今回の基本的な系として、エステルのけん化反応について考えてみます。

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-32-22

この反応機構を文章で説明するなら、次のようになります。

  1. まず、水酸化物イオンがカルボニル炭素を攻撃する。この際、カルボニル基の π 結合が切断されて、元の π 結合電子は電気陰性度の大きい酸素原子に移動する。これにより、酸素に負電荷を有し炭素が四面体構造をもつ中間体が生じる。
  2. その四面体中間体は、アルコキシドを脱離させることでカルボニル基を再生してカルボン酸を与える。
  3. 生成したカルボン酸とアルコキシドの間でプロトン交換が起こり、反応が右向きに進む。

この一連の電子の流れのなかの要点を言うと、

求核剤がカルボニル基を叩いて、酸素アニオンが脱離基を押し返す

という部分です。そのことを下の図の左のように 1 つの図に表すと反応の全体像がイメージを掴みやすいと思います。なお ODOS では付加脱離機構を右のように省略して描いている場合があります。左の図では、「電子の流れを一度酸素上で止めて、第二段階で脱離基を押し返す」様子をよく表していると思うので、今回の記事ではおもに左の書き方を使います。

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-09-22-37-48

さて、この「叩いて(付加)、押し返す(脱離)」というメカニズムで進行する反応は、カルボン酸誘導体における求核アシル置換反応(酸塩化物や酸無水物のエステル化、アミド化、カルボン酸合成)が代表的ですが、他の例として、下に示すような芳香族求核置換反応があります。%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-33-01

多くの巻矢印が書かれていますが、ベンゼン環は電子を伝える媒体になっているだけです。この反応では、まず求核剤の水酸化物イオンがニトロ基の p 位でベンゼン環の π 電子を叩きます。このとき赤で示した矢印に沿って電子を動かしていくと、負電荷を強力な電子求引基であるニトロ基が電子を受けとめてくれます。続いてニトロ基から電子が押し戻されて、塩化物イオンが脱離し、芳香族環が再生されます。重要なのは「水酸化物イオンが  π 電子を叩いて、ニトロ基に電子を押し込み、続いてニトロ基が電子を押し返して塩化物イオンを追い出す」ことです。したがって、この反応機構は次の図に示すように表すことができます。

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-33-12

どこを叩いてよいか

ここまでは、イメージ重視で「叩いて、押し返す」機構(付加脱離機構)を見てきましたが、ここからはその機構が起こりうるかどうかの見分け方について細かい話をしていきます。(長いです。)

まず、第一段階での「叩く」という段階がどのような場合に可能かというと、

  1. 炭素-ヘテロ原子の不飽和結合 (C=O, C=Nなど)
  2. 電子求引基と共役した不飽和結合

において可能です。1. については、カルボン酸誘導体などが当てはまるので、すぐに見分けがつくと思います。カルボン酸誘導体以外では 、C=N の炭素を叩く例として Chichibabin 反応が挙げられます (これについては最後の表に取り上げておきます)。一方、2. については、注意が必要です。例えば芳香族求核置換反応において、脱離基(塩素)に対して電子求引基 (ニトロ基)が m 位にあるような場合を考えてみます。

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-33-19

m 位を叩いても、負電荷をニトロ基に押し込めない

この場合は、求核剤がその不飽和結合を叩いても、ニトロ基上に負電荷が来るように電子を押し込むことができず、反応は起こりません。炭素は電気陰性度があまり大きくないので、炭素上に負電荷を置くような中間体は生じにくく、その機構は起こりにくいと考えられます。

一方、脱離基の共役位置(位あるいは p 位)にニトロ基がある場合は、下のようにニトロ基上に電子を押し込むことができます。酸素原子は電気陰性度が大きいので負電荷を安定に引き受けることができます。続いて、ニトロ基上に押し込まれた負電荷を、ベンゼン環を介して押し返すと、塩素が追い出されて付加脱離反応が完結します。

ニトロ基の o-位あるいは p-位を叩くと、ニトロ基上に負電荷を押し込める

ニトロ基の o 位あるいは p 位を叩くと、ニトロ基上に負電荷を押し込める

反応機構の中間体にアニオンが生じるときに、電気陰性度が高い原子(酸素や窒素)にまで負電荷を押し込めるどうかは、その反応が起こるかを見極めるポイントになります。逆にこの種の反応機構を書くときは、中途半端にベンゼン環の途中で電子の流れを止めるのではなく、アニオン安定化基(ここではニトロ基)にまで電子を押し込んで書くべきです。そうすることで、その機構が妥当であることを明示できます。

 どれが追い出されるか

次に「押し返す」段階についての注意点ですが、簡単に言うと負電荷を安定化できるものほどよい脱離基になり、不安定なアニオンは脱離基にはなりません。例えばケトンのアルキル基やアルデヒドの水素はアニオンとしては不安定であり、それらは普通脱離基にはなりません。

脱離基の選び方に関して、もう一度最初のエステルのけん化の例に戻りましょう。そこでは、水酸化物イオンがエステルを叩いてアルコキシドを脱離させる過程 (2 つめの矢印まで) を平衡式として書いていました。なぜでしょうか。

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-33-52

実はこの反応では、求核剤としてカルボニル基を攻撃した水酸化物イオンも脱離する可能性があるのです。というのも、この中間体が有する OH 基も OR  基のどちらの置換基が脱離した場合も、1つの酸素上に負電荷を有するタイプの陰イオン (水酸化物イオンあるいはアルコキシド) を生じます。それらに安定性の違いがないため、どちらも同様の脱離能を持ちます。つまり、中間体から続く反応としては、OR 基を押し返して右向きに進むこともありますが、OH 基が押し返されて元に戻るということもありえます。このことが、付加の段階を可逆反応として書いた理由です。

四面体中間体からは水酸化物イオンとアルコキシドのどちらも脱離しうる。

ただし、アルコキシドが脱離した場合には、生成物としてカルボンが生じます。したがってその酸性のプロトンをアルコキシドが受け取る反応が不可逆的に進行するため、反応全体が右に進みます。つまり、エステルのけん化反応では塩基が等量消費されることで、反応が右に進行するということになります

%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-34-14

アルコキシドが脱離した場合には、非可逆なプロトン交換によって反応全体が右に進む

まとめると、「求核剤と脱離基が同程度の脱離能を有する場合には脱離の段階で求核剤が追い返される場合があり、平衡式で書く」ということです。反応機構を書くときの電子の流れはもちろん大事ですが、「各段階が可逆かどうか」あるいは「平衡をシフトさせる駆動力があるか」を意識しておくことも反応の理解に重要だと思ったので少々長く書かせてもらいました。最後に反応例をあげていますが、各段階を一方通行で書いたり可逆過程で書いているかどうかの基準は、おおよそ上のような考察に基づいています。例えば、最初に書いた芳香族求核置換反応では OH 基よりも Cl 基の方がの脱離能がよいので、OH 基が脱離して出発物に戻る経路は考えにくく、一方通行の矢印で書いています。

というわけで、今回は単純なカルボニル基での求核置換反応から芳香族求核置換反応を「叩いて押し返す」という合言葉をもとに見てきました。その他の類似反応について、簡単なスキームでまとめておきます。

反応名 鍵段階 備考
エステルのけん化  %e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-09-22-34-56   求核的アシル置換反応も同様。
%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-35-09
エステルへの Grignard 反応  %e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-09-22-35-16  エステルへの付加脱離反応によりケトンが生成するが、得られたケトンにも Grignard 試薬が付加する(脱離は起こらない)。
%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-35-19
エステルの LAH 還元  %e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-09-22-35-25 エステルへの付加脱離反応によりケトンが生成するが、得られたケトンにも LAH のヒドリドが付加する。
%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-35-25
Claisen 縮合  %e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-09-22-35-45  アルコキシドの脱離により生じた β-ケトエステルが、塩基によって不可逆的に脱プロトン化されるため反応が右へ進む。
%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-35-38
芳香族求核置換 (SNAr)  %e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-09-22-35-56
%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-36-02
Chichibabin 反応  %e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-09-22-36-06
%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-36-08
Smiles 転位 %e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-10-21-36-39
%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-36-18
Julia-Kocienski オレフィン合成 %e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-10-22-51-06 反応機構は Smiles 転位と類似しているが、オレフィン形成が主役
%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-10-22-52-53
Cannizzaro 反応  %e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-09-22-36-58  ヒドリドは通常脱離しにくいが、高濃度の塩基性条件では四面体構造の中間体の脱プロトン化によって中間体のアニオン性が高まり、ヒドリドが追い出されると考えられている。
%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-08-23-50-59
Tishchenko 反応  %e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-10-09-22-36-47
%e3%82%b9%e3%82%af%e3%83%aa%e3%83%bc%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%83%a7%e3%83%83%e3%83%88-2016-09-28-22-37-04

本連載の過去記事はこちら

関連反応

関連書籍

やぶ

投稿者の記事一覧

PhD候補生として固体材料を研究しています。学部レベルの基礎知識の解説から、最先端の論文の解説まで幅広く頑張ります。高専出身。

関連記事

  1. 金属内包フラーレンを使った分子レーダーの創製
  2. 含ケイ素四員環 -その1-
  3. 大阪大学インタラクティブ合宿セミナーに参加しました
  4. フラッシュ精製装置「バイオタージSelect」を試してみた
  5. 【10月開催】第2回 マツモトファインケミカル技術セミナー 有機…
  6. 原子3個分の直径しかない極細ナノワイヤーの精密多量合成
  7. オープンアクセス論文が半数突破か
  8. iPhone/iPodTouchで使える化学アプリケーション 【…

コメント、感想はこちらへ

注目情報

ピックアップ記事

  1. トリメチルアルミニウム trimethylalminum
  2. 工程フローからみた「どんな会社が?」~OLED関連
  3. 光応答性リキッドマーブルのマイクロリアクターとしての機能開拓
  4. 有機反応を俯瞰する ーヘテロ環合成: C—C 結合で切る
  5. 【10月開催】マイクロ波化学ウェブセミナー
  6. 中学入試における化学を調べてみた 2013
  7. 水をヒドリド源としたカルボニル還元
  8. 上村大輔教授追悼記念講演会
  9. CEMS Topical Meeting Online 機能性材料の励起状態化学
  10. ナイロンに関する一騒動 ~ヘキサメチレンジアミン供給寸断

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2016年10月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31  

注目情報

最新記事

5/15(水)Zoom開催 【旭化成 人事担当者が語る!】2026年卒 化学系学生向け就活スタート講座

化学系の就職活動を支援する『化学系学生のための就活』からのご案内です。化学業界・研究職でのキャリ…

フローマイクロリアクターを活用した多置換アルケンの効率的な合成

第610回のスポットライトリサーチは、京都大学大学院理学研究科(依光研究室)に在籍されていた江 迤源…

マリンス有機化学(上)-学び手の視点から-

概要親しみやすい会話形式を用いた現代的な教育スタイルで有機化学の重要概念を学べる標準教科書.…

【大正製薬】キャリア採用情報(正社員)

<求める人物像>・自ら考えて行動できる・高い専門性を身につけている・…

国内初のナノボディ®製剤オゾラリズマブ

ナノゾラ®皮下注30mgシリンジ(一般名:オゾラリズマブ(遺伝子組換え))は、A…

大正製薬ってどんな会社?

大正製薬は病気の予防から治療まで、皆さまの健康に寄り添う事業を展開しています。こ…

一致団結ケトンでアレン合成!1,3-エンインのヒドロアルキル化

ケトンと1,3-エンインのヒドロアルキル化反応が開発された。独自の配位子とパラジウム/ホウ素/アミン…

ベテラン研究者 vs マテリアルズ・インフォマティクス!?~ 研究者としてMIとの正しい向き合い方

開催日 2024/04/24 : 申込みはこちら■開催概要近年、少子高齢化、働き手の不足…

第11回 慶應有機化学若手シンポジウム

シンポジウム概要主催:慶應有機化学若手シンポジウム実行委員会共催:慶應義塾大…

薬学部ってどんなところ?

自己紹介Chemstationの新入りスタッフのねこたまと申します。現在は学部の4年生(薬学部)…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP