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林 雄二郎博士に聞く ポットエコノミーの化学

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雑誌「現代化学」の特集インタビュー記事から、東北大学林雄二郎先生のインタビュー(2019年5月号掲載)を一部掲載させていただくことになりました。林先生は、私の博士課程の指導教員であり、有機化学に対する情熱が桁外れの面白い先生です。記事からのその声が聞こえてきそうです。それではぜひご覧ください。

タミフルの1ポット合成

――林先生は,「ポットエコノミー」という概念を提唱されております.まずは,ポットエコノミーとは何なのか,また,この考えが生まれたきっかけを教えていただけますか.

 これは連続する反応を一つの容器(one pot)で行い,目的化合物の合成を目指す化学のことです.途中の精製が不要のため収率よく,そして早く目的の化合物を手に入れることができます.私たちは,インフルエンザ治療薬であるタミフル(オセルタミビルリン酸塩の商品名)の合成研究を進めるなかで,この考えにたどり着きました.

2005年,有機化学者のGilbert Stork教授が来日され,東京近辺の若手研究者でシンポジウムを開催しました.

そのとき私は東京理科大学で研究室を主宰しており,当時助手だった庄司満先生(現横浜薬科大学)がエポキシキノールの全合成を発表しました.

するとStork教授が,合成の中間体がタミフルの合成に利用できると指摘してくれたのですよ.タミフルについて当時はまったく知らなかったのですが,確かに合成はできそうだなと思いました.ただ,工程数が多い.タミフルはシクロヘキセン骨格上に,三つの連続した不斉点をもつため,小分子ながら合成が決して容易ではありません.どうしたら短い工程数でタミフルが合成できるかと,毎日のように,頭のなかで逆合成を繰返しました.

その後,タミフルの合成に関しては助教であった石川勇人先生(現熊本大学)が研究を進めてくれました.

当時、有機触媒の研究を行っていましたが、自分たちの開発した最新の有機触媒を用いた独自の方法で2009年には3ポットでの合成を発表できたのですが,その過程では多くの壁がありました.

成功のカギの一つは、当時発展期にあった有機触媒の利点を最大限に活かせたことですが、幾つの問題がありました。例えば、目的化合物以外に,二つの副生成物がそれぞれ30%ほどもできてしまうのです.

ふつうだったら途中であきらめてしまうのですが,石川先生は副生成物をきちんと分離して構造を決めていきました.

すると,二つの副生成物は,目的化合物がさらにホーナー・ワズワース・エモンズ反応して余分なものが付いた構造をしていることがわかりました.つまり,これをどうにかして外してタミフルに戻してあげればよいのです.

そういう条件を探したところ,合成の過程ですでに使っている炭酸セシウムという塩基と溶媒であるエタノールを加えるとうまくいくことがわかりました.つまり,エタノールを加えるだけで,新たな反応が進行して目的化合物ができるわけです.これは簡単ですよ.これまでは,反応が終わったら反応停止剤を加えた後,処理して水層と有機層に分け,有機層から溶媒を留去し,カラムクロマトグラフィーで分離して……といった煩雑な操作が必要でした.

ですが,今回は精製の必要がありませんし,工程数が減るので収率も上がるのです.反応で一番時間がかかるのが、実は反応後の後処理なんです。反応が数分で終わっても、後処理に数時間かかることはザラです。

これまでの化学の常識は、一つの反応が終わったら、反応を停止して、精製して次の操作を行うことだったのです。これに対して、反応を工夫すれば、同じ容器でいくつもの反応を連続的に行うことができるのではないか、実現できればこれは面白いな、とピンときたわけです。これを徹底的にやったらどこまでできるのか,ということにチャレンジすることにしたのです。その結果、なんと3ポットでタミフルができてしまったのです.

強調しておきたいのは、少ないポットで合成することは、研究を始めたときは予想していなかったことなんです。実験の中から、その重要性に気がついたんです。

――収率はそれまで報告されていたなかで最も高い57%もあったのですね.

タミフルの全合成過程での壁

 

 タミフルの合成には多くの研究グループが参画して競争でした。今では60を超える合成ルートが報告されていのですよ。こんな化合物は他にはありません。我々の発表の直前にBarry M. Trost先生が総収率30%の素晴らしい合成を報告されました。当時は収率が評価の尺度の一つとして考えられていました。

実は,最初にAngewandte Chemie誌に投稿したときの我々の総収率は30%ほどで、Trost先生と並び最高値でした.ある報告会でこの結果を発表したところ,福山透先生(東京大学名誉教授)に低いジアステレオ選択性を指摘されました.それは私たちも気づいていた問題点だったのですが,論文はすでに受理されVIP (very important paper)にも選ばれており,あとは期日までに少し修正して戻すだけでした.ですが悔しくて,期日まで実験を続けました.

そうしたら,指摘された問題が解決でき,収率も60%近くまで上がり、これまでの最高値を大きく塗り替えたのですよ.火事場の馬鹿力ですね。30%ほどで満足していた研究が,福山先生の一言で大きな研究に変わったのです.だから論文は印刷前に取下げて,大幅に書き直して再投稿しました.

しかし今度はVIPに選ばれませんでしたね。実はこの話には後日談があります。書き直した論文を最初はNature誌に投稿したんです。門前払いでした。

しかし、Angewandte Chemieに掲載されたら、Nature誌のhighlight欄で我々の研究を紹介したのです。この論文はその後、引用数も多くて評価されています。ここから、論文のVIPとかNature誌の見識をうかがい知ることができるでしょう。

この研究を行うまでは,少ないポット数を目指す合成なんて考えてもいませんでした.この研究を行った経験がポットエコノミーの考えに至るきっかけになったのです.

――その後も,タミフルの合成は進化し続けました.

この続きは現代化学をお読みください。

現代化学インタビューシリーズ

このインタビュー記事シリーズでは話題の化学者を不定期で紹介しておりおすすめです。最近のタイトルを以下に掲載します。

  • 西林仁昭博士に聞くー 水と窒素ガスからアンモニアをつくる 2019年7月号
  • 福島孝典博士に聞く 液体と固体の性質を併せもつ物質 2019年6月号
  • 大井貴史博士,浦口大輔博士,土屋雄一朗博士に聞く 分子の力で“魔女の雑草”に挑む 2019年4月号
  • 香取秀俊博士に聞く 新しい時間をつくる「光格子時計」2019年3月号
  • 大島泰郎博士に聞く 高度好熱菌に魅せられて ― Thermus thermophilus 発見から半世紀 ― 2019年2月号

関連書籍

[amazonjs asin=”B07PH3QTMH” locale=”JP” title=”現代化学 2019年 05 月号 雑誌”]

*本記事は現代化学に許可を得て、一部のみを掲載しているものです全編やその他の記事を御覧いただきたい場合は本誌をご購読ください。

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Chem-Station代表。早稲田大学理工学術院教授。専門は有機化学。主に有機合成化学。分子レベルでモノを自由自在につくる、最小の構造物設計の匠となるため分子設計化学を確立したいと考えている。趣味は旅行(日本は全県制覇、海外はまだ20カ国ほど)、ドライブ、そしてすべての化学情報をインターネットで発信できるポータルサイトを作ること。

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