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リンドラー還元/Lindlar Reduction

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概要

リンドラー還元(Lindlar Reduction)は、スイスの化学者 Herbert Lindlar が1952年に報告した、 被毒パラジウム触媒によるアルキンの部分水素化に由来する。アルキンをアルカンまで還元せずアルケンの段階で止め、cis(Z)体を選択的に与える点が最大の特徴で、 Z-オレフィンを立体選択的に構築する古典的かつ実用的な手法として広く用いられている。[1][2]

炭酸カルシウム担持パラジウム(Pd/CaCO₃)を酢酸鉛(II)〔Pb(OAc)₂〕で被毒し、 さらにキノリンなどのアミンを添加して触媒活性を意図的に減じたものをリンドラー触媒と呼ぶ。接触水素化に対する活性はアルケンよりアルキンの方が高いため、 リンドラー触媒を用いてアルキンの水素化を行うとアルケンの段階で反応が止まり、Z-オレフィン(cisアルケン)が得られる。

2つの水素は触媒表面から同一面へ付加する(syn付加)ため、生成するアルケンはcis(Z)配置になる。 これはナトリウム/液体アンモニアなどの溶解金属還元がtrans(E)アルケンを与えるのと相補的であり、 「アルキンからどちらのアルケン幾何異性体を作りたいか」で使い分けられる。

なお、被毒が不十分だとアルケンがさらに還元されてアルカンまで進む(過還元)、あるいはcisアルケンがtrans体へ異性化するといった副反応が起こりうる。近年の触媒開発でもこの過還元・異性化の抑制が 主要な課題として言及されている。[6]

反応機構

アルキンとアルケンはいずれもパラジウム表面に吸着して水素化を受けうるが、三重結合の方が表面に強く吸着するため、 アルキンが優先的に還元される。表面に解離吸着した水素がアルキンの同一面に2つ付加(syn付加)し、 cis(Z)アルケンを与える。ここで触媒が被毒されていないと、生じたアルケンがさらに吸着・水素化されて アルカンまで進んでしまう。リンドラー触媒では鉛(Pb)とキノリンによる被毒がこの過還元を抑え、 アルケンの段階で反応を止める。[1][2]

「なぜアルケンで止まるのか」という選択性の起源について、近年の液相吸着実験とDFT計算に基づく研究[3]は、 より分子論的な説明を与えている。すなわちパラジウム表面には性質の異なる2種類の吸着サイトが存在し、 一方はアルキンを強く吸着するサイト、もう一方はアルケンを吸着してしまう「非選択的サイト(過還元を担うサイト)」であるとされる。 この非選択的サイトはナノ粒子の低配位サイト(kink/edge)に帰属され、鉛はこの低配位サイトを優先的に被毒し、 キノリンがさらにアルケン吸着能を低下させる。両者の併用によりアルケン吸着(=過還元)がほぼ抑えられ、 高い半水素化選択性(報告値で約97%)が実現すると論じられている。

特徴・適用範囲・類似反応との比較

リンドラー還元の要点は「アルキンをアルケンの段階で止め、cis(Z)体を選択的に得られる」点にある。(i)「アルキン→cis(Z)アルケン」ならまずリンドラー還元、 (ii)「アルキン→trans(E)アルケン」が欲しいなら溶解金属還元(Na/NH₃)など、 (iii) 触媒毒で金属系が使いにくい基質ではジイミド還元、というように目的の幾何・基質特性に応じて選ぶ。

適用上の注意として、被毒が不十分だと過還元(アルケン→アルカン)が、逆に条件が過酷だと cis→trans異性化・位置異性化が起こりうる点が挙げられる。これらはリンドラー半水素化の本質的な課題であり、 近年の非貴金属・第一系列金属触媒(Ni/Co/Fe)や電気化学的半水素化の開発は、まさにこの過還元・異性化の抑制と 貴金属・鉛の毒性回避を動機としている。[6]

手法 与える幾何 要点 使い分けの目安
リンドラー還元(H₂, Pd/CaCO₃–Pb(OAc)₂–キノリン) cis(Z) 表面syn付加。被毒で過還元を抑制 アルキン→cisアルケンの標準法。工業スケール実績あり[4]
P-2 Ni(nickel boride, Brown触媒) cis(Z) NaBH₄とNi塩から調製する不均一系。温和 Pd被毒触媒の実務的代替。cisが欲しいがLindlar以外を試したいとき[5]
ジイミド還元(HN=NH) cis(syn付加) 金属を使わず、環状遷移状態でsyn的にH₂移動 触媒毒(S含有基質など)で金属触媒が失活する場合の代替
溶解金属還元(Na または Li / NH₃) trans(E) ラジカルアニオン経由でanti付加 逆にtrans(E)アルケンが欲しいとき。Lindlarと相補的
第一系列金属触媒(Ni, Co, Fe)/電気化学的半水素化 Z または E(制御可) 配位子・電位でZ/Eを切替。貴金属・鉛毒性の回避 近年の代替。E選択やグリーン志向のとき[6]

反応例

ビタミンA(レチノール)の工業合成における鍵段階[4] 

Hoffmann-La Roche(Isler)のビタミンA工業合成では、ポリエン中間体がもつ三重結合を部分水素化して cis二重結合を構築する工程にリンドラー触媒が用いられた。既存の二重結合を温存しつつ三重結合のみを 半水素化する化学選択性が要求される反応であり、実際、通常のPd/Cでは過還元が問題となったことが、 鉛被毒型リンドラー触媒が生まれた背景の一つとされる。

(Z)-アルケン型の昆虫フェロモン合成

内部アルキンのリンドラー半水素化で (Z)-アルケン部位を構築する手法は、フェロモン合成で定番の一つとされる。

天然物合成への適用例

ManzamineAの合成

実験手順

代表プロトコル:内部アルキンのリンドラー半水素化
  1. リンドラー触媒(市販のPd/CaCO₃–Pb(OAc)₂被毒触媒。基質に対し数mol%程度)を反応容器にとり、溶媒 (ヘキサン、酢酸エチル、メタノールなど基質に応じて選択)に懸濁させる。キノリンを触媒量〜少量添加して 選択性を高める。
  2. アルキン基質を加え、系内を水素で置換(常圧〜低加圧のH₂雰囲気、バルーン等)して撹拌する。 反応は室温付近で進行する。
  3. 反応をTLCまたはGCで注意深く追跡する。アルケンが完全に未反応のまま残るわけではなく、 放置すると過還元(アルカン化)や異性化が進みうるため、アルキンの消失を目安に速やかに反応を止める。 水素の吸収量をガスビュレット等で定量して停止判断に用いる場合もある。
  4. 反応完了後、触媒をセライト等でろ別し、ろ液を濃縮、必要に応じてカラムクロマトグラフィーで精製して 目的のcis(Z)アルケンを得る。

実験のコツ・テクニック

  • 反応の追跡と停止判断が最重要:アルケンは完全に未反応で残るわけではないため、反応をTLC/GCで追跡し、 アルキンが消失した時点(H₂を約1当量消費した目安)で速やかに止めるのがコツとされる。放置すると過還元 (アルカン化)が進みやすい。
  • 過還元と異性化に注意:被毒が不十分な触媒や過剰な反応時間では、アルカンまでの過還元や、cis→transへの 異性化・位置異性化が起こりうる。これはリンドラー半水素化の本質的課題として、近年の代替触媒開発の 総説でも明記されている。[6] 触媒のロット差・被毒剤(Pb・キノリン)の量に選択性が依存することは、 被毒による「特定サイトの失活」という機構的知見[3]とも整合する。
  • キノリンの添加:市販のリンドラー触媒に加えて、反応系にキノリンを少量添加すると選択性が上がるとされる (キノリンがアルケンの過還元を抑える被毒剤として働く、との説明が一般的)。
  • 触媒毒に弱い場合はジイミド還元も検討:硫黄含有基質など金属触媒を失活させうる基質では、金属を使わないジイミド還元がcis選択的半水素化の代替になりうる。

参考文献

  1. Lindlar, H. Helv. Chim. Acta 1952, 35, 446–450. DOI: 10.1002/hlca.19520350205
  2. Lindlar, H.; Dubuis, R. Org. Synth. 1966, 46, 89. (Org. Synth. Coll. Vol. 1973, 5, 880) DOI: 10.15227/orgsyn.046.0089
  3. Cherkasov, N.; Murzin, D. Yu.; Catlow, C. R. A.; Chutia, A. Catal. Sci. Technol. 2021, 11, 7205–7215. DOI: 10.1039/D1CY01016F
  4. Parker, G. L.; Smith, L. K.; Baxendale, I. R. Tetrahedron 2016, 72, 1645–1652. DOI: 10.1016/j.tet.2016.02.029
  5. Brown, C. A.; Ahuja, V. K. J. Org. Chem. 1973, 38, 2226–2230. DOI: 10.1021/jo00952a024
  6. Gregori, B. J.; Schmotz, M.-O. W. S.; Jacobi von Wangelin, A. ChemCatChem 2022, 14, e202200886. DOI:10.1002/cctc.202200886

関連反応

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