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化学者のつぶやき

有機反応を俯瞰する ーリンの化学 その 1 (Wittig 型シン脱離)ー

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有機化合物中に主に現れる元素は C, H, N, O あるいは S 原子などですが、有機反応の中には B, PSi 原子が鍵を握るものもあります。

今回から次回の記事にかけて、Wittig 反応Horner-Wadsworth-Emmons 反応あるいは光延反応のようにリン化合物が関与する有機反応を俯瞰します。それらの反応の中において、P 原子は生成物中に残らず、反応の後は除去されてしまいます。余分な副生成物を出してまでも、リン化合物を反応剤に利用するからには、そこに合成上有用な性質が備わっているからだと言えます。先に種明かしをすると、リンが関与する反応の駆動力は、”リンと酸素の親和性の高さ” の一言に尽きます。

今回の記事では、リンと酸素の親和性の起源について考察し、Wittig 反応に代表される「 4 員環形成からのシン脱離反応」についてお話しします。そして、リンが関与する反応の豊富な実例を紹介することで、リンの化学において “リンと酸素の親和性の高さ” がいかに一貫しているかについて見ていこうと思います。

今回の主役

冒頭でも書いた通り、今回の記事では、リンが関与する反応に焦点を当てます。具体的な反応の例を紹介する前に、リンについて一般的な性質を紹介しておきましょう。

リンは周期表の第 3 周期 15 族元素であり、要するに窒素の下に位置します。したがって、アンモニア NH3 に代表される窒素化合物中の窒素原子と同様に、リンも 3 価の原子価を取ります。3 価のリン化合物の代表例はトリフェニルホスフィン PPh3 で、リン原子上のローンペアにより求核性を発揮します。一例として、トリフェニルホスフィンによるハロゲン化アルキルの SN2 反応の例を示します。

一方、窒素よりも周期表の下に降りたことで、リンは窒素よりも原子半径が大きくなっています。その結果、原子価殻を拡張して 5 価の原子価を取ることもできます。このような超原子価に理由に関しては、d 軌道の存在を無視しても 3 中心 4 電子結合を考えることで説明することができ、原子半径が大きいという物理的な要因がこれを可能にしています。下に示した五価のリン化合物は、五塩化リンで、カルボン酸を酸塩化物に変換する化合物として、有機化学の教科書にも登場します。

Wittig 反応の概要

さて、無機化学の講義風の前置きはこんなところにして、リンを利用した有機反応の代表例である Wittig 反応の反応式を下に示します。

この反応は、C=O 二重結合を有するカルボニル化合物にリンイリドと呼ばれる反応剤を作用させ、アルケンを得る反応です。

この際に反応剤として用いている “イリド” とは、隣り合った原子同士がそれぞれ正電荷と負電荷を帯びた化学種の総称です。上の反応式では P=C 二重結合を有する構造で描いていますが、下の共鳴構造式で示すようにリンが正電荷を帯び、炭素に負電荷を置いた構造で表すこともでき、それがイリドであることがわかります。また、イリド構造で表記すると、リン原子から伸びる結合の手が 4 本となり、オクテット則がきちんと満たされていて、ひと安心です。

隣り合った原子同士がそれぞれ正電荷と負電荷を帯びた化学種をイリドという。

一方、生成系に目を向けると、目的生成物である C=C を有するアルケンに加えて、ホスフィンオキシドという P=O 二重結合を有する副生成物も形成されます。したがって、出発物と生成物の構造を見比べて反応の形式を分析すると、C=O, P=C の 2 種の 2 重結合をそれぞれ C=C および P=O に組み替える反応であると見ることができます。

ちなみに、この Wittig 反応に詳しく突っ込むと、生成物のアルケンの E/Z の幾何選択性の制御などの話題がありますが、この記事ではリンを用いる反応の特徴を紹介することに徹し、細かい話は省略します。

では、ここからWittig 反応の反応機構を順に追って示していこうと思います。

第一段階 ーカルボニル基への付加とオキサホスフェタンの形成ー

反応の第一段階は、多くのカルボニル化合物に対する付加反応と同様に、求核剤によるカルボニル炭素への攻撃です。

ここで求核剤として作用するのは、リンイリド中で負電荷を帯びた炭素原子です。この求核攻撃により、負電荷を帯びたカルボニル酸素が生成しますが、この酸素は正電荷を帯びたリン原子に攻撃します。

このとき、リンから伸びる結合の手は、どのように表現しても 5 本で書くしかなく、オクテット則を破ってしまっています (?!)。しかし、ここではあまり騒がないようにします。記事の始めで説明したように、リンは周期表で第 3 周期にあり、オクテットを超えることができるのです。とはいえ、ここで生成した 4 員環化合物 (オキサホスフェタン) は、その小さな環構造が立体的に窮屈であり不安定です。

第二段階 ー四員環構造からのシン脱離ー

そこで、この不安定なオキサホスフェタンは、環構造を壊して分解します。

このとき、この 4 員環の分解の仕方は 2 通りあり、1 つ目は赤色の矢印で示したように、リンイリドとカルボニル化合物に戻る反応です。この逆反応は、反応基質のリンイリドが安定な場合には無視できませんが、リンイリドが不安定である場合には起こりにくいです。

一方、青色で示した矢印の方向に反応が進むと、アルケンとホスフィンオキシドを与えます。つい先ほど、逆反応の可能性をほのめかしましたが、ホスフィンオキシド中の P=O 二重結合は非常に強いために、この順反応の方がエネルギー的に有利と言えます。

したがって、たとえ逆反応によって、オキサホスフェタンがリンイリドとカルボニル化合物に戻ったとしても、それらの逆反応生成物 (要するに出発物) は再度オキサホスフェタンを与え、最終的にはアルケンとホスフィンオキシド生成の方向に反応が進行します。

リンで酸素を奪う

以上の反応機構を、1 つのスキームにまとめます。

今回紹介したいリンを利用した有機反応における鍵段階は、この「リンで酸素を奪う」場面です。

オキサホスフェタンの分解において、環状に動く 2 つの巻矢印の動きを初めて見たときは、どちらの矢印がきっかけだろうかと悩んでしまいますが、この反応の駆動力は、強い P=O 二重結合の形成です。したがって、今回の反応機構は、電子の押し出しや引き出しの観点から眺めるのではなく、元素の性質から理解します。すなわち、今回の鍵段階は、「リンで酸素を奪う」と詠むことにします。

リンと酸素の親和性の起源

さて、これで Wittig 反応の反応機構の説明は、ひと通り終わりましたが、なぜ P=O 二重結合は強いのかいうところが気になります。色々調べた結果、無機化学の教科書 (シュライバー·アトキンス無機化学) から可能な説明を見つけたので紹介します。それは、「非共有電子対を有する元素に対する結合エンタルピーは、第 2 周期から第 3 周期にかけて増加し、その後、族の下になるほど小さくなる」という傾向です。今回の場合「非共有電子対を有する元素」として酸素 O を当てはめます。そして、C (第 2 周期) あるいは P (第 3 周期) のどちらの方が、O との結合が強くなるかを考えると、上のルールにより第 3 周期の P の方が O との結合が強いと判断できます。(同じ族で比較していないところが、やや苦しい説明かもしれませんが。)

なお、このルールは、下の図のように解釈できます。すなわち、第 2 周期の原子は、原子半径が小さすぎて O の非共有電子対からの反発を大きく受けると考えられます。一方、逆に結合相手の原子半径が大きすぎると、軌道の重なりが小さくなるために、結合が弱くなります。その結果、O とある元素との親和性には、周期表の周期の下降に伴い山型の傾向が現れ、P のような第 3 周期の元素の方において O との結合が極大になるのです。補足ですが、同じく第 3 周期で、周期表上で P の左に位置するケイ素も酸素との親和性が高いと言われていますが、これもおそらく同じ説明が可能だと思います。

酸素と各周期上の元素との親和性。下に示したグラフは、理解を手助けするために書いた、定性的なイメージ。

Wittig 型シン脱離反応を俯瞰する

晴れて、酸素とリンの親和性が高いことも納得できたので、他の有機反応でのリンの役割に視点を移します。Wittig 反応の鍵段階は、オキサホスフェタンという 4 員環構造からの「シン脱離反応」と分類できます。そのように含リン四員環中間体を経由して二重結合を形成する反応は、アザ-Wittig 反応Horner-Wadsworth-Emmons (HWE) 反応が挙げられます。

また、酸素とリンの親和性の由来をよく分析してみると、その組み合わせに特別な意味があるわけではないと考えられます。

すなわち、リン原子は、有機化合物中から酸素以外のヘテロ原子を奪ってもよさそうです。実際に、リンが窒素原子を奪う反応として、Staudinger 反応が挙げられます。この反応ではアジドとトリフェニルホスフィンの反応により、N=P 二重結合を有するホスフィンイミドが形成されます。この反応の駆動力は、窒素分子が副生する要因も大きいと思いますが、反応機構の形式は Wittig 反応と非常に類似しています。

加えて、リンの反応を紹介するという本記事のもともとの目的とは離れますが、有機反応中で “酸素を奪う” 役割を果たすのは周期表の第 3 周期中でリンだけではないことも示しておきましょう。すなわち、ケイ素が関与するオレフィン合成として Peterson オレフィン化があり、塩基性条件の Peterson オレフィン化は 4 員環中間体からのシン脱離機構で進行します (酸性条件では反応機構が変わります)。このように、第3周期の元素を含んだ四員環を経由する二重結合形成反応の駆動力には、さきほどの説明した議論がそのまま当てはまると考えられます。

というわけで、今回はリン化合物 (とその他の第 3 周期元素) が活躍するシン脱離を俯瞰しました。それらの反応機構において、「有機反応中でのリンは、基質中の酸素を奪う役割を果たす」ことに気づくと、リンの化学に一貫性があることを理解することができます。以下に、リン化合物が関与する不飽和結合形成反応を一覧にして紹介します。

しかし、リン化合物を利用した非常に有名な反応を、今回の記事では紹介しきれませんでした。それは、光延反応です。次回は、光延反応とその他の類似反応について、リンが演ずる役どころをお話ししようと思います。

反応名 反応式
 Wittig 反応
 アザ–Wittig 反応  
Staudinger 反応
 Horner-Hadsworth-Emmonth (HWE) 反応
Corey-Fuchs アルキン合成
Seyferth-Gilbert アルキン合成
Peterson オレフィン化
Johnson オレフィン合成

関連反応

本連載の過去記事はこちら

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PhD候補生として固体材料を研究しています。学部レベルの基礎知識の解説から、最先端の論文の解説まで幅広く頑張ります。高専出身。

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