[スポンサーリンク]

化学者のつぶやき

サリンを検出可能な有機化合物

[スポンサーリンク]

オウム真理教テロ事件で大々的に使われ、化学に対するイメージに大きな陰を落としてしまった神経ガス・サリン。超高毒性に加えて無味無臭のため、一旦使われてしまうと人間の反応を見ない限り分からないという極悪な代物だったりします。

しかし化学者側も、脅威を作りっぱなしで終わっているワケではありません。こういった神経ガスを好感度で検出すべく、有機化学分野からのアプローチが近年報告されています。

今回はサリン存在下に蛍光を発する分子[1]についての研究をいくつかご紹介しましょう。

 

今回紹介するどの分子にしても、サリンと反応して分子構造が変化し、それによって分子蛍光パターンが変化することが、検出の基本原理となっています。

 

ちなみに、本物のサリンを使って((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル! な実験をしてるかというと、流石にそうではないようです。似た反応性を持ちながらも、毒性の低いジエチルクロロリン酸(DCP)、ジイソプロピルフルオロリン酸(DFP)というモデル化合物があって、それを使ってデータをとってる模様。

・・・まぁ、そりゃあそうですよね。筆者もサリンみたいな恐ろしいもの、どんなに頼まれて金を積まれても近づきたくありませんし・・・。

 

さてさて、このような分子設計アプローチに道をつけたのは、1998年のPilatoらによる報告[2]です。

 

sarin_detector_1.gif

 

ピリジル基・ヒドロキシル基を近傍に併せ持つ上記の様な白金錯体は、DFPと反応することで分子内環化を起こし、ピリジニウム塩を形成します。この形になると、分子が蛍光を発するようになります。つまりこういった分子構造特有の反応性・蛍光性を利用して、神経ガスを検出できるのでは?というコンセプトを提示した研究なのです。

 

後にMITのSwagerラボからも、類似の原理によってDFPを蛍光検出できる化合物が報告[3]されています。こちらのほうがより簡単な分子構造になっているうえ、価格や適用範囲・蛍光強度・応答速度などの観点で、より改善されたものとなっているようです。実際、この化合物はわずか10ppm程度のDFPでも検出が可能とのこと。

 

sarin_detector_2.gif

 

両者ともDFP(DCP)と反応することで、二つの環を結ぶ結合の自由回転が阻害され、共役系が固定化されるということが、蛍光挙動変化を理解するためのキーポイントとなっています。

もう一つの例として、2006年にスクリプス研究所のRebekラボから報告された化合物[4]を紹介します。

sarin_detector_3.gif

 

DCPと反応して蛍光挙動が変化する、という点は同じなのですが、その理屈がやや異なっています。

この場合には、DCPとは反応しない蛍光団が別途用意されています。蛍光団と反応点は、スペーサー(アルキル鎖)を介してつながっています。

 

DCPと反応する前の構造では、励起光を当てるとアミン電子対からの光誘起電子移動(Photo-induced Electron Transfer;PET)が優先するようになっています。このため消光が起き、蛍光は発生しません。しかし一旦DCPが反応すると、その電子対が環形成に使われてしまうためにPETが起こらなくなり、蛍光を発するようになると言うわけです。

このコンセプトに依れば、適用可能な蛍光団の種類を増やすことが出来、またスペーサーなどの精密チューニングによって感度の向上も期待することができます。より一般性高く、一段と洗練されたアイデアになっています。

 

いずれの例でも、サリンの求核剤に対する反応性と、反応後の脱離能の高さをうまく利用した分子設計になっているのが特徴ですね。しかし原理上、繰り返し使うことが難しい、という難点はありますが・・・。今後の研究によって、更なる改善がもたらされることを期待します。

化学物質の危険性ばかりがクローズアップされがちな昨今ですが、こういった「安全を守る技術開発」にも、化学者は真剣に取り組んでいるわけです。そういった健全な取り組みを大きく取り上げることが少ない風潮は、やや残念なことに思えます。

 

進歩した化学技術がもたらす未知の危険への対抗手段は、また、化学技術の発展しかありえないのです。 化学技術の恩恵なしに生活できない我々は、安直に感情論に走らず、そのことを常に念頭に置いて考える必要があるでしょう。

関連文献

  1. Review: (a) Burnworth, M.; Rowan, S. J.; Weder, C. Chem. Eur. J. 2007, 13, 7828. doi: 10.1002/chem.200700720 (b) Royo, S.; Martinez-Manez, R.; Sancenon, F.; Costero, A. M.; Parra, M.; Gil. S. Chem. Commun. 2007, 4839. doi:10.1039/b707063b
  2.  Van Houten, K. A.; Heath, D. C.; Pilato, R. S.  J. Am. Chem.Soc. 1998, 120, 12359.
  3. Zhang, S.-W.; Swager, T. M. J. Am. Chem. Soc. 2003, 125, 3420. doi:10.1021/ja029265z
  4. Dale, T. J.; Rebek, J., Jr. J. Am. Chem. Soc. 2006, 128, 4500. doi:10.1021/ja057449i

 

関連リンク

cosine

cosine

投稿者の記事一覧

博士(薬学)。Chem-Station副代表。現在国立大学教員として勤務中。専門は有機合成化学、主に触媒開発研究。
関心ある学問領域は三つ。すなわち、世界を創造する化学、世界を拡張させる情報科学、世界を世界たらしめる認知科学。
素晴らしければ何でも良い。どうでも良いことは心底どうでも良い。興味・趣味は様々だが、そのほとんどがメジャー地位を獲得してなさそうなのは仕様。

関連記事

  1. 論文チェックと文献管理にお困りの方へ:私が実際に行っている方法を…
  2. DNAナノ構造体が誘起・制御する液-液相分離
  3. アミロイド線維を触媒に応用する
  4. 化学に耳をすませば
  5. プリンターで印刷できる、電波を操る人工スーパー材料
  6. 化学研究ライフハック:縦置きマルチディスプレイに挑戦!
  7. 近年の量子ドットディスプレイ業界の動向
  8. リンダウ会議に行ってきた③

コメント、感想はこちらへ

注目情報

ピックアップ記事

  1. 渡邉 峻一郎 Shun Watanabe
  2. 【書籍】合成化学の新潮流を学ぶ:不活性結合・不活性分子の活性化
  3. すぐできる 量子化学計算ビギナーズマニュアル
  4. フェネストレンの新規合成法
  5. 実験手袋をいろいろ試してみたーつかいすてから高級手袋までー
  6. キニーネ きにーね quinine
  7. 化学研究ライフハック:縦置きマルチディスプレイに挑戦!
  8. レッドブルから微量のコカインが検出される
  9. マイケル・クリシェー Michael J. Krische
  10. 近況報告Part III

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2009年7月
« 6月   8月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

注目情報

注目情報

最新記事

ポンコツ博士研究員の海外奮闘録 〜コロナモラトリアム編〜

事実は小説より奇なり。「博士系なろう」という新ジャンルの開拓を目指し,博士を経て得られた文章力を全力…

乙卯研究所 研究員募集

公益財団法人乙卯研究所から研究員募集のお知らせです。自分自身でテーマを決めて好きな有機化学の研究…

SNSコンテスト企画『集まれ、みんなのラボのDIY!』

先日公開されたこちらのケムステ記事と動画、皆さんご覧になって頂けましたでしょうか?https…

可視光レドックス触媒と有機蓄光の融合 〜大気安定かつ高性能な有機蓄光の実現〜

第351回のスポットライトリサーチは、九州大学 安達・中野谷研究室 で研究をされていた陣内 和哉さん…

可視光全域を利用できるレドックス光増感剤

東京工業大学 理学院 化学系の玉置悠祐助教、入倉茉里大学院生および石谷治教授は、新たに合成したオスミ…

【ジーシー】新卒採用情報(2023卒)

弊社の社是「施無畏」は、「相手の身になって行動する」といった意味があります。これを具現化することで存…

有機合成のための新触媒反応101

(さらに…)…

化学者のためのエレクトロニクス講座~電解ニッケルめっき編~

この化学者のためのエレクトロニクス講座では半導体やその配線技術、フォトレジストやOLEDなど、エレク…

その病気、市販薬で治せます

(さらに…)…

チェーンウォーキングを活用し、ホウ素2つを離れた位置へ導入する!

第350回のスポットライトリサーチは、慶應義塾大学大学院理工学研究科 博士課程 2 …

Chem-Station Twitter

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP