[スポンサーリンク]

化学者のつぶやき

水素化ナトリウムの酸化反応をブロガー・読者がこぞって追試!?

[スポンサーリンク]

Reductive and Transition-Metal-Free: Oxidation of Secondary Alcohols by Sodium Hydride

Wang, X.; Zhang B.; Wang, D. Z. J. Am. Chem. Soc. 2009, ASAP doi:10.1021/ja904224y

「つぶやき」読者のみなさん! つい先日JACS・ASAPに出てきた上記報告には、もう目を通されましたでしょうか?

まだご存じ無い方のために、本報告の内容をひとことでまとめるならば、「水素化ナトリウム(NaH)が、ある種の二級ベンジルアルコールの酸化剤として働いてケトンを与える」という報告です。

そもそも還元剤(もしくは塩基)として用いるべき金属ヒドリド種を、室温THF中に基質と混ぜるだけで、アルコールが定量的に酸化されてしまう――これは常識では考えられない、驚くべき反応だと言えます。

入手容易な試薬で手順もシンプルなので、ある種の化合物に対しては有用性が高そうです。また、このような常識外の反応におけるメカニズムを突き詰めていけば、全く新しいタイプの酸化反応につながりうるかも知れません。

・・・でも、本当の本当に、そんなことってあるのでしょうか????

【追記2009.12.26】 本論文は先日撤回(retract)された模様です。”This manuscript has been withdrawn for scientific reasons.” (情報元:@Dujitaさん)

そもそもこの報告自体、まったくツッコミどころが多く、疑問を投げかけられる”隙が多い”報告なのです。

例えば、

  1. 酸化は電子を奪う反応なので、多くの場合電子受容条件=酸性(に近い)条件で行われるのが通例。だがこれは塩基性。
  2. ヒドリド自体、塩基・還元剤としてはたらく化学種。当量酸化剤として使われる例はほぼ皆無。
  3. 酸化される基質の相方、つまりヒドリドスカベンジャーを全く存在させずとも進行する。これは不可解きわまりない
  4. メカニズム解析はpreliminaryにも行われてない。証拠もなく言及されてる反応機構、ほんとなのコレ?
JACS_NaH_3.gif

中でももっとも不可解な点はその反応機構(メカニズム)です。化学的にまったく納得がいきません。アルコールが酸化された分、奪われた電子を受け取るスカベンジャー(酸化剤orヒドリド受容化合物)が存在してしかるべきなのに、この場合にはまったく不要というのです。この反応機構によるならば、NaHは(理論上)触媒量で良いはずです。

当然ながら、こういったことがらに疑問を抱く研究者は、世界中に続出したようです。

 

そんな中、各種全合成を取り上げているブログTotallySynthetic.comの管理者Paul Docherty氏は、即座にこの反応の追試を試みました。そして、自ら行った追試結果をリアルタイムでブログにアップロードしています。

当座の結論としては、どうやら少なくとも彼の試した以下の基質に関しては、LC-MSで調べた限り上手くいってるようだ、ということです。何と!
【追記2009.7.23】 しかしNMRを見たところ、その収率は15%。反応スケールも論文の4倍なので、やっぱ何かしらの不純物が寄与してるのでは?と考察されていました。

 

別のコメントでも、「自分も別の基質でやってみたけど上手くいってないよ・・・」などの言及が。

この謎めく反応に対して、ブログコメント欄では活発なディスカッションが成されています。かなり興味深い様子となっています。以下、気になった議論を紹介してみます。

 ・空気(酸素)がスカベンジャーの役割を担っているのでは?
→窒素雰囲気下、脱気溶媒でも進行するけど。15%収率だが。
→ベンゾヒドロールの酸化では、脱気溶媒・窒素雰囲気下だと収率5%未満だが、open airだと62%になる。
→論文記載の1mmolスールだとtrace量の酸素の影響が無視できないような。
・古いTHFを使っててTHFパーオキサイドと反応してるのでは?
→THFはベンゾフェノンケチルから蒸留しているとSIに書いてある

・NaHが酸素と反応してできたNaOOHが効いてるのでは?
・NaHに混ざっている不純物こそが効いてるのでは?
→さすがに基質と同じ量は無いんじゃないの?
→Aldrich発NaHだと上手くいくけどChemtall発だと上手くいかない?
→ACROSのも試してみるべき
→NaOHかNaOOHそのものを使って試してみたらどうかな?

・NaHを分散させているミネラルオイル成分と反応してるのでは?
→ミネラルオイルは製法上、完全還元体だろう。スカベンジャーにはならないのでは?
→オイルフリーの試薬で試すべきかも。発火するのでやりたくないけど。

・理論上触媒量で済みそうなNaHは回収可能なのか?
・あまりに単純すぎる条件だけど過去に報告例はないの?

→関連報告が40年前にある(J. Org. Chem. 1965, 30, 2433.)。オーサーは引用してない。
→1965年のJOCを引いてる論文は9報あるが、そのどれもこれもこのJACSには引用されてない。問題じゃない?

・反応機構は2002年報告(J. Am. Chem. Soc., 2002, 124, 8693)の逆反応じゃない?NaHにコンタミしてる重元素が効いてるんじゃ?kinetcisとれば分かるんじゃ?
【追記2009.7.23】

謎は深まるばかりです。しかし、どうやら空気中の酸素が酸化剤として働いてるんでは・・・?と解釈できる追試結果が複数出つつあるようです。

興味本位で筆者もトライしてみたいのですが、同じ基質がラボになく、あいにく出来ません・・・。このペーパーに疑問を持つ方は、是非追試してコメントください。そこらに転がってる試薬でカンタンにできる実験なので。

ひょっとしたら本当に「全く新しい形式の酸化反応」なのかも知れませんが、ペーパーの妥当性を評価するには、もう幾ばくかの追試と研究進展が必要となるでしょう。

さてこの様子を眺めていた筆者自身は、議論の中身よりもむしろ、別のトコロに凄みを感じました。

すなわち、エキスパート達が集って論文の妥当性・有効性を判定する場としての役割を、ブログスペースが担っているということです。

言い換えれば、論文の字面を追うだけでは分からない点や、報告後の追試結果などを集めて議論し、自分たちの知識をブラッシュアップさせて行く場として、TotallySynthetic.comという一ブログが機能しているという事実です。

 

TotallySynthetic.comに集っているのは、お互い顔すら見たこと無い人々なのでしょうが、ふらっと立ち寄ったスペースでサイエンスの活発な議論をし、かつ自分の知識をお互いが磨き上げている、まさに理想的ディスカッションスペースとなっているようです。これは本当に驚きです。

この様子を見たChemistry World誌は、Twitterに、“Peer review Web 2.0 style??”とコメントをしていました。まさに言い得て妙ですね。 素晴らしい。

ペーパー公開後のこういった追試結果・実験のコツ・風評・経験談・裏話などは、ちょっと知っているだけで、条件検討にかかる時間を減らしてくれたり、かなり役に立つものです。そういったことは、論文を読むだけでは分からない、互いのディスカッションから得られる貴重な情報といえるでしょう。

 

他の例ですが例えばTotallySyntheticのコメント欄で関連して、「ケトンをエノンにIBX酸化するペーパーの追試が即座にWebにでてたら、時間を無駄にせずに済んだのに!」 という言及もありました。
筆者はIBX使った事が無いのでuselessなのか判断出来ないですが、それはさておき、こういった経験知は得てして共有が難しいものです。せいぜい同ラボのメンバーに口伝してお終いではないでしょうか。その辺の裏話を知らないままに、ペー
パーに書かれているとおりやってしまって上手くいかず、結局原因は分からずじまい、もしくは原因究明に長い時間を費やしてしまうなどということもあり得るわけです。長年費やした後に「あのペーパーの内容はまったく疑問らしいよ」という風説を聞いたりすると・・・まぁなかなかの思いをするワケですね。
JACSに報告されているものといえども怪しげな報告・条件を見分けて手を出さないというのは、科学者として生き残るべく必要なスキルだったりするわけです。そのスキル養成に、幅広い研究者とのディスカッションが有効となるのは言うまでもありません。Webを使えばワールドワイドでそれができるわけですね。

皆の持つ「化学に関する経験知」を、ブラッシュアップし、上手く集めて使えるモノに統合できると便利だなぁ、というのは常々感じています。Web技術がその目的に現状最も適しているのは間違いなさそうですが、残念ながらそう言ったことが実現されていたり、好きなときに高度なディスカッションができるWebスペースは、日本には全く無いように思えます(あえて言えば2ちゃんねる?)。

 

じゃぁ自分で作るしか
ないか!ということで継続的にエサ撒きを試みているのが、「つぶやき」での論文紹介だったりするわけですね。今のところコメントが少なく一方通行感が強いですが、カウンタはかなり
回っているので、読者は居ると信じて続けたいと思います。

 

Chem-StationでもODOOSという有機合成反応データベースを公開しています。現状は単なるデータベースですが、将来的にはユーザの経験知(実験のコツや地雷論文情報など)を上手く組み込めるようなシステムにして、より有益な方向に持っていければ良いなぁ、などと考えております。進展はゆっくりですけど、乞うご期待、ということで。

関連リンク

Avatar photo

cosine

投稿者の記事一覧

博士(薬学)。Chem-Station副代表。国立大学教員→国研研究員にクラスチェンジ。専門は有機合成化学、触媒化学、医薬化学、ペプチド/タンパク質化学。
関心ある学問領域は三つ。すなわち、世界を創造する化学、世界を拡張させる情報科学、世界を世界たらしめる認知科学。
素晴らしければ何でも良い。どうでも良いことは心底どうでも良い。興味・趣味は様々だが、そのほとんどがメジャー地位を獲得してなさそうなのは仕様。

関連記事

  1. 創発型研究のススメー日本化学会「化学と工業:論説」より
  2. GFPをも取り込む配位高分子
  3. 134回日本薬学会年会ケムステ付設展示会キャンペーン!
  4. 2010年ノーベル化学賞予想―海外版
  5. 研究室クラウド設立のススメ(導入編)
  6. 巨大複雑天然物ポリセオナミドBの細胞死誘導メカニズムの解明
  7. Gilbert Stork最後の?論文
  8. 韮山反射炉に行ってみた

注目情報

ピックアップ記事

  1. 第136回―「有機化学における反応性中間体の研究」Maitland Jones教授
  2. 可視光レドックス触媒と有機蓄光の融合 〜大気安定かつ高性能な有機蓄光の実現〜
  3. 生体内での細胞選択的治療を可能とする糖鎖付加人工金属酵素
  4. ケミカルバイオロジーがもたらす創薬イノベーション ~ グローバルヘルスに貢献する天然物化学の新潮流 ~
  5. ケック マクロラクトン化 Keck Macrolactonization
  6. Hazardous Laboratory Chemicals Disposal Guide
  7. Reaction and Synthesis: In the Organic Chemistry Laboratory
  8. 【書籍】有機スペクトル解析入門
  9. アロイ・フュルスナー Alois Furstner
  10. 化学の歴史

関連商品

ケムステYoutube

ケムステSlack

月別アーカイブ

2009年7月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

注目情報

最新記事

2024年度 第24回グリーン・サステイナブル ケミストリー賞 候補業績 募集のご案内

公益社団法人 新化学技術推進協会 グリーン・サステイナブル ケミストリー ネットワーク会議(略称: …

ペロブスカイト太陽電池開発におけるマテリアルズ・インフォマティクスの活用

開催日時 2024.09.11 15:00-16:00 申込みはこちら開催概要持続可能な…

第18回 Student Grant Award 募集のご案内

公益社団法人 新化学技術推進協会 グリーン・サステイナブルケミストリーネットワーク会議(略称:JAC…

杉安和憲 SUGIYASU Kazunori

杉安和憲(SUGIYASU Kazunori, 1977年10月4日〜)は、超分…

化学コミュニケーション賞2024、候補者募集中!

化学コミュニケーション賞は、日本化学連合が2011年に設立した賞です。「化学・化学技術」に対する社会…

相良剛光 SAGARA Yoshimitsu

相良剛光(Yoshimitsu Sagara, 1981年-)は、光機能性超分子…

光化学と私たちの生活そして未来技術へ

はじめに光化学は、エネルギー的に安定な基底状態から不安定な光励起状態への光吸収か…

「可視光アンテナ配位子」でサマリウム還元剤を触媒化

第626回のスポットライトリサーチは、千葉大学国際高等研究基幹・大学院薬学研究院(根本研究室)・栗原…

平井健二 HIRAI Kenji

平井 健二(ひらい けんじ)は、日本の化学者である。専門は、材料化学、光科学。2017年より…

Cu(I) の構造制御による π 逆供与の調節【低圧室温水素貯蔵への一歩】

2024年 Long らは、金属有機構造体中の配位不飽和な三配位銅(I)イオンの幾何構造を系統的に調…

実験器具・用品を試してみたシリーズ

スポットライトリサーチムービー

PAGE TOP