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ポンコツ博士の海外奮闘録XXI ~博士,反応を処理する~

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第21話:博士,反応を処理する

ポンコツポスドク,古の掟を発見する。

研究室が長年続くと経験則に基づいた独自ルールが発生することは言を俟たない。ルールは更なる時間経過で”伝統”という有用な文化として根付く一方で,一部は時代にそぐわない謎の掟として実験者の枷になることがある。例えば,現在筆者が所属するラボではLiAlH4(LAH)の使用や巨大な大スケール合成が禁止されている(Fig. 1)。おそらく過去に所属した誰かがLAHをバサっと入れて発火or爆発させたり,大スケールで化合物をぶち壊したりして大変なことが起きたのであろう。

Fig. 1) 筆者のいるラボルール。

一方,筆者らの合成チームは現在1-100 gスケール/bacthで反応を仕込むことが普通になっているため,一部のルールをどうしても守れなかった。時代経過と共に守るべきルールや指標は変わるため,定期的な見直しが必須である。(おかげ様で別チームのラボメンからF○○king Crazy Factoryという称号を与えられた)。

ポンコツ実験者,10年前を回顧する

学生時代,筆者はイヤホンの使用が完全禁止であることを先輩から通達された。海外ポスドクがBirch還元(20g)でドラフト内の全てを吹き飛ばしたり,歴代の先輩方がルテニウム酸化中に反応を暴走させて低温冷却機1機を吹き飛ばしたり,玉尾酸化中のH2O2滴下時に溶媒が一瞬で気化してプシューと反応系が鳴り始めたため,念のために全員がセミナー室へ退避した所,とてつもない爆発音と共に大学の研究棟全体が揺れたりしたことがあったりしたらしく(怪我人なし,冷却機はもちろん破壊),イヤホンで逃げ遅れる可能性があるため禁止ということだった。酸化還元反応は小スケールでも吹き飛ぶので危険である。

筆者も学部生時代,某日未明,NMR室から帰ってくるとラボのドラフトから黄色い煙がモクモクと発生しており,ドラフトの吸引が間に合わずに廊下までうっすら黄色く曇っていたところに遭遇した。あの煙が本当になんだったのか今でもわからないが,換気のために先輩たちと全ての窓を開けながら爆笑した記憶がある。次の日同期が仕込んだ反応フラスコが真っ黄色の何かに覆われて何もみえないことに気が付き,再度爆笑したことも懐かしい。

その後,ワイルドながらセーフティーな実験を心掛ける筆者が上の世代になると時代経過もあって昔に比べて学生が危険な試薬を扱うことも少なくなった。また,危険そうな反応を行う場合,筆者orボッスが一旦やってみせてから次回は一緒に仕込む暗黙の山本五十六式ルールが存在した。面倒くさがりな筆者はこのルールの存在下で口酸っぱくルールを注意しなかったが,本当は嫌な役を買ってでも後輩の将来のためにルールとその背景をうんざりするまで逐一伝えていくべきだったのであろう。手遅れになった時に誰も責任を取れないのだから(幸いアクシデントなし!)

…毎回偉そうなことを書いているが,恩師のボッスから「実験化学者たるもの,何事も自分で経験するものだ。特にBirch還元をやったことない化学者なんぞ,ただのモグリだぞ!」という格言が遺されており,実はBirch還元を直接やったことがない筆者は永遠のモグリである。

ポンコツ還元使い,噂話を語る。

貼り紙から思い出したが,筆者が得意かつ好きな化学実験はLAHの還元反応とLuche還元である。ラボに所属して一番最初に行った反応がLuche還元だったかつ所属1週間で先輩のS氏からトレーニング代わりにLAH 10 g使った基質合成やCeCl3・7H2Oを50 g程度使用する原料合成というパワープレイ型脳筋基質合成の英才教育を受けた

筆者は,切れ味の良い反応性にもかかわらず分子量がわずか37.96であり,1 mol反応をわずか38gで仕込めるため,他の試薬(PPh3とか)よりも反応処理でグロッキーになりにくいLAHを好んで使用していた。また,下記の開発経緯の噂話を聞いたこともあって試薬自体が好きであった(歴史書を引っ張り出して確認したことがなく本当かどうか未だ定かではない)。

第二次世界大戦の真っ只中,軍事研究の一環でアメリカ軍,ドイツ軍問わずAlaneやLAHを水素貯蔵試薬として用いようとしたが[1],水(湿気)に敏感かつ,あまりの反応性によって至る所でドッカンドッカンしていた(噂話)。一方,戦後勝利国としてLAHをJACSに報告するSchlesinger先生の助手だったHerbert C. Brown先生は,NaBH4を自信満々でボッスや軍関係者の前で良い水素貯蔵源としてお披露目した所,水を加えても全くドカンとならずガッカリした一方でNaBH4が水に安定な試薬であることを発見してたまげたらしい[2]。その後も平和的利用と冷戦に対抗する高度な化学技術としてホウ素化合物の使い道を色々模索した結果,ホウ素化合物を用いた化学反応が加速度的に発展し,後年,Brown先生はノーベル賞化学を受賞した(NaBH4は1953年に軍事機密から情報解禁されてJACSに報告)[3]。そしてホウ素ケミストリーはBrown研に一時期留学した鈴木先生の元でさらに発展して鈴木宮浦カップリング反応[4]というノーベル賞反応へ再度繋がっていく…という噂話のくせにやけにリアリティがある重厚な逸話である。

*噂程度で聞いた話ですので正しい化学史に詳しい方はコメント欄等で修正・ご教授お願いします。

ポンコツLAH使い,㊙︎処理方法を伝授する。

LAHで苦戦するところはおそらく反応処理のタイミングであろう。反応はうまくいったが,処理で発火or溶液が噴水化してロスしたり,副生成物のAlカスに化合物も取り込まれてしまったりして精製前からcrudeが少なく絶望するというパターンだ。しかし,筆者はそこまで大変だったイメージがないため,ラボの伝統である処理法を共有することにした。

筆者らは濃アンモニア水+セライトで処理することが第一選択だ。Chem StationさんがリンクしているWikiの処理法によると① 濃NaOH aq+セライト ② 芒硝+セライト ③ ロッシェル塩 ④ 塩化アンモニウム溶液が挙げられているが,③と④以外やったことがない。アンモニア水処理は①と④の間という感覚だ。

① クエンチを考慮して普段より大きめのフラスコ(2口おすすめ)を使ってLAHを用いた反応をかける(超重要)。

② 反応終了後,発火を防ぐために0 °C条件下,ジクロロメタンをゆっくり加えて希釈する(DCMと反応しない基質であること!)。

③ そこに濃アンモニア水をピペットで少しずつ滴下する。*ここで噴水になりやすいため,パスツールピペットの使用を推奨。

④ ある程度攪拌後,灰色の沈澱物が固まらないうちにセライトをモリモリ投入して激しく撹拌。徐々に室温に上げる。

⑤ ③と④の作業を繰り返してフワッとしたベージュ色の固形物になった段階でセライトろ過(スケールが大きい時はブフナーろ紙ろ過,片づけがガラスフィルターより楽)。

⑥ 沈殿物をよく洗浄後,溶液をドラフト内で濃縮する。使用したアンモニア水が多い場合はNa2SO4で乾燥後,濃縮。濃縮後の混合物の重さを測ってロスがないことを確認して沈殿物を廃棄する。

溶媒除去の際にアンモニアはとんでいくため,精製前の量を間違えにくい処理法だと思う。欠点にはスケールが大きいと処理中に臭いを超えてもはや目が痛くなり,周りにクサッ…!クッサ!とボロクソに言われる田辺ミッチェル吾郎現象などが挙げられる。また,大スケール時では未反応のLAH(NaBH4の時も)をアセトンや酢酸エチルで少々潰してから処理することを推奨。

ポンコツ先輩,情報共有の必要性を諭す。

と,こんなものである。駆け出し実験者の方は色々な処理方法を知っておいて損はない。知らなくて使えない,知っていても使わない,使ってみて使わないには大きな隔たりがあるからである。歳をとると結局これまでやった経験から方法を選択し始めるため,教科書レベルの試薬処理程度は早いうちに色々経験しておいた方が良い。LAHの処理で苦労中の学生は一度試してはどうだろうか?

経験値を積んだ実験者からすると大したことない処理法だと思うだろうが,最近改めてどハマりしているCapetaにもこう書いてある(第25巻参照)。

エンジニア「余計な情報を漏らすなバカ。この無線はみんなが聞いているんだぞ…」→ナオミ(主人公のライバル)「かまわんわ。F3レベルで秘密もクソもあるかい」と。

1%程度,誰かのためになることを目指す本エッセイもこの精神は同様である。

久しぶりに化学の話を絞り出せて満足した筆者は,引き続き次の化学ネタを探し求めて海外生活を振り返るのであった。

〜続く〜

筆者は50g近い化合物をエピメリ化させてゴミ化した後,チームメンバーにお渡ししてしまった。結局使わなかったのでプロジェクトに被害はなかったが,メンバーに多大なご迷惑をかけてしまった。ここに懺悔しておく。

参考文献

[1] (a) Finholt, A. E.; Bond, A. C., Jr; Schlesinger, H. I.  J. Am. Chem. Soc. 1947, 69 (5), 1199–1203. (b) Stecher, O.;  Wiberg, E. Bér., 1942, 75, 2003–2012.

[2] Brown, H. C.; 鈴木章 化学と工業 198942, 90.

[3] Schlesinger, H. I.; Brown, H. C.; Finholt, A. E. J. Am. Chem. Soc. 1953, 75 (1), 205–209.

[4] Miyaura, N.; Suzuki, A. J. Chem. Soc., Chem. Commun. 1979, 866.

関連リンク・おまけ

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たぶん有機化学が専門の博士。飽きっぽい性格で集中力が続かないので,開き直って「器用貧乏を極めた博士」になることが人生目標。いい歳になってきたのに,今だ大人になれないのが最近の悩み。読み方はナナメルorナナメェ…?

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