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アウグスト・ホルストマン  熱力学と化学熱力学の架け橋

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Tshozoです。

「エントロピー」を目にして以来、その概念の分かりにくさに辟易しつづけてきました。どうやってこんな難解なものを考え出したのか、と。誰に教えてもらってもわからない。その必要性がまずどこにも書いてない、というか読んでなかった。統計力学をやれば理解できるという記述を読みトライしてみるもののP1で挫折。こうして学生時代に入口でつまづき、化学系を諦めたのがこちらの筆者になります。

それから数十年、化学書ではなく歴史書に手を出してカルノーの功績から振り返り、ようやくその意義と必要性、概念が出てきた社会的なバックグラウンドを2割ほど理解しつつあります。このことから考えても筆者は図書館の司書さんや歴史系の職業を目指すべきだったのではないでしょうか。なお50歳に至り「やっぱりお前は技術者には向いてない」と言われるようになりました。

そのエントロピー。よく乱雑さの度合いという定義で表されますが、こんなワケが分からんものを見つけ出したのもバケモン(クラウジウス)ですが、それをさらに化学反応に持ち込もうとしたとんでもない方が、1880年あたり、今から何と140年近く前のドイツに居ました。

その名van’t Hoff・・・ではなく、August Horstmann(1842-1929) アウグスト ホルストマンという方です。 (画像出典:wikipedia

どういう方だったのか。一般的な教科書にはあまり記載がありません。しかし、中国のことわざ「最初に井戸を掘った人のことを忘れない」という言葉のとおり、先人には敬意が払われるのがよいと思います。また、化学熱力学に突破口を開いたこの開拓者のことは以前から書きたいとも考えていました。お付き合いください。

 

【最初に・エントロピーとは】

(「熱学思想の史的展開1,2,3」山本義隆 著を参考に致しました)

まずはあたりまえの歴史をつらつらと。熱力学に端を発した気体のエントロピー概念は、ルドルフ・クラウジウスによる1865年の論文でほぼ完成されました。この中でエントロピーは状態量(重力に対する位置エネルギーが「高さ」できまるように、「状態(温度、圧力、体積)さえ決まれば一意に決まる値のこと」)として定義されるに至りました。なお「エネルギー」(en-ergon)と同等に重要な概念であるため、「変換」を示す「エントロピー」(en-tropi)をクラウジウスがギリシャ語に基づき付けたのが名前の経緯です。 その時の論文の題名は

「熱の力学的理論の基礎方程式の、(多方面の)応用に便利なる形式について」
Ueber verschiedene für die Anwendung bequeme Formen der Hauptgleichungen der mechanischen Wärmetheorie

日本語でもわかんないですから燃やしましょう。要は直観的に理解しにくい。

しかしこの概念を経由してクラウジウス本人はビリアル定理を導き出し、ルードウィヒ・ボルツマンが統計力学を打ち立て、ウィラード・ギブスが化学熱力学を発展させたわけです。実はクラウジウス本人は1852年, 1854年の論文でほとんどこのリクツを完成させていたのに、決定的論文として仕上げるのに11年かかっています。理由は不明ですが、このわかりにくい概念の完成と説明には相当紆余曲折があったのでしょう。

翻って、統計力学によりエントロピーの数学的意義が明らかになった現代、「エントロピー=乱雑さの度合い」と一般に説明されます。しかしやはり直観的になんで化学反応に重要なのかが腑に落ちません。かといって専門用語を振り回しても語るに落ちる。

そこで『ひとことで言って何なんだ』に従って表現してみますと『恋人同士恋愛の状態』です。某合同結婚式とかに似てますが、少し違います。

これはエントロピーという値が、気体の圧力、温度、体積が決まれば一意に決まるように、一般論として身長、体重、*入、***、家*などが決まればだいたいの恋愛の「状態」が決まる、ということを言っています。気持ちは関係ありません。あと結婚後は発酵みたいなモンですので別口です。

たとえば(だいたいの)恋人達の恋愛状態が良い=(だいたいが)家庭を築く=エントロピーが最大で、安定・平衡に至る。一方、色々よろしくなくて(だいたいの)恋愛状態が悪い=別れてあちこち次にあたる=エントロピーがまだ小さいので、まだ反応する余地がある(平衡ではない)。つまりエントロピーを最大にする点を見抜けば、その反応の平衡条件を導き出せる=圧力・温度などを管理して、反応を制御できるようになる、という発案につながるわけです。なおエントロピーが増大する、というのは様々な家庭の形成の途中で出てくるお互いのグチみたいなもんで、それは「完了」するまで延々出続けるからそりゃ増大していくしかないですよ。

horstmann_08

恋愛状態とエントロピーの共通事項

こうした背景がドイツにあったかどうかは不明ですが、実際にはクラウジウスが1862年の論文でエントロピー増加/減少の正体を「分子の『分散(Disgregation)』の増加と減少」と見抜き、その活用に関する期待を下記のようにつづっています。

horstmann_04 

ClausiusによるPoggendorf年報 1862年出版の論文より
上部:『この法則(エントロピーの正体である「分散」)を、化学的結合/分解に応用すべきだと確信している
中央部:『水蒸気の発生や結露のように、化学的結合の分解は「分散」の増加であり、逆に結合の形成は「分散」の減少と言えるからだ

 これは(気体の)エントロピーが何から成るか、という非常に重要な構想成立直後の主張です。

詳細は山本氏の同書(3巻)を読んでいただくとして、要旨は「エントロピーには「熱」に係る分散と「体積」に係る分散があり、その増加と減少に関するリクツは化学結合にも適用できる」ということです。つまり、化学反応の際に実体として変化するのは温度と体積なのですが、その「状態」はエネルギーと分子のそれぞれの「分散」という情報を見ることで水蒸気と同じように予想できる、ということです。恋愛状態もこれと同様に身長や収入などが定まれば「冷めるかどうか(→分子の温度)」、「離れていくかどうか(→分子同士の距離)」が一般に決まりますから、ここらへんは流石にChemistryといったところでしょうか

このクラウジウスによる主張(エントロピーの化学への応用)の意義を正確に見抜き、実際の反応(五塩化リンPCl5の気化時の平衡圧力のようなシンプルなもの)に適用したのが今回の主人公 アウグスト・ホルストマンでした。

アウグスト・ホルストマンとは

ようやく、今回の主題の人物紹介です(ドイツ版wikiより引用)。

1842年にマンハイムに食料品業者である両親のもとに生まれました。幼少から極度の近視に悩まされていたため、途中で学業を諦め家業を手伝うのですがやはり近視のために頓挫、結局科学への道へ戻ります。その後1862年からハイデルベルグ大学(師匠:エルレンマイヤー)で聴講生を続け、1865年にハイデルベルグ大学で非常勤講師職を得ますが、やはり近視のために実験系を選ぶことができず、理論系の研究テーマを選択することになりました。その後今で言うポスドクとしてチューリヒ大学(師匠:クラウジウス)、ボン大学(師匠:ランドルト)で研究活動を続け、1869年に論文を出し、ようやく「特任助教授」となります。

ho_prof_01

晩年のころの写真(こちらより引用)
現存しているのは上のと併せて数枚だけのもよう

そしてこのチューリヒ大でのクラウジウスとの出会いが、ホルストマンの代表作である「解離の理論」(1873年)へと結実します。これにより、化学熱力学への道が拓かれたのでした。この成果により、のちに今で言う准教授の職位まで昇進しています。

この論文で示された重要な結論が、こちら↓。重要なのは、「反応におけるエントロピーを、系への熱の出入り分と、分子の「分散」分の和とした」ことに加え「Sをモル数xで微分した式がゼロに等しい状態が化学平衡を示すこと」と主張したことでした。要は温度が決まれば化学反応の「解離」で発生するガスによる平衡分圧(実際にはガス密度)は下の式で予想され、そしてそれはうまく実験データを説明できる、としたのです。

horstmann_09

1873年「解離の理論」要旨
クラウジウスの仮説「エントロピーは熱の分散と分子の分散の和である」を直接式Aで表現し、式Bまで持っていった

horstmann_10
そして式Bから「エントロピーが最大になる条件」=平衡状態、とみて、
平衡圧力(赤線部・実際には縦軸は蒸気密度)を実験データと対比させ一致をみた
(データは臭化アミルの分解圧曲線)

つまりこの結果をもって化学反応が平衡に達するのはエントロピーが最大になった点である」と、世界で初めて実証したのです。大学の講義では既にギブスが完成させた恐ろしい式から天下り的に導かれた最終形(式Bのタイプ)しか見なかったのですが、足掛け30年、このデータを見てようやく納得がいった次第です。なお恋愛において多くが結婚に達するのは彼らの恋愛状態が落ち着いて最良になった点である、というのと同じであるわけです。あきらめたというのとは少し話が違います。

残念なことにホルストマンはこの論文発表以降近視がさらに悪化、学生への講義を行うことが出来ずについには自らの研究室を興すことを諦めざるを得ませんでした。その後のホルストマンの人生についてはほとんど文献が存在しないため明らかではありませんが、ドイツ科学博物館の記述によると「視覚が不具合な状態であっても勉学に勤しむことを継続していた」そうです。

加えて、これだけだとちょっと物足らんので追加で調べたところ、ホルストマンは、化学熱力学を完成させたウィラード・ギブスの欧州留学時代(ハイデルベルグ時代)の講師だったことがわかりました(参考文献:”Wer begründete eigentlich die Chemische Thermodynamik? “)。ギブスはこの留学中に機械工学から数論物理学へ宗旨替えを行い、その後「物理化学」の大きな扉をこじ開けることになりました。

horstmann_07

Joshia Willard Gibbs 英語版wikipediaより引用

ギブスについてはよく「たった一人でアメリカで独力で研究を完成させた」ということが描かれますが、恐ろしいことに半分はほんとのようです。しかしこのハイデルベルグ時代に最先端の化学に接し、その時にホルストマンの講義でエントロピーの意義に触れ、その講義で知り合った一流の数学者との交流が出来ていなければ、あの悪魔の第3論文”On the Equilibrium of Heterogeneous Substances“が世に出ることはなかったのではないかと思われます。

加えてファントホッフという偉大な化学者の貢献もあって化学熱力学は完成の域に到達しますが、ファントホッフの主要著作である「化学動力学」の冒頭は下記のようにホルストマンの貢献を記述する文章で始まっています。

horstmann_03

van’t Hoffによる「化学動力学」のイントロ部
Horstmannの名前が記されている 内容は知らん

この貢献を考えると、クラウジウスの発案を正しく理解し、ギブス、ファントホッフへそのカギとなるコンセプトを伝えたホルストマンの重要性はもっと知られるべきではないのかと思います。広く知られることがなかったのは、当時あんまり化学者間で多用されていなかった微分式を微妙に分かり辛く書いてしまったこと(ファントホッフ、プランク、ハーバーは見抜いてましたが)、上記のように自らのキャリアを途中で断念したことの2点が原因でしょうが・・・。もちろん同時期にフランスのアンリ・ドブレ、ユレス・ムティエ、ノルウェーのペテル・ワーゲらが同様の発案を行っていましたが、実験データに基づく理論の確立に先んじたのは間違いなくホルストマンでした。

ということでごく一部の科学史家の間でしか取り上げられた形跡のないホルストマンの紹介でした。一見捉え所のない「物理化学」のリクツがどう出来上がっていったかの由来を知りたい方には重要な足がかりになるのではないかと思います。

 

蛇足・クラウジウスのこと

なお最後になりますが、今回の件で方向性を示したクラウジウスについてちょっとだけ。

ヘルムホルツと共に熱力学の基礎を築いた同氏は、当時は存在が否定的だったミクロ系が存在することを肯定しつつも、それに依存しない系でエントロピーが存在することを示しました。そこの時代までは天文学や機械学などのニュートン力学が基本で、これはどちらかというと「帰納的」な、すでに存在する現象を説明するスタイルの学問だったわけです。

つまりクラウジウスは分子などを「よくわからないもの、または存在しないかもしれない複雑なもの」として棚上げしといてエントロピー概念を作った、「演繹的」なやり方でその成果を打ち立てました。この後に熱力学第三法則を創ったネルンスト、量子力学の父プランクらも(知ってか知らずか)このスタイルを踏襲しています。もっとも存在しないものをベースに考えていたせいでボルツマンは当時の有力者(エルンスト・マッハなど)にボコボコに叩かれ、自ら命を絶つという悲劇的な死を遂げてしまいますが・・・

ともかくこうしたトレンドを作って成果を挙げることを実証したクラウジウスの存在は実は非常に大きかったのではないかと思っています。一説によると非常に気難しく、特定の人(ヘルムホルツ、チンダルら)以外との議論はしないという非社交的な人柄だったためか、驚異的な成果を出しながら詳細な伝記などが現存しないのは極めて残念なことではあります。ただ現実問題としてこういう↓気難しそうなオッサン御方には近寄りがたいですからね。

horstmann_06

本件のもう一人の主人公、ルドルフ・ユリウス・エマニュエル・クラウジウス(ドイツ語版Wikipediaより引用)

エントロピーについてはまだ少し書きたいことがあるのですが、長くなりそうですので今回はこんなところで。

 

参考文献

Tshozo

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メーカ開発経験者(電気)。56歳。コンピュータを電算機と呼ぶ程度の老人。クラウジウスの論文から化学の世界に入る。ショーペンハウアーが嫌い。

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